補佐官改め侍従心得見習い
「帝国の皇子ぃ?」
「はい。名目上は見聞を広めるための外遊で非公式訪問ですが、勇者様ご光臨のお噂を聞いて、いらっしゃったものと思われます」
「めんどくせぇなぁ。帝国もどうせなら皇子じゃなくて皇女送ればいいのに、気が利かないこった」
「勇者様、あまり滅多なことを口にされませぬよう……」
おろおろする大臣を鼻で笑って、アキラは暖炉の前の椅子から立ち上がった。
「それで、そいつとはどこで会うわけ?」
皇子との会談場所は中庭に用意されたテーブルだった。テーブルの周りには薄い紗の天幕が張られ、見慣れぬ鎧をつけた警備の兵達が、王国の近衛と共に立っていた。
「王国は寒いね」
にこやかにそう声をかけた皇子は、あきれるほど薄着だった。上半身は裸も同然、下は上等そうな艶のある腰帯と少し透ける下履きといった有り様で、実質その浅黒い肌を被っているのは、びっくりする量の装身具だった。皇子は、見たところ年の頃は20代半ば、この世界の職業軍人全般と同様に長身で筋肉質な身体だったが、王国騎士よりもしなやかで均整のとれた体型の美丈夫だったので、そんなとんでもない格好が恐ろしく様になっていた。
「こんなところに呼び出してすまない。暗い石造りの部屋と暖炉というのはあまり馴染みがなくて」
天幕の中は不思議に暖かく、テーブルの脇には、大きな花瓶にゴージャスな花が生けてあり、花の香りでむせかえるようだった。
皇子は花を背にゆったりと腰かけると、見せつけるように足を組み、烏の濡れ羽色と表現したくなる艶やかな黒髪を無造作にかきあげた。
「はじめまして、勇者殿」
生まれながらに君臨し、称賛されることに慣れきったゴージャスイケメンのオーラにあてられて、流石のアキラもとっさに"滅べ"以外の言葉が浮かばなかった。
「(くっそう、この容貌と服装が標準なら、皇子じゃなくて皇女送れ!帝国のバカどもめ!!)」
怨嗟の言葉を飲み込みながら、勇者アキラは、ぼそぼそと挨拶した。
エキゾチックな美貌の皇子は、会談の間、終始にこやかだったが、会話はまったくはずまなかった。
馬屋の前で子供たちに文字を教えていた川畑は、騎士団長の部屋に呼び出された。
「来たな。ハーゲン」
部屋には、機嫌の良さそうなバスキンと、機嫌の悪そうな口入れ屋のイナビがいた。
「何かありましたか?」
「まぁまぁ、座りたまえ」
言われるままに腰をかけると、隣でイナビが小さく「すんません」と謝った。怪訝そうに見上げるとバスキンは胡散臭いほど明るい声で言った。
「そんなに警戒することはない。いい話だ。君には明日から、うちの補佐官として働いてもらう」
「は?」
「馬丁よりも給料はいいぞ。やりがいもあるし、君の能力も十分に活かせるし、正当に評価もされる」
バスキンは、小さい子供が見たら泣きそうな笑顔で、契約書を差し出した。
「このとおり、手続きも完了している」
川畑は眉間にシワを寄せて契約書を精査した。本人が預かり知らぬところで完結したという以外は、一分の隙もない正統な契約書だった。
「お断りします」
川畑は契約書を突き返した。
「残念だが、これは打診ではなく、命令だ」
川畑の困った顔をみて、バスキンはたまらずに吹き出した。
「権力のこういう使い方をしたのは初めてだか、これはいかんな。痛快すぎて癖になりそうだ」
「そういえば、ご挨拶が遅れました。ご出世おめでとうございます」
「嫌みかね?似合わないから止めておけ」
「慣れない権力の使い方をすると痛い目をみますよ」
「そう脅すな。勇者見物ならもう十分にできただろう。4年前にお前を手放したのは失敗だった。お前が馭者台の上からやっていたことを、もっと大規模にまっとうなルートでやらせてやる。もう一度、私の元で働け」
