薄情者
ソルは、見張りの王都兵の無遠慮な視線にさらされながら、縛られたまま宿の床に転がされていた。
捕まって2日、散々、醜態をさらして、ソルは自棄になっていた。無感動にガラス玉のような空虚な目で虚空を見つめる。
食事は拒否していた。初日に勇者が床に皿を置いて、犬のように食えと言ったのだ。あんな奴の前でそんな真似をするぐらいなら、死んだ方がましだった。
「(あのときよりはつらくない)」
ぼんやりと昔のことを思い出す。
小さな妹を連れての逃亡の日々はつらかった。髪を切り、変な染め粉で適当に染めて、ぼろを着て身元がばれないようにした。何日もろくにものが食べられず、汚い水をすすってお腹を壊した。
「(まだ大丈夫。あのときは……)」
ふと、救われた日の思い出がよぎって、身体が震えた。暖かい大きな手、優しい低い声、なんだかいい臭いのする広い背中。ずっと思い出さないようにしていた甘い思い出が、止めどなく浮かんだ。
「んんっ」
猿ぐつわの奥でソルはあえいだ。
身動ぎした拍子に、きつく縛られた縄が食い込む。痺れた体の痛みがソルを現実に引き戻した。
喪失感で、体よりも胸の奥が痛かった。
「(大丈夫。私はもう可哀想な無力な子供じゃない)」
助けてもらえなくたって平気。
ソルは冷静な仮面を被り直した。
聖堂騎士団の訓練がつらいときも、いつも"もう可哀想な子供じゃない"と唱えて、表情を殺して、冷静に自分を立て直してきた。お陰で"氷の騎士"などという恥ずかしいあだ名をつけられたが、弱い姿をさらすよりはましだった。
「(まだ大丈夫)」
ソルは必死に己を保った。
「おい、交代だ。メシ食ってこいよ」
「やっとか、ありがてえ。お前、今日は何食った?」
「あー、ここの宿の向かいで済ませたわ。聖都は酒が飲めないのがつらいな」
「どのみち仕事中は無理だろ。なぁ、何がうまかった?」
見張りの男が廊下に出て、交代に来た男と立ち話を始めた時、ソルの目の前に青い輝きが現れた。
『しずかに。じっとしててね』
突然、部屋の窓の1つが勢いよく開いた。ソルが目だけ動かしてそちらを見ると、黄色い輝きが窓辺からキラリと飛び去るのが見えた。窓の外で、何かが倒れた音がした。
「な?なんだ!?窓が……」
「あっ!女がいない!」
何を言っているのかとソルは不思議に思った。彼女はずっとそこに横たわったままだった。見張りの男達はソルがいる場所ではないところを何度も確認し、窓の外を見て悪態をついて、部屋から出ていってしまった。
『もうすこしだけまっててね』
綺麗な青い輝きがソルの上でくるくる回る。
期待と不安で胸が締め付けられた。
『あとちょっとで、きてくれるよ。そしたら、たすけてくれるから。あんしんしてね』
青い輝きの言葉がもたらした恐ろしいほどの安心感に、全身の力が抜けた。
『すこしねむってて』
底無し沼のような睡魔に気が遠くなりながら、ソルは同時に恐怖と絶望を感じた。
嫌だ!こんな姿、あの人に見られたくない!!
