静かな苦行者
『』は妖精用の会話のため、一般人には聞こえません。
「ハーゲン。貴方、うちに来たのならちゃんと挨拶しに来なさい。馬小屋に貴方がいると侍従長に教えられてびっくりしたわ」
侯爵夫人は穏やかながら有無を言わせぬ声音で、目の前で恐縮する青年をしかりつけた。
「それで、貴方が馬丁なんて何の冗談なの?」
「いえ、真面目に務めさせていただいております」
「あら、そうなの。じゃあ、3倍出すからうちに来なさい。勇者様には別の馬丁をうちから出します」
「奥様、それは」
「貴方、3年前にうちのめぼしい食客の技を洗いざらい盗んでとんずらしたでしょ」
「侯爵夫人ともあろうお方が、"盗んでとんずら"などというお言葉を使われるのはいかがなものかと」
「黙らっしゃい」
侯爵夫人はピシャリと言った。
「まずは、あれからどれくらい腕をあげたのか見せてもらうわ。そうね、勇者様と戦っていただこうかしら」
「そればかりはご勘弁を」
「あら、そう」
侯爵夫人は罠にかかった獲物をなぶる目付きで、薄く笑った。
「では、うちの侍従長とやってちょうだい。貴方が勝ったら、うちの侍従になってもらうわ」
「では、不戦敗で。まだまだ未熟の身なれば、侍従長殿にはかないません」
「負けるなら、うちでみっちり修行してもらうわよ」
「奥様、それでは逃げ場がありません」
「バカね。逃がさないっていってるのよ」
「わかりました。私の負けです」
可哀想な青年は、腹をくくったのか、下げていた頭を上げた。
「その条件、承りました。侍従長殿に勝った場合はこちらで働き、侍従長殿に負けた場合は、現在こちらにいらっしゃる食客の師匠方の技を修得できるまで修行させていただきます。ただし、勇者様には一切の事情を伏せてくださいますようお願いいたします」
「ええ、いいわ。潔い子は好きよ。侍従長、支度しなさい」
「いえ、それには及びません。侍従長殿には不戦敗ということでお願いします、侯爵夫人」
侯爵夫人は、目の前の男の顔を見て、自分のミスに気がついた。
「悔しい。また逃げられたわ」
侯爵夫人は去っていく馬車を見送りながら、膨らませた頬を扇で隠した。
「あれは仕方ありますまい」
侍従長は半白の頭を振った。
「お前も、うちの無駄飯くらいどもの大半が勇者にやられて治療院送りになっていたこと、ちゃんと教えなさいよ」
「奥様も試合をご覧になっていたのでご存じだと思っておりました。それに彼は、"無駄飯くらい"じゃない先生方からは、約束通りきちんと1つずつは技術を修得されていかれましたし」
「それが悔しいのよ!"初心者にもできる護身術を1つ教えてください"って頼むなんてずるいわ」
「それは確かに。ですが一介の馬丁が申し出るにはむしろ妥当な申し出ですな」
「あれのどこが一介の馬丁の動きなの」
「先生方もそれは承知で、あまり初心者向きとは言えない技を教えていらっしゃった方もいたようですが」
「それにしたって見たでしょ?なんなのあの飲み込みのよさ。本格的にしごいたらどこまでのものになるかって、お前だって思うでしょう」
侍従長は無表情で黙々と一連の技を披露してから、一礼した青年の姿を思い出した。
「いやいや、奥様。あれはあれでかなり無理をして意地を張った結果ですから、そうそう虐めてはいかんでしょう」
「そうかしら」
「少し甘いくらいにしておいてやれば、またノコノコやってきます。ああいうのは構いすぎるとなつきませんよ」
「簡単になつかれるのもつまらないけれど、やっぱり腹は立つわね」
「勇者様は、お気に召さなかったので?随分、親しくしておいででしたが」
「だって、あの子、戦闘は力押しだし、煽てれば調子に乗るし、誘えばなびくし、単純過ぎてつまらないんですもの。私、強い男は好きだけど、強いだけの男は飽きちゃうのよ。大人しい顔して内心でこんちくしょうって思っている獣を飼い慣らす方が愉しいわ」
「そろそろお部屋にお戻りを、奥様」
いつも通りの笑みで一礼する侍従長を一瞥すると、侯爵夫人は悠然と笑って踵を返し、颯爽と館に戻った。
『おーさま、おつかれさまー』
『さまー』
『もーいやだ。二度とあんなとこ行くもんか』
涙目の川畑は馭者台で、妖精のカップとキャップに慰めてもらっていた。
『くっそバカ野郎どもめ、人間がほいほいあんなファンタジー武術できるわけないだろう。初心者向けの護身術っつってんのに、縮地とか抜刀白刃崩しとか無覚空気投げとか、どいつもこいつもムチャばっかり言いやがって。死ぬかと思ったわ』