さしあたって現在、帝国の皇子一行が来ているが、皇子本人は多少王国の言葉が通じるものの、家臣団のほとんどは言葉が通じず、色々と問題が起きていると、バスキンは説明し始めた。
「明日からといわず、今すぐに通訳としてでも入ってもらいたいんだが……どうせ今日はもう勇者の外出はないしかまわんだろう」
バスキンは高額硬貨を幾枚かイナビに渡した。イナビは申し訳無さそうに川畑の方をみたが、黙って金を受け取り、馭者としての契約書の完了日付を昨日に書き換えた。
「あからさまにひどい」
「身寄りのない流民が、口入れ屋に身売りするとはそういうことだ」
あっさり言われて、川畑はここが人権という概念がない世界なのを思い知らされた。
「皇子殿下は大変穏やかで友好的だが、なかなか喰えないお方だ。帝国流に奔放に振る舞われてはいるが、あれで実質は知的で冷静な人物だから、侮って迂闊な振る舞いをするなよ」
皇子の護衛の責任者に顔合わせすると言われて、バスキンに連れられて中庭に来た川畑は、ちょうど立ち去る勇者の後ろ姿を見かけた。一応あとで一言ぐらい挨拶はしておこうなどと考えていると、視野の隅で何かキラキラしたものが、奇声を発した。
「そして火の中に飛び込みもしよう、君のためなら!ああ、我が魂の主よ!!」
両手を広げて猛然とタックルしてきた"不審者"を、川畑は思わず、かわし際に投げ落とした。
「殿下ー!?」
「ご無事ですか!殿下!!」
「この狼藉者め!」
あわてて駆け寄ってきた護衛に取り押さえられながら、川畑は目の前で目を潤ませているナゾのイケメンを二度見した。
「え?……殿下?」
バスキンが"知的で冷静な喰えない男"と評した帝国の皇子が、完全にご乱心としか思えないさまで、熱烈に自分を抱き締めてくるという現実を受け入れられなかった川畑は、周囲の護衛ごと、皇子をぶん投げた。
「皇子殿下に狼藉を働いたかどで、この者…俺ですね…の身柄は帝国にて預かる。……だそうです」
護衛長に告げられた自分の罪状と処遇を、冷静に自分で通訳するハーゲンを見ながら、バスキンは顔をひきつらせた。
間の悪いことに、書類上、ハーゲンは勇者の馭者を昨日辞め、明日から騎士団に配属になることになっており、今日の身分はただの非正規な臨時雇いの通訳だった。
「という訳で、なんの問題も無さそうだから彼はもらっていくね。なぁに、特に罰則を下したりする気はないから安心してくれ」
皇子はニコニコしながら、バスキンに提出させた各種書面を自分の書記官に渡した。
「その者はそちらの書面にもありますとおり元々ただの馬丁でして……その、ご無礼の段は申し開きもございませんが、殿下のお側仕えに上がるには何の心得もありませんし、罪に問う気がないなら、是非お考え直しを……」
バスキンは冷や汗をかきながら、それでも食い下がってみたが、無駄だった。
美しい皇子は夢見るようにうっとりと言った。
「ああ、彼が馬の世話しかできないというのなら、私は馬になりたい!」
流石に誰も何も言わなかったが、その場にいた王国兵全員がドン引きした。
川畑はもはや一周回って他人事のような気分になっていた。
『おーさま、いきしてる?』
『いきてる?』
返事がないので、上着のポケットの中のカップとキャップは恐る恐る外を覗いた。外では黒髪の男が馬になりたいだのなんだの戯言をほざいていた。
『あ、あのこしってる』
『妖精王様がうまにしたこだ』
『あ゛?』
カップとキャップの頭上で、喉の奥から漏れたような呻き声が聞こえた。
『お前、あの時の黒馬か……』
川畑の声にならない声に、皇子の顔が花開くように綻んだ。
