謎の探究者
宿場の店主は、まだ体調の悪そうな細身の男から鍵を受け取った。
「お客さん、悪いことは言わないから、もう少し泊まっていきなよ」
「いや……そう、ゆっくりする余裕もないので」
旅の水に中って昨日1日寝込んでいた若白髪の客は、うつむいてボソボソと答えた。
「と言ったって、かわいい奥さんと妹さんも一緒なんだろう?実はこの先の街道は最近物騒でさ。護衛なしの若い女連れなんて盗賊のいいカモだよ。護衛付きのどこかの商隊が来るまで待って、一緒に行った方が良い」
「はぁ…しかし、そんな訳にも……」
煮え切らない返事をして迷っている若白髪の客を、宿場の店主は心配そうに見た。
「それなら俺が護衛を務めようか」
声をかけてきたのは、長身の若者だった。とりたてて荒事に向いていそうには見えなかったが、そこそこ体格は良い。こんなことを言い出す程度には腕に覚えがあるのだろう。
「店主、馬の飼い葉と水をもらう。ああ、その部屋の鍵を片付けるのは待ってくれ。彼が俺を護衛にしてくれるなら、出る前に打ち合わせがしたい」
カウンターに金を置いて、若者は若白髪の客の肩を叩いた。
「どうだろう?」
「あ、ああ……君はあの時の……ありがたいが、なぜこんなところに」
「詳しい話は後で」
気圧されたようにうなずいた若白髪の客を先に部屋に返して、若者は盗賊の話を店主に聞いた。
「兄さん、知り合いかい?止めたほうがいいよ。昨日の客の話じゃ、この先の旧街道から新街道の手前辺りで、どうも人数が多くて性質の悪い盗賊団がうろついてるらしい」
「そうか。確かに数で囲まれると厄介だな。新街道の先に王国軍の砦があっただろう?騎士団は動いていないのか?」
「それが何故か今回はまだ動いてくださらなくてね。宿場の顔役から訴えは出してるそうなんですが」
「なるほど。ありがとう。近在の俺の知り合いのところに逗留したほうがよいかもしれん。相談して来るよ」
彼が部屋に入ってきた瞬間に、シャリーはまっすぐ彼の胸に飛び込んだ。
「待ってた」
「遅くなってごめん」
川畑はしっかり抱きついて離れないシャリーの頭を撫でた。
「やはりあの時、妹達を助けてくださった騎士の従者さんですね」
シャリーの兄、ルイは妹のそんな様子を見ながら、丁寧に一礼した。
「ハーゲンです。そちらのご事情はおおよそ把握しています。追っ手の心配は今のところありませんが、よろしければこちらで安全な避難先をご用意します」
「ありがとうございます。……でも、なぜですか?あなたは王都の騎士様に仕えていたはず。私は今、勇者様の命で王都の兵に追われる身です。妹は絶対に違うと言っていますが、むしろあなた自身が追っ手の立場でもおかしくない」
「お疑いはもっともですが、心配は無用です。諸事情により、現在は王国の騎士団が介入できないところに所属しています。勇者の命令でも、軽々しく兵は差し向けられないところですから、安心してください」
「騎士団が介入できないところ?」
怪訝そうなルイに、ハーゲンはやや声を落として答えた。
「ご訪問中の帝国皇子殿下ご一行です」
出発の準備は終わっていたので、店主にはやはり知り合いのところに行くことにしたと言って、すぐに宿をたった。
「殿下は聖都ご訪問予定でしたが、そちらの一件で足止めをくらいましてね。通訳だった俺を、現地に詳しいからと事情調査に派遣したんです」
「そうでしたか。よく我々の居どころがわかりましたね」
「妖精さんが私のために連れてきてくれたの……ああ、良かった。ソルも無事だって。ありがとう。妖精さん達」
馬に乗っても、ハーゲンの背中に幸せそうにくっついたまま離れないシャリーは、ふわふわした夢見るような口調でそう言った。
ハーゲンは決まり悪げに、ルイを見ると「聖なる導きに感謝を」と、聖職者が説明しづらいことをかわすときの定型句を口にした。ルイも目を閉じて精霊に感謝の祈りを捧げた。
「あの……ハーゲンさんは以前、騎士様のお供をなさっていたんですよね。もしかして4年ほど前、リアの伯爵領に滞在されたことはありませんか」
