水晶の砂州
あまり驚くと、人間、悲鳴はでないらしい。
着るところだったのか、脱ぐところだったのか、Tシャツを半分たくしあげた状態で、彼女は呆然と、ベットの上の川畑を見下ろしていた。
目、大きいなぁ。
川畑はふと視線を下げた。
それに色白くて、細い。
「ひぅっ」
声にならない妙な声をあげて、彼女はあわててシャツの裾を下ろした。
「あ、すまん!俺は、その……」
怪しいものでしかない。状況を客観視したとたん、川畑は青ざめた。正直、通報されても仕方のない不審者である。高校生ぐらいの女の子が着替え中の私室に、勝手に入って、ベットに転がってるって、状況を列記しただけで100%敗訴の変質者だ。
「と、とにかく、悪かった」
あわてて上体を起こすと、意図せず彼女に迫る体勢になった。耳まで赤くなっているのが、よくわかった。
(怒るよな。そりゃ)
申し訳なくていたたまれない。
「とにかく、すぐに出ていくから!」
川畑が、降参する犯人のように両手を挙げたとき、突然、穴が開いた。
二人は穴に落ちた。
穴があったら入りたい……ってこういうことを望んだわけじゃないんだが、と川畑は内心で嘆息した。
落ちた勢いで地面に身体を強く打ち付けてしまった。身体は丈夫な方だが、流石に背中が痛い。
「あの……」
穴に吸い込まれるとき。とっさに受け止めたので、女の子は無事だったようだ。
「大丈夫か?怪我とか痛いところはないよな」
ただ、よほど怖かったのか肩が微かに震えている。
「あの……」
体温も高い。
潤んだ目で川畑を見下ろしている。
「あの……」
「何?」
川畑は、彼女を落ち着かせるために、できるだけ優しく声をかけた。
「……手、離してください」
「ごめん」
川畑は、彼女を抱き抱えたままだった腕を、パッと離した。
気まずい。
しどろもどろながら、いきさつは説明した。が、いかんせん非常識な上に、川畑にもわからないことが多すぎる。
「状況はわかりました」
「えっ!?わかったのか?」
離れたところに座っていた彼女が、ちらりと川畑を見上げた。
「わざとじゃないんですね」
「もちろんだ!君のところに行くつもりは全くなかった」
そこに関しては胸を張って言える。
彼女は不機嫌そうに少し眉を寄せた。
「それで、ここがどこか、わからないんですね」
「……ああ」
そこに関しても、肯定せざるを得ないのが不甲斐ない。川畑は真っ暗な空を見上げてから、周囲を見回した。
「見覚えがないところだ」
黒々とした闇のなかに、蛇行する何本もの河と、その間に広がる砂州が、銀色に光っていた。
「石の中に灯が灯っているね」
「石を割ると火花が散るが、砕けた欠片ごとに、中に光が残るな。砂粒各々が発光しているのか」
カッターナイフをしまうと、川畑は砕いた欠片を払った。
なんとかお互いに気持ちを切り換えて、周囲の様子を確かめたところ、すぐにここが単なる砂州でないことがわかった。足元の小石や砂粒は、皆、透明な水晶の結晶のようで、中で光がチラチラと瞬いていた。
「不思議だな。川幅が結構あるから河口付近ぽいのに、礫の表面が磨耗していない」
「不思議に思うとこ、そこなんだ」
彼女は、観察していた小石を持ったまま、川畑の方に数歩近付いた。小石の微かな光をかざして、川畑を見上げる。
「ねぇ、まさか髪の毛、濡れてたりしないよね?水に落ちた覚えがあるとか」
「いや?穴には落ちたけど」
「ごめんなさい。あまりに状況が不条理なので、実は死んでたオチとかやだなと思って」
「大丈夫。カンパネった覚えはない」
むしろ彼女の髪が湿っている気がするなと、手を伸ばしかけて、川畑は止まった。彼女の髪が湿っているなら、きっとそれは自宅で風呂にはいった直後だからで、そういうことを思い出させるのは、今の自分の立場としては得策ではない。うっかり着替え中に出現してしまった件は、可及的速やかに忘れてもらわねばならないのだ。
「あー、いつまでも中洲にいると、増水したら危険だから、移動しようか」
露骨な話題換えだったが、彼女は同意してくれた。
「足、痛くない?」
「君こそ、平気か」
「私は大丈夫。このサンダル?貸してもらってるし」
「歩きにくいだろう」
「ゆっくり歩く分には大丈夫」
「俺もゆっくり歩く分には大丈夫だよ。靴下履いてるから」
水晶風の小石混じりの河原を歩くのは、ちょっと足の裏が痛かったが、我慢できないほどではない。
黙って歩いていると、沈黙に耐えかねたように、また彼女が声をかけてきた。
「足元は明るいけど、かえって周りが暗く感じるね。ちょっと離れたら、見失いそう」
「歩くの早いか」
立ち止まると、彼女はあわてて首を降った。
「ううん。早くないけど、もう少し近くを歩いてもらった方が心細くないかも」
ちょっと気にしすぎたかな?と反省して、川畑は多少彼女に近付いた。確かに、見知らぬところでこれは、心細いかもしれない。
彼女は、まだなにか言いたげにしていた。よほど不安なのか、手を開いたり握ったり、そわそわしている。これは、避けるべき痴漢から、協力すべき同行者に扱いが変わってきているところなのかもしれない。川畑は一か八か声をかけてみた。
「えーっと、もし良かったら、はぐれないように……肘、持つ?」
「……。よ、よろしくお願いします」
彼女は頭を下げるようにして、うつむいたまま、川畑のそばに近付き、カッターシャツの肘のところを摘まんだ。
(なんか、思ってたのと違うけど、まぁいっか)
そのまま二人は、とりとめもない話をしながら、河岸を歩いた。
「向こうに見えるの、森か林みたい。木も光ってるの、きれいね」
「石と似たような色だな」
「奇妙な形ね。作り物みたい。枝も葉も白銀で」
「妙な不自然さがあるな。フィボナッチとフラクタクルを混ぜたような枝振りだけど、天然というには規則性もランダムさも足りない感じだ」
「CGのコピペ感があるかも」
点在する林のひとつに近づいてみると、木々はそれほど背が高くないことがわかった。3mそこそこしかないだろう。
近くでよく見ると、細い幹の内側を青白い光が流れているようだ。針のような葉を取ると、砂糖菓子かなにかのように折れた。枝の端を折ると切り口からは、青白い靄のようなものがわずかに立ち上ぼり、すぐに消えて、あとは足元の結晶と似たような無機質な断面になった。
「石と同じ原理で光っているのか、どうなっているんだろうなぁ」
「原理はともかく、真っ暗じゃなくなったのは、いいよね」
彼女は、川畑を見上げて、嬉しそうに笑った。よほど暗いのが怖かったらしい。シャツの肘を摘まんだ手はそのままだ。
「このまま木の側を歩こうか」
林沿いに進むと、じきに河口にたどり着いた。