『覚えていてくれたんだね!我が魂の主!妖精王の城から帰ってきてもいつかまた必ず会えると信じていたよ。なぜ妖精王の友人たる我が主がこの様なところで下男のような扱いを受けているのだ。もしや非道な扱いをされて記憶を失っているのではないかと心配したぞ。ここな王国の兵どもが無体を働いたなら、みな私が罰してやる。さあ、一言命じてくれ……』
『待て』
黒い瞳をキラキラさせながら物騒なことを妖精語でまくし立てる皇子を、川畑は止めた。流石に衆人環視の中で妖精語で会話は不味すぎる。
しかし、そう思って確認した周囲の兵士達の目の焦点は微妙に会っていなかった。
『お前、何かしたのか?』
『混乱の精霊魔法だ。せっかくの主との会話を邪魔されたくないから少しの間、静かにしてもらった』
皇子はちょっと悪い笑みを浮かべた。川畑は目眩がした。
『俺も混乱気味だ。とりあえず、そういうことなら今のうちに言っておく。俺はここでは妖精王との関係は伏せている。明かすつもりもないので、黙っていてくれ』
『お望みとあらば、我が君』
『それと、王国では良くしてもらっている。そのバスキンさんにも世話になっているから、罰したりしないでくれ』
『ほほう。世話になった?』
『いや、どちらかというと世話をしたほうかな?一緒にしばらく旅をしたことがあって』
『ほほー、主に世話されて二人旅』
皇子の目が怪しく光った。川畑は何かを失敗した気がしたが、騎士の二人旅の世話をしてたからその言い回しでも間違っていないのか、三人旅と訂正すべきか、迷っているうちに周囲の者達が正気を取り戻したので、結局、黙った。
書記官が先ほどの書面の控えを作り、持ってきた。皇子は目の前で、バスキンに間違いがないことを署名させた。
「では、原本はお返ししよう。あとこれもな」
皇子は含むところだらけの目線でバスキンを見下ろすと、ハーゲンを帝国が連行する旨を記載した書面を押し付けて、勝ち誇るように鼻で笑って踵を返した。
「ぐ、……かしこまりました」
トンビどころか大鷲に油揚げをさらわれたバスキンは、なぜそこまで大鷲がこの油揚げに固執するのかまったく理解ができなかったが、逆らう訳にもいかず礼をとった。
「では奥様は、彼が帝国の間者だったとお考えで?」
「状況だけ見ればその可能性はあるわ」
侯爵夫人はグラスをおいて、傍らに控える侍従長をちらりと見た。
「4年前に突然現れて、それ以前の経歴は不明。勇者関連のあれこれに驚くほどの手際で食い込んで、関係者には一通り面識がありながら表舞台では無名。こんな一般人がいてたまるもんですか」
侯爵夫人は暖炉の火を眺めながら、干果を1つ摘まんだ。
「それで、あの騎士団長が目をつけて自分の下で監視しようとした矢先に、帝国の皇子自らが強引な狂言で取り込んだんでしょう?」
小さく切られた干果を口に運んで、侯爵夫人は指をなめた。
「あのぼさっとした朴念仁に、皇子様が一目惚れしたっていうより、よほどありそうな話だわ」
「そのぼさっとしたのに奥様もご執心のようですが」
侍従長の言葉に侯爵夫人は眉をひそめた。
「いやぁね。いくらなんでもあれに一目惚れはしないわよ。殿下は一目見た瞬間から凄かったらしいけど。……あのキザなカッコつけたがりが、愛の言葉を叫びながら突進して、投げられたって聞いたときは、耳を疑ったわ」
「きれいに一回転したそうですな」
侍従長は喉の奥で笑った。
「2回目は取り押さえていた護衛ごと宙を舞ったってのが、最悪よ」
「その後、膝に取りすがろうとした殿下を足蹴にしたそうです」
「……見たかったわ、それ」
「そこで騎士団長殿が止めに入ってようやくその場は収まったようで」
「むしろよくそれでお咎めなしで済んだわね。そこまで本格的な"狼藉"を働いているとは思わなかったわ。……帝国の間者の線はないかしら?皇子の狂言に乗ったにしても、ちょっとあり得ないかも」