会話が途切れ、皆が静かに馬を進めていた時、それまで最小限の自己紹介だけで黙ってついて来ていたミルカはおもむろに問いかけた。
「ミルカさんはリア家のお嬢さんですよね。覚えてますよ。私の馬の傷を治してくれた」
ミルカは覚えていてもらえたのが嬉しくて微かに頬を赤らめた。やはりこの人があの時の人だったのだ。
「覚えていてくださったんですね」
「ええ。むしろあなたがこちらに気づいたことに驚いた」
ハーゲンはミルカの脇に馬を並べて、彼女の様子を感慨深そうにしげしげと眺めた。
「大きくなられましたね。見違えました」
ミルカは恥ずかしくてうつむいた。
「それにしてもまさかあの時のお嬢さんが、ルイさんの奥様になるとは」
「ふわっ!?ち、ち、ち、違います!」
「ハーゲンさん!それは、宿に泊まるときの方便で、私は彼女とは別にまだ何も……」
「今はウソだけど、本当にミルカが私のお義姉さんになってくれたら嬉しいわ」
真っ赤になって慌てるミルカと、それ以上に動揺するルイを見て、ハーゲンはこういう奥手はそういう方便ときっかけが必要なんだなぁと納得した。
『ごほうこく!』
斥候に出していたラッパ水仙の妖精が戻ってきた。このまま街道を聖都方面に戻ると、明日には勇者一行とすれ違うことになるそうだ。
「ルイさん、体調はいかがですか?慣れない連日の乗馬はキツいでしょう。街道は少し外れますが、この先に村があります。よろしければ、今日はそちらによって、早めに休みましょう」
「いえ、私のためにそこまでしていただくほどのことは……」
『カップ』
『お兄さん、おなかいたくない?つかれたでしょ。やすもうよ』
「どうぞ遠慮なさらず」
「……うぅ……そうですね。では、お言葉に甘えて」
顔色の悪いルイ氏を気遣いながら、一旦主街道から外れる。
『キャップ、プセウドと一緒に勇者組のところに行って情報交換してきてくれ。俺たちはこの先の村……えーっと前にシャリー達連れて泊まったとき卵料理がおいしかった村に行ってる』
『いいなぁ、たまごとミルクのやつまたたべたい!いそいでいってきまーす!』
『しからば、ごめん』
黄色い花弁の形のドレスをヒラヒラさせながら、馬の頭の上で忍びの者のように一礼して飛び去ったプセウドとキャップを見送りながら、川畑は村で休んでいる間に、妖精達のために菓子でも作ってやるかと考えた。
宿場の一番良い宿の部屋に入って、騎士は敬礼した。
「勇者殿、この先に盗賊団が出没するのでなんとかしていただきたいとの誓願が出ております」
勇者は、タリアーノとかいうその騎士の報告に顔をしかめた。確か新しく騎士団長になった男の息子で、勇者に与えられた兵士のまとめ役なので、あまり粗雑に扱わない方がいい奴なのだが、あまり気の利かない男だった。
「見てわかんないのかよ。今はエッセルの服の改良中なんだよ。あとにしろよ」
「はっ」
敬礼して出ていく騎士を見ながら、前任の騎士団長も融通の効かない男だったなと思い出す。何か警備上の過失があったというのでこれ幸いと辞めさせたが、節度だ義務だといろいろとうるさい男だった。
「(だいたいバスキンって確か俺の構想では、どっかの町がモンスターの群れに襲われた時に、ロビンスって相棒と町を守って死ぬ、ちょい役のお涙ちょうだい要員の名前だぞ。何で騎士団長なんかに出世してんだよ。単品で出てくんなっつーの)」
「うう、勇者様。これはやっぱり恥ずかしいです」
「うるさいな。スカート丈はぎりぎりを攻めないと、絶対領域ができないだろ」
「何をいってるのかわかりません~」
「(まぁいっか。今の騎士団長は俺の言うこときいてくれる感じの奴だったし、聖都じゃちょっとばかり揉めたからな。ここいらで盗賊でも狩って点数稼ぎしておくか)」
「任せとけって。俺がうまいことやってやるから」
勇者はエッセルの服の胸元を大きく広げながら、ニヤリと笑った。
「(それに盗賊どもは球の餌にはちょうどよさそうだ)」
卵、クリーム、穀物粉は泊まらせてもらった農家で入手。……自宅からの砂糖の持ち込みは禁じ手。
『カップ、この世界に蜜蜂はいるか?』
「ハーゲンさん、どちらに行かれてたんですか」
