"聖女"の待ち人
『』は妖精用の会話のため、一般人には聞こえません。
大聖堂での1日の務めを終えて、少女は自室に戻ってきた。そこは寝台と書き物机と長櫃ぐらいしかない簡素な部屋だったが、個室だった。大聖堂に務める彼女より年かさの若者達が皆、4人部屋や6人部屋なことを思えば、これは破格の扱いだった。
少女が部屋に入ると、薄明かりが灯った。明かりはふわふわと漂いながら、彼女が室内のランプに火を灯すまでその足元や手元を照らした。
「いつもありがとう」
少女はランプの光の下で薄れて消えた明かりに向かって小さく礼を言って、被っていたベールを脱いだ。髪留めを外して、きっちりと結っていた髪をおろすと、飾りのない黒いドレスの薄く膨らんだ胸元に、星の河のように美しい銀髪が流れ落ちた。
『シャリー!』
不意に黄色い光が飛んできて、少女の周囲をくるくると回った。
「キャップ!あなたなの!?」
少女はあわてて、近くにいるはずの人の姿を探して周囲を見回した。
『おーさまは、そこのまどのそとだよ』
少女は大急ぎで窓の鎧戸を開けた。
「やぁ、シャリー」
窓の外には、彼女の待ち人が、青く輝く妖精を肩にのせて立っていた。
「また大きくなったね」
軽々と窓を越えて入ってきた青年の前で、シャリーはうつむいてもじもじした。
青年は元通りに窓の鎧戸を閉めると、空中に白い明かりを灯した。
「よく顔を見せてくれないか。元気だったかい?」
シャリーは目の前の青年を見上げて、頬が熱くなるのを感じた。
「今日はいつもみたいに歓迎してくれないんだな。予定外で来たのはやっぱり不味かった?」
「ううん、違うの!来てくれたのはうれしい!」
シャリーはあわてて誤解を訂正した。ずっと一緒にいたいのに半年に一度しか会えない人が、突然来てくれたのだ。嬉しくないわけがない。
「ただ、いつもと格好が違ったから少し驚いたの」
「ああ……その、これは今の仕事着で仕方なく……やっぱり似合わないかな?」
彼は恥ずかしそうに、自分の上着の詰まっていた襟元を少し開いて、上げて整えていた前髪をグシャリと崩した。
「そんなことないわ!よく似合ってとっても素敵よ」
シャリーは崩れた前髪を元に戻そうとした。彼はシャリーの意図を察して、目を閉じて身を屈めてくれた上に、背伸びをしたシャリーの体を支えてくれたのだが、その結果、縮まった距離は彼女の乙女心にとっては近すぎた。
「シャリー?」
左手は彼の右胸に、右手は髪をすく途中の姿勢で止まってしまった彼女をいぶかしんで、彼は目を開けた。
間近で目があって、低い声で名前をささやかれたシャリーは、思わず膝から力が抜けた。
「大丈夫か?今日は調子が悪そうだ。すまん。無理をせず休んでくれ」
青年はうろたえた挙げ句、彼女を抱き抱えて寝台に運んだ。
「少し熱っぽいようだ。目も潤んでる……し……」
シャリーをそっと寝かせながら、額や頬を撫でている途中で、彼ははたと手を止めて、1つ咳払いして目をそらせた。
『シャリー、びょうき?』
『げんきない?』
「ね、熱冷ましの薬があったはずだ。薬屋オススメの奴。どれだったかな」
あわてて懐から薬籠を取りだそうとした彼を、シャリーは止めた。
「大丈夫。少し疲れていただけよ。今日はお友だちから回復魔法を教えてもらったの。だから」
「すごいな。回復魔法が使えるようになったのか」
「すごいでしょ。いっぱい頑張ったのよ」
「偉い、偉い。シャリーは綺麗で賢くて頑張り屋さんだな」
彼はシャリーがずっと小さかったときと同じように、彼女の頭を優しく撫でた。
「今日はどうして来てくれたの?前に来てくれてからまだ半年経っていないわ」
寝台に横たわったまま、傍らに座る彼の大きな手を握って、シャリーは尋ねた。
「王都で聖女の噂を聞いたんだ。シャリーが困ったことになっていないか心配で、様子を見にきた」
シャリーは僅かに目を伏せた。
「勇者様が現れてから、そんなことをいう人が出てきたの。私、勇者様をお助けする聖女なんかじゃないのに」
シャリーは、彼女にとって勇者よりも大切な人の手をぎゅっと握った。
「今は王都にいるけれど、できるだけ早く聖都に来るよ。こんな風にこっそりじゃなくて、今度はちゃんと正門から」
「そうしたら今度はずっと一緒にいられる?」
シャリーは両手で握った彼の手に頬を寄せた。
「一晩だけじゃなくて普通に滞在できるよ。君が勇者と一緒に危険な旅にでなくても良いようにしてあげる」
「待ち遠しいけどちゃんと待っているわ。平気よ。祭司長様はとても良くしてくださるの。聖女とか勇者とか気にせず、私が望む道を選びなさいっておっしゃって、うるさい人達から庇ってくださったのよ」
彼が心配そうに眉をひそめたのを見て、シャリーは声を明るくした。
「大丈夫。ルイ兄さんもいるし。そうそう!ソルったらすごいのよ。正式に聖堂騎士になったの。もう銀色の甲冑も着て、とってもカッコいいんだから。それでね、"氷の騎士"なんて呼ばれてるのよ。あんなに優しいのに不思議でしょ?」
「そうだな。今度来たときはお兄さん達にもちゃんと会えるから、みんなでソルの騎士就任をお祝いしよう」
「素敵。楽しみだわ」