侯爵夫人は、プライドの高い帝国の皇族が、あの凡庸な風采の馬丁の膝にすがって、冷徹に足蹴にされているところを想像した。
「関係性がさっぱりわからないわ」
侯爵夫人はため息をついて、グラスの中身を飲み干した。
「という訳で、私があなたを3日間指導することになりました」
「侍従長殿、事情がさっぱりわかりません」
川畑は侯爵家の王都の屋敷で、いつも通りの笑顔の侍従長を前に、硬い椅子に座らされていた。
「王国の騎士団長が連れていた人物が、帝国の皇族に狼藉を働き、帝国に連行されたというのは、外交的に非常に好ましくない事態なので、政治的な取引がありました。あなたは殿下の接待役として当侯爵家より派遣されます」
「それは……」
かなり無茶な取引が行われたのは想像にかたくなかった。
「この3日で、あなたに最低限の作法と上流社会での常識を叩き込みます」
「無茶だ」
「大丈夫。接待役とは建前で実質は皇子の奴隷なのは、皆、承知してのことです。あなたは権力者に服従するとはどういうことかを身につければよろしい」
川畑は絶句した。侍従長の目は全然笑っていなかったが、どことなく楽しそうだった。
「まずはこの3日間、私の言いつけにはすべて従っていただきます。時間がもったいないので、逃げと抗弁は禁止します」
「質問は?」
「有益なものなら」
「はい。侍従長、質問です。どうしても無理なことは断ることはできますか?」
「大丈夫。ちゃんと教えてあげますから、自分からやらせてくださいと言えるようになれますよ」
川畑は真剣に逃亡を検討した。
「あなたが逃亡した場合、責任はすべてバスキン騎士団長殿が被ることになっています」
「んなっ!?」
「信頼されていますね。あれほどのお方の命をお預かりしているとなれば、身が入ることでしょう」
追い詰められた立場の川畑に、侍従長は助け船を出した。
「ところで、殿下とあなたがどういう間柄なのか、事情を教えていただければ、事情を考慮して教育方針を変更しますが、いかがいたしましょうか?」
川畑は、変更しない場合のプランを尋ね、返答の冒頭部分を聞いただけで、そのコースだけは絶対に回避しようと思った。
「皇子殿下?とは、以前あったことがあるらしい。俺はその時、相手がここの隣の帝国の皇子だとは知らなかったし、彼はもう少し若くて格好もずいぶん違ったから、俺は全然わからなかった」
「それで?」
「こっちはすっかり忘れていたんだが、あちらはなぜか俺のことをすごくよく覚えていて、一目でわかったらしい」
「殿下があなたをよく覚えていて、あのような態度をとられた理由に心当たりは?」
「俺と出会ったとき、あいつは独りだったし、かなり面倒な状態になっていたから、それで俺に助けられたと錯覚してるんじゃないかな?何だかんだで無事に帰れたわけだし。何であんなに変なのかは知らん。出会った当初はおとなしくてまともだったが、気がついたらあんなうざい感じだったような気がする。でも、何を話したとかは、全然覚えていないな。実質、半日も一緒にいなかったはずだ」
侍従長は目を細めた。
「どこで、出会ったんですか?」
「森の中の草地だった、場所の名前は知らんし、案内しろといわれても連れていけない」
「いつ頃の話です?」
「数年前。あいつ、公の場に姿を見せなかった時期があるんじゃないか?その時だ」
「殿下は非公式での外遊が多いお方です」
侍従長は真剣な面持ちでなにやら考えていた。
「なんとなくわかりました」
侍従長は、教育プランを変更すると言って、川畑を安心させた。
「まずは、帝国の皇族を"あいつ"呼ばわりし、"変なうざい奴"と平気で評するところから直しましょうか」
「ぐ」
「無意識ですか。……先は長そうですね。睡眠時間は諦めてください」
ああ、うちに帰りたい。
その後の3日間、川畑は何度もそう思った。