私は強くありたかったのに……。
沈む意識の中で、なぜ強くなりたかったの理由は言葉にならなかった。
「(勇者の野郎め、この状態で監禁とか無茶苦茶しやがる)」
ソルはかなり衰弱していた。
店でロッテとパピシウスから話を聞いた時、川畑はすぐにカップとキャップを向かわせ、自分も店を出てすぐに短距離転移を駆使して駆けつけて、彼女を保護したのだが、とにかく最初にソルを見たときはかなり動揺した。
眠るソルを、なんとか自分が泊まっている宿の部屋に移し、とってかえして、ロッテにフォローを入れたのだが、動揺を隠そうとしすぎて、いささか変な感じになっていたかもしれない。
なんとか戻ってきた川畑は、出掛けにとりあえず、シーツでくるんでおいたソルを見下ろした。まだ眠っている。
ナイフを取り出して、縄を慎重に切っていく。捕縛のためというより、苦痛を与えるためのような縛り方に腹が立った。
『いたそうだね』
『アザになってる』
薬を用意しながら川畑は迷った。飲み薬は目覚めてからしか無理だ。塗り薬を塗るなら直に肌に塗る必要がある。
『からだもキレイにしてあげなきゃね』
『おーさま、また、まるあらいする?』
『丸洗いは……さすがにまずい』
川畑は苦悩した。カップの言うとおり、体を清潔にして、薬を塗って、着替えさせてやる必要がある。だが彼女は前回と違って、今は推定17歳。氷の騎士と称されるとおり、眠っていてもわかるほどの、透き通るような美貌の女性なのだ。騎士団に所属しているだけあって、均整のとれた身体は鍛えられて引き締まっていたが、それでも女性らしい柔らかさはあった。
精神的に追い詰められた川畑は、カップとキャップ以外に誰もいない部屋の中をキョロキョロ見回した。
『なに?おーさま?』
『……これは、治療行為だから』
『うん。はやくなおしてあげて』
川畑は大きく一度息を吸ってから、シャツの袖を捲った。
『おーさま、オンナノコのからだにアザがのこるとかわいそうだから、ここもわすれず、おクスリぬってね』
『うぅ……お前らの回復魔法で治らないか?』
『ヨワッてたのを、ちょっとゲンキにするのでセイイッパイだよ』
『てぬきしちゃダメ』
川畑は心を無にしようと思った。
「(……これは治療行為です。翻訳さん、解像度を通常レベルに上げてください……って、無免許の治療行為は犯罪だよ、どちくしょー!)」
『やさしくね?』
『わかってるよっ!!』
精神的に疲労困憊した川畑は、一度、自分の部屋に戻って、風呂と洗濯とアイロンを済ませた。
日常を挟んで、若干の気持ちの余裕と持ち前の冷静さを取り戻した川畑は、宿に戻って、きちんと身なりを整えてあげてから、ソルを起こした。
「どうだ、起き上がれるか」
「ここは?」
まだぼんやりとした様子のソルは、ベッドの傍らの椅子に座った川畑に気づくと、また意識を失いそうになった。
「体を起こすぞ」
川畑は声をかけてから、彼女の背中の下に手を差し込んで、上半身を起こさせた。
「湯冷ましだ。熱くはないから飲め。すこし塩が入っている」
ひとつひとつ説明して、ソルの様子を見ながらゆっくりと介抱する。
「ここは聖都内の宿屋だ。君は路地裏に倒れていた。意識がなかったので連れてきた。今はもう夜半だが帰りたい場所があれば送る。まだ休みたければ、今夜はこのままこの部屋で眠っていい。俺は別の部屋で眠るから」
彼女は渡したカップの中身を飲みながら、黙って聞いていたが、ポツリと「もうすこしこのままで」と言った。
川畑は沈黙が気恥ずかしくなった。空になったカップを下げると、なんとなく窓際に椅子を持っていって、鎧戸の隙間から入ってくる冷気で頭を冷やしながら、腕を組んで座った。
闇の中で目が覚めた。
あの人の声がして、その圧倒的な安心感に溺れそうになった。彼の手に支えられながら、ぬるい水を飲む。乾ききっていた心と体が、与えられた甘露を浅ましくむさぼった。
……終わってしまう。