シャリーはじっと彼を見つめた。
「もう行っちゃうの?」
「ああ、帰ってここに来る準備をするよ」
「もう少しだけここに居て……」
「でも君は疲れているみたいだし、早めに休んだ方がいい」
シャリーは、このどうしようもない男に、それならとひとつお願いをした。
「あなたの力をすこしわけて。そしたら、私、きっと元気になれるわ」
彼は戸惑いながらも、そんなことで良ければ、と了承した。
『おーさま、らんぼうはダメだよ』
『そっと、やさしくね』
『それはわかっているけど、えーっと、どうすれば……』
精霊力の譲渡に関しては、いろいろとやらかした前科があるために、おたおたする彼の隣でシャリーは身を起こした。
そして、そのまま彼の胸元に身を寄せた。
「抱きしめて」
彼は言われたとおり、彼女のほっそりした身体を、自分の精霊力で包み込むようにして、優しく抱き寄せた。
「お休み」
「おやすみなさい」
いつも通りの挨拶を交わして、彼が消えたあと、シャリーは彼にとってはいつまでも自分は子供でしかないのが悲しくて、妖精達に隠れて少しだけ泣いた。
薬草園で薬草について教わっていたとき、シャリーは王都からの客人の訪れを告げられた。
「うれしい!こんなに早く来てくれるなんて」
「良かったですね。シャリー。ずっと待ってた方なんでしょ。今日はもうここまでにして、お会いしにいってらっしゃいな」
「ありがとう。ミルカ」
準学士のミルカは、シャリーよりも2つ年上のお姉さんだった。
「あなたも一緒に来て」
「ええ?いいのかしら」
「大丈夫よ。回復魔法を教えてくれた先生で、私の一番のお友達ですって、彼に紹介したいの」
「恥ずかしいわ」
困ったようにはにかむ引っ込み思案のミルカの手を引いて、シャリーは王都からの客人に会いに行った。
普段は使われない貴賓室に案内されて、シャリーとミルカは不安になった。
「シャリー、あなたの待ち人ってそんなに偉い方なの?」
「いいえ。身分は普通の平民のはずよ……王都で偉い方にお仕えしたのかしら?」
貴賓室の扉の前で、小声で言い交わしていたとき、さっと風が吹いた。
『シャリー!逃げて』
「え?」
確認する間もなく、扉が開いた。
「うっわ、スッゲー美少女じゃん。ラッキー」
貴賓室にいたのは、奇抜な黒い服を着た若い男だった。
「なに?二人ともかわいいけど、どっちが聖女ちゃん?まぁ、どっちでもいっか。銀髪つるぺたロリとピンク頭の眼鏡っこ巨乳枠とか、そうそうこれこれって感じ直撃。二人ともパーティ入り決定ね。いっやぁ、やっとこれで王様からもらったハーレム許可が活きるわ。勇者サイコー」
ミルカとさして年の変わらなさそうな男は、よく分からない言葉をペラペラ喋りながら、椅子から立ち上がった。
気がつくとシャリーとミルカは部屋に入れられ、王都の兵士とおぼしき男達が背後で扉を閉めた。
「聖女様、勇者様にご挨拶を」
大祭司様がシャリーから遠ざけてくださっていたはずの嫌な男祭司が、勇者の隣でにまりと笑った。
何台も連なる豪奢な馬車と、エキゾチックで華麗な装束の騎馬兵の行列が小休止する中程にしつらえられた天幕で、川畑はこっそりため息をついた。
『非公式の訪問でこの仰々しさとは……帝国の公式行事には絶対参加したくないな』
『私が逃げ回っている理由が分かるだろう』
『非効率極まりない。聖都まで何日かかるんだ』
『そう嘆くな。先触れの返事が直に来る。明日には聖都入りできるさ』
「殿下、聖都に出した者が戻って参りました」
「では大祭司長のお招きに感謝して出発しようか」
「お待ち下さい。なにやら聖都でもめ事があったそうです。殿下におかれましては、安全のため、この1つ前の町にてお待ちいただきたく」
「もめ事?……詳細を知らせよ」
「は。聖都に潜伏していた邪神教徒を王国兵が捉えようとしたところ、聖堂騎士の一部が王国兵に反抗したとのことです」
「なに?邪神教徒?」
「魔王復活を目論む者達です。経緯の詳細は未確認ですが、潜伏していた邪神教徒は離反した聖堂騎士とともに聖女を誘拐して行方をくらませたようです」
「なんだと!」
顔色を変えた皇子の背後で静かな声がした。
「護衛長殿、聖都には行ったことがあり、土地勘も、僅かながら知古もあります。言葉も通じます故、ぜひ先んじて状況の確認に行かせてください」
皇子は恐る恐る振り返った。王国の侍従の正装に身を包んだ青年は、普段と変わらぬ静かな佇まいで控えていた。しかし、彼の傍らに常に瞬いていた青と黄色の輝きは見当たらず、代わりに日頃は押さえられているのであろう彼の精霊力がふつふつと沸きたつように立ち上っている気配がした。
皇子は声が震えないように、必死に冷静を装った。
「行け。聖女の安否を確認してこい。単独行を許可する。必要なものがあれば何でも持っていくが良い」
「ありがとうございます。では、馬を1頭お借りいたします」
するりと青年の気配が遠のいて、ようやく皇子は自分が息を詰めていたことに気がついた。
「大聖堂への使者をたてる。書簡の用意をせよ」
「は」
皇子は、邪神教徒だかなんだか知らないが、彼の敵になった者に、若干の憐憫を感じた。