『おーさま、ぜんぶできてたよ』
『さすが、おーさまはにんげんじゃないねぇ』
『人間やめそうになるほど練習したわ!もーしばらくトレーニングルームには入りたくない。できるようになるまで出ないとか、変な自分ルール作ってやっちまったせいで、実質どれくらい籠ってたのかわからないのがまじで怖い。あそこ完全に別法則適用するために異界分離したから時間設定がわかんないだよ!』
『でも、おーさま、いつもどおり、きえたらすぐかえってきたよ』
『うん、すぐできるようになってた~』
『ううう、俺にとってはすぐじゃないんだけど、お留守番してたお前らには一瞬だよなぁ』
『おーさま、なかないで。よしよししてあげる』
『おなかへった?おいしいものたべたらげんきでるよ』
川畑は顔をあげると、虚空から果実を1つ取り出した。
『一応、死にそうになったら人魚のところでこれもらっていたから大丈夫っちゃぁ大丈夫なんだけど。なんかまともに食うという概念を忘れてたなぁ。まじで俺、人間やめてたかもしれない。……もう一個食べとこうかな』
川畑が剥き始めた果実を、妖精達は不思議そうに眺めた。
『おちゃに入れるジャムとおなじにおい?』
『ボクたち、たべたことないミだね』
『仙桃だよ。少し分けてやってもいいけど、これ、星気体に直接影響するからなぁ。精霊力でできてるお前たちが食べると体自体が大きくなるかもしれないぞ』
『おおきくなる?』
カップとキャップは顔を見合わせた。
『巨大化したら俺の部屋に入れなくなる』
『えー、やだー!』
『でも、おいしそう』
カップとキャップは、川畑の肩から膝の上に移って、皮を剥きかけの桃をじっと見た。
『ちょっとだけ食べたら、モルルンぐらいの大きさになれるかな』
『モルルンぐらいの大きさなら、お部屋に入っても大丈夫だよね』
妖精達はキラキラした目でおねだりをした。
『ちょっとだけちょーだい!』
川畑はナイフで薄く実を削いであげた。
『いきなりがっつかずに、様子をみながら食べろよ』
カップとキャップは実の端っこを噛った。
『おいしー』
『あまーい』
『たしかにうまいんだよな、これ』
残りの実を食べていた川畑は、突然、膝の上で大きくなったカップとキャップを見て、種を喉に詰まらせかけた。
美少年とも美少女ともどちらにも見える幻想的な生き物が、両膝に一人ずつ座っていた。美化禁止設定対象外のため、翻訳さん渾身の作画だった。
『わーい!おっきい』
『おーさまがちいさいけど、やっぱりおおきい!』
『ほらほら、だっこぎゅーするとおててがちょうどとどくよ』
『ほんとだ!すごーい』
馬の歩みが乱れて、馬車が大きく揺れた。
『待て……お前ら、ちょっと離れろ』
『やだー。おんぶとか、かたぐるまとかしてほしい~』
『カップ!たいへんだ!おっきくなったら、うわぎのうちっかわにカオしかはいんないよ!』
『ええっ!どうしよう。ボタンはずしたらはいれない?おててがおおきいからボタンがはずせるよ』
『まって、いま、やってみる』
『ボクもてつだうよ』
『やめんか!バカもんども!!』
道の脇の梢から、小鳥が数羽飛び立った。
『結論。お前らはちっこい方がいい』
『えぇー』
『ブーブー』
馭者台の足元に正座させられたカップとキャップは激しくブーイングをした。
『うちでやってるみたいに、こっちの世界でも俺の眷属化して、星気体の事象面への干渉構成調整してやるから、大人しく元の大きさに戻りなさい』
『せっかくおおきくなったのに』
『つまんない』
『つまんないことはないぞ』
川畑は手綱を手繰って、街道の分かれ道を北に入りながら、滔々と説いた。
『体が小さくなっても、パワーは大きくなったそのままだからな。お前達、ネコさんより強いネズミさんとか、ボーリングの玉持って爆撃するカナリアさんとか好きだろ』
『ふわぁあ!』
『ほわぁあ!』
『それに大きいままだと、もう俺の上で休憩はできないし、寒くても眠くても懐には入れてやらないし、キャンディもらってもひと口で無くなっちゃうけど、それでいいのか』
『やだー!』
『ちっちゃくなる~!』
脚にしがみついてくる二人を見ながら、川畑はふと気がついた。
「(あれ?俺、この後、このデカイ世界の設定にインタセプトかけて、精霊力のくそめんどくさい調整を二人分やらなきゃいかんのか?)」
考えるだけで気が遠くなった。
「(ああ、うちに帰って普通の生活がしたい)」
行く手には雪を被った高い峰がそびえていた。