「いや、ちょっとそこの森まで。あ、ミルカさんは焼き菓子って作り方知ってる?」
「お菓子ですか?祝祭用のものなら聖堂で作ったことがありますが」
「"混ぜて焼く"以上の知識があるなら手伝ってくれないか?妖精にお礼のためにあげる菓子を作りたいんだが、自信がない」
『おーさま!ぼくたち、きもちだけでうれしいから、もう、そのハチミツそのままちょうだい!』
カップの悲鳴を聞き流して、川畑はミルカと農家の厨房に向かった。
勇者は顔をしかめて、うっかり踏んだ小石を蹴り飛ばした。ついでに無造作に魔法を発動し、逃げようとする盗賊を馬ごとなぎはらう。
「ひ、ひぃぃっ。わかった!戻る!監獄に戻るから助けてくれぃ」
「なんだ。お前ら脱獄犯か」
勇者は落馬して腰を抜かした男を見下ろした。
「脱獄じゃねぇ!なんか偉そうな奴がやって来て、この先の砦を根城に1ヶ月適当に過ごして、勇者が来なかったら刑はなし、後はどうしてもいいって言って出してくれたんだ」
勇者は笑った。
「そいつは残念だったな。俺が勇者だよ」
男は、法に従わず、怪しい話を鵜呑みにしたことを後悔して死んだ。
「ハーゲンさん、捧げ物の菓子は厳密なレシピに従わないとダメですよ。菓子作りは聖句集に示されたこの世の理が厳密に適用される行為です。材料、分量比率、手順、温度管理のことごとくが、神の摂理に従って定められた意味があるのですから、適当なことはやっちゃいけません」
「そ、そうなのか」
「わかりやすい例で考えましょう。沸かして煮えたぎったクリームを割りほぐした卵に注いだらどうなりますか?」
「熱変性か。分離したクリームと熱でところどころ固まった卵のぼろぼろの混ぜ物になる?」
「生命の精霊への冒涜です」
ひどく神妙な顔でうなずくミルカを見ながら、川畑は首をかしげた。
「ミルカ、君は"神"と"精霊"をどのように理解している?なぜ"精霊の理"や"神への冒涜"とは言わない?」
「え?」
ミルカは突然、高度に宗教的な質問をされて戸惑った。
「俺の聞いた限り、いにしえから祭司を司る帝国皇家の宗教感では、信仰対象は一貫して精霊だった。永遠と連続と調和を象徴する生命の精霊がこの世を生んで、その夫の死の精霊が変化と分離をもたらしている。君が"神"と呼ぶ存在は、帝国の皇子にとっての"精霊"と、どのような関係にある概念だ?」
ミルカは、幼かった自分に神の理の重要性を説いた男の突然の問いかけに緊張した。
これは何かの試験だろうか。
「"神"はこの世の理を定めたまいし存在の尊称です。生命の精霊はこの世の始まりの神であり、死の精霊は生命の精霊が作った世界に、新たな理をもたらして、今の世界のあり方を定めた神です。聖堂は精霊とそれに連なる者を崇めます。しかし、神の力で定められた理は、信仰ではなく学問や技術として人々に伝承され、探求されるべきものです」
ミルカは外衣の内ポケットから、小さな本を取り出した。よほど愛読されたのか、表紙が擦りきれた本は、聖句集の写本だった。
「ですからこの写本は"聖句"でありながら、"聖"を司る聖堂ではなく、各地の学院で学ばれ、伝えられます。だから私は大聖堂で祭司となる道ではなく、修学院で学士となる道を選びました」
あなたがこの本を読んでいたから、私は今の道を志したんです。あなたが、神がどのようにこの世界を創ったのか知ることは、大切なことだって言ったから、私、一生懸命勉強しました。
思いを込めて、憧れの人を見つめ、ミルカは小さな声で尋ねた。
「……私、ちゃんと答えられましたか」
「ミルカ、君は素晴らしい」
川畑は虚空を見つめながら、目の前の少女の思いには頓着せず、今もたらされた情報の考察に没頭した。
「なるほど、やはり創世の能力を持つ主すなわち"神"という認識で語句は使用されている。だが、信仰対象から意図的に"神"が除外されているんだ。
この世界においては、昔、何者かが、世界の理は人々に伝承され、探求されるべきものだと定めて、神の創世の力を、宗教的信仰対象から切り離した。このせいで、同一であるはずの精霊と神の聖俗分離が起きたのか」