もうすこしこのままそばにいて欲しいとうったえたけれど、空になったカップは手から取り上げられ、彼の温もりは離れていった。
窓の鎧戸の隙間から差し込むわずかな月明かりに、彼のシルエットが浮かぶ。記憶どおりだけど、記憶ほど大きくはない。むしろ彼女の同僚の騎士の方が筋肉が盛り上がって大柄だ。
闇に守られながら、じっと彼を見ていると、少しずつものが考えられるようになってきた。
「(すがり付いて泣き叫ぶような真似をしなくて良かった)」
衝動に屈するほどの体力が無かっただけだが、醜態を晒さずにいられたことに感謝した。
その時、大きな音で彼女の腹が鳴った。身体自体もまともに動き出したためだったが、彼女は恥ずかしくてお腹を押さえてうつむいた。
「腹減ってるのか?」
彼が椅子から立ち上がる音がした。
「すまん。なんか用意しておけば良かったな。この時間ではどこも開いてないから、食事は朝まで待ってくれ」
足音が近づいて、隣で彼の衣擦れの音がした。無理だとわかっているのに、心の飢えを満たしたくて、闇の中の彼の姿を探す。言葉未満の気持ちを口に出そうとした時、開いた口になにかを入れられた。
「ん」
咄嗟に彼の手を捕まえる。
「こ、こら。そんなにがっつくほど腹減ってるのか?」
あせる声は思っていたより若い。ぐいっと引っ張ると、容易に引き寄せることができた。
「待て、わかった。後でもう1つやるから、手を離せ」
甘い。
ソルは舌の上で飴をゆっくりとろかしながら、捕まえた彼をさらに引き寄せた。
「飴だけじゃ、足らない……」
「う。お…ぐ……」
体格の差はまだあるけれど、昔ほど大きくはない。動揺する彼の逃げ手をふさいだ。
どう?私もう、可哀想な無力な子供じゃないでしょ?
闇の中で微笑む。
ああ、何て甘いんだろう。捕まえることができたじゃないか。
そう思ったとき、窓の方で青い輝きが瞬いた。
『たいへん!……が……で……だから、いそいで!』
そのとたん、彼はするりとソルの手から抜け出した。
「急ぎの用事ができた。部屋はこのまま使ってくれ。支払いは済ませてある。朝になったらこの金で飯を食ってくれ」
「待て、私も」
立ち上がろうとして、体がふらついた。痛みや痺れは感じないが、思っていたより体が動かない。
「私は聖堂騎士だ。力になろう。なにがあったのか教えてくれ」
「一刻を争う。腹ペコの病み上がりは連れていけない。しっかり休め。聖堂騎士団には俺のことは伏せてくれるとありがたい」
彼は固い声でそれだけ言って、部屋を出ていった。
ソルは自分が明らかに足手まといであるために置いていかれたことが悔しかった。こんなことなら、生きぎたなく這いつくばって床のメシを食ってでも、体力を保っておけば良かったと後悔したが、遅かった。
「(何をやっているんだ。私は)」
ソルは、自分が強くなりたかった理由を思い出した。彼女は置いていかれたくなかったのだ。彼のように強くなれば。彼の隣にいて頼られるようになれば。彼と一緒に行くことができると思ったのだ。
"安全なところ"にいて、"可哀想"じゃなくなったら、なんの未練もなくこんな風に捨てていかれる存在ではないナニカになりたかっただけなのに……。
「そうか、子供じゃなくなると、甘えさせてもくれなくなるのか」
麦芽糖の優しい甘さが、なぜかほろ苦く感じた。
部屋が暗いのは、主人公が、顔さえ見られなきゃ俺だってばれないんじゃね?と、たかをくくったから。ちなみに本人は暗視で見えてる。
身バレはいろいろ都合が悪いので、とおりすがりの親切な人、で乗り切ろうとして、この有り様(ただの不審者)である。
あと、単純にばつが悪くてまともに顔あわせたくなかった。
ソルは致命的にセルフプロデュースを間違えている。
奴が剣の修行してたのは、やらされてるだけで、そういう道に生きたい訳ではないのを確認しそびれたのが敗因。
そいつホワイトカラー志望だから、背中を任せられる相棒とか募集してません。
スペックはいいのになぁ。