ミルカは呆然と目の前の青年を見た。
「そこに"神官"に"神託"を下して、人々の信仰も得ようとする新しい"神"が現れたせいで、わかりにくくなっていたんだな」
「新しい神……」
「そうだ。王城に神託を与えて勇者を出現させ、一方で悪しきものにも神託を与えて神官として仕えさせて魔王を出現させ、勇者に魔王を打たせようとしている邪神だ」
崩れかけた砦は、まだあちらこちらで炎が上がっていた。勇者は燃え殻が握っていた剣を蹴り飛ばした。
舞い上がった煤を、煩わしいブヨか何かのように払って舌打ちする。
「三、四十人ってとこかな?もっといたかも知んないけど、まぁいっか」
彼は持ってきた球を掲げた。
「さぁ、喰えよ。おあつらえ向きに、汚い魂ばっかりだぜ」
欠けた水晶球の中で黒い靄がゆっくりと渦を巻いた。
思いもよらぬ話にミルカは身を震わせた。
「なんてこと……」
「以前、大神官を名乗る男が言っていた。生命の精霊を喰らった死の精霊から取り出した生命を魔王となし再びこの世界に顕現させると」
「死の精霊は生命の精霊の夫です。生命の精霊を喰らっただなんて、そんなことあり得ません!どこの聖堂でも生命の精霊と死の精霊は最奥で一緒に祀られます」
「大聖堂でもか?」
「はい!大聖堂でも以前は生命の精霊の絵の前に、死の精霊の像が飾られていたんです。今はなぜかありませんけど……しゅ、修復中なのかもしれません」
ミルカはちょっと決まり悪げに目を泳がせたが、すぐにグッと拳を握りしめた。
「とにかく!二人は愛し合い、共に慈しみ、死が二人を分かつまで幸せに暮らしたんです!」
「……それは、何かの伝承の定型句か?」
「知らないんですか?婚姻の誓約です。こう、向き合って手を合わせて、二人は愛し合い、共に慈しみ、死が二人を分かつ…まで……って……」
ミルカは説明の途中で、自分が憧れの人相手に結婚の誓約をしかけているのに気づいて、真っ赤になった。しかし、当の相手はまた深い思索に入ってしまったのか、合わせた彼女の手を掴んだまま静止してしまった。
困ったミルカがもじもじしていると、不意に彼は彼女の顔を覗き込むようにして尋ねた。
「二人を分けたのは、誰の死だ?」
「え?」
「最初にこの世界を発生させたのは"生命の精霊"だ。その世界設定はおそらく今の精霊界よりも単純だ。精霊力で満たされた変化のない定常的な世界で、そこの眷属である妖精に"死"の概念はない。
次に現れて世界の設定を変更した神が彼女の夫だ。彼は世界に変化と相互作用をもたらした。聖句集に納められた定理や法則の大半はおそらく彼の設定だ。精霊界でもエルフェンの郷でも成立していなかった理は間違いなく彼が作っている。だから死んだのが誰にせよ、その死をもたらしたのは、彼だ」
「そんな」
「それゆえに彼は死の精霊と呼ばれたのだろう。妖精にはない"死"を設定されたのがこの世界の人間だ。とすれば、ここの人間は皆、死の精霊の眷属のはず。もし死の精霊が生命の精霊を滅ぼし、自らも"死んで"いるならば、この世界の人間を成立させている主は空位だ。従属世界である精霊界の主の力は妖精王と妖精女王に限定的に与えられているが、彼らも精霊界を去っている今、この世界を維持している主はいない。神託の作風を考えると、新しい"神"にこの世界全体が支えられるとは思えない。今の実質の主は誰だ?誰がこの世界を維持している?」
目の前の彼女の存在を忘れて、この世の真髄の考察に耽る男を見上げて、ミルカは立ち竦んでいた。
彼はふとミルカに視線を戻した。
「……ダメだ。何か前提条件が間違っている。ミルカ、君は"死"について詳しいか?」
「それなら、ルイさんが確か専門でご研究を……」
「ありがとう。彼に訊いてみる」
菓子はまた今度作ろうと言い残して去っていった後ろ姿を見送った後、ミルカはその場にへたりこんだ。
性別、年齢、容姿、性格、能力……全部主人公の好みのはずなのに、なぜかヒロインにかすりもしないミルカ。
……おかしい、こんなはずでは。
これはもしや本章未登場の正ヒロインの呪いか?




