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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第13章 闇の破壊者

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誰がどこまで知っている?

 朝から日が陰りがちで小寒い早朝。解呪のためにシシィとティーラを神殿に送った後、アルバートは久しぶりに魔術師の塔に向かった。

 シシィを狙う奴がどうなったかは聞いていないが、騎士団は捜査を打ち切るとティーラ経由で連絡は受けていた。ヒューイがそう判断したということは、脅威は水面下で解決したのだろう。不安は残るが、すでに十分な助言はしたので、己が指揮を執っていない案件に口を出しすぎるのもどうかと思われた。

 念の為に、塔に行く前に騎士団の若いのに確認したところ、たしかに捜査は打ち切られていて、ヒューイは別件らしき仕事に忙しくしているとのことだった。


「そうか。がんばれよ、と伝えてくれ」


 それだけ言って、騎士団を立ち去る。神殿にせよ騎士団にせよ、今のアルバートにはあまり長逗留したい場所ではない。



 魔術師の塔に出向くと、長期休暇中に溜まっていた雑用が山積みされていた。


「なにか俺宛の重要案件があっただろう」


 細かい雑事を端から確認するのも煩わしくて、手近にいた見習いにそう言ってみる。この見習い相手の場合、「あったか?」と聞けば「ないです」と流されるが、「あっただろう」と言い切ると有効な回答が返って来やすいことは経験で知っていた。

 案の定、見習いは少し考えてから、「ああ、そう言えば」と言い出した。


「先日、アルバートさんにお願いしようとした件は、結局ルーサーさんにお願いしました。今日あたり、現地に行ってくださっているはずですよ」


 出てきた話は思ったより重要だった。



 §§§



 ルーサー・ドートネルは慣れない森歩きに苛ついていた。

 先を歩く大男がひどい藪は払ってくれるが、そもそも足元が悪い。大男の黒い外套の背で視界の大半がふさがれた状態で黙々と歩いていると気が滅入る。


「(くそっ、何もかも滅びるがいい)」


 口の中で何回目かわからない悪態をつく。ルーサーは、本来ならけしてこんなフィールドワークはしない男だったか、今回の話は見過ごせなかった。郊外の森で常にない魔力の異常が起きて、動植物に変異が起きているという。それは明らかに彼が待ちわびていた兆し……呪神の降臨の前触れだった。




 ルーサーはひなには稀な神童で天才だった。バカしかいない田舎町では持て余されたが、街から来た祭司に見出され、いくつかの伝手を経て王都の魔術師の塔に入るまでになった。

 彼は行く先々で無知蒙昧の輩に難癖をつけられ、不当にいじめられてきた。少年時代のルーサーは周囲に話が通じないのは己が悪いのだと思っていたが、青年になるにつれて不条理な現実に疑念を募らせ、最終的に周囲が愚かなのが悪いという結論に至った。

 魔術師の塔の連中も、上辺は賢そうに振る舞っているが、ただ既存の権威にあぐらをかいている愚か者ばかりだった。世を捨てて学究に身をささげた魔術師などと呼ばれているが、その実態は、暇と金に困らない王都の貴族のボンボンが、爵位を継げずに廃棄された成れの果てのような奴ばかり。内部で醜い派閥争いを繰り返しており、田舎の平民出のルーサーの才など、塔の中では雑用処理に使える程度にしか認識されなかった。


 先の見えない困難な悪路を耐えて、一歩づつ進むことをどれだけ繰り返しても道は開けない。そもそもルーサーが歩かされているのは道ですらなかった。

 ルーサーは万物を呪った。


 彼は魔術師の塔の空虚な研究ではなく、呪術に耽溺した。塔の魔術師の間では、呪術は失敗作であるがために禁じられた魔術と見なされていた。しかしルーサーは、田舎に住んでいた頃に彼に目をかけてくれた辻占いの婆が、ひっそりと請け負っていた猥雑で素朴な呪いに原点を見いだした。

 彼は王都の裏通りや貧民街、異国からの渡り人の溜まり場に足繁く通い、王都の魔術体系に組み込まれていない民間伝承の呪いを収集した。そうして総合的に再評価し、高度な魔術理論で再構成した呪術は、もはや昇華された芸術と言えると、ルーサーは自負した。

 しかし彼は塔の同僚にその研究成果を披露しなかった。平民出のルーサーがどれほど優れた成果を示しても正当に評価されるとは思えなかったからだ。


 呪術など害悪しかない失敗作であろう。

 出来損ないにはふさわしい。

 ブサイクで陰気で根暗で気持ち悪い。


 これまでルーサーが受けてきたのと同じ、知性と無関係な無教養な雑感が降ってくることは容易に想像がついた。

 ルーサーは塔の魔術師であることを隠して裏路地に出かけては、己の呪術を試した。裏路地の物乞いや食い詰め者がどうなっても、誰も詮索しないからだ。そのうちにルーサーは、辻占い婆がしていたように、密かに客を見つけて金をもらって呪いをかけるようになった。

 身元を隠しての"副業"は、いい金になった。


 その女は、そんな裏稼業の"実績"の噂を聞いて、ルーサーのところにきたらしかった。


「若い女を一人、破滅させてほしいの」


 顔を隠した女の声も若かった。手や首を見ても、それなりにいい身分にいる若い娘であることがわかる。依頼の報酬として提示された額も平民にはとても払えない金だった。


 腐ってやがる。


 ルーサーは反感しか感じなかった。依頼人の声音には底意地の悪さが滲んでいた。叩かれ踏みにじられる側だったルーサーは、敏感にそれを感じとり、その娘が"そっち側"であることを確信した。

 依頼人は、相手がどれだけ高慢ちきでいけ好かない女であるか並べ立てたが、ルーサーはまともに聞かなかった。

 彼はただ金を取り、依頼を受けた。


 地位目当てで愛のない婚約をしただけだの、婚約者の座にあるのをかさにきて大きな顔をするだの、真実の愛で結ばれている二人を妬むだの言われても、知ったことか!要するにお前が横恋慕しているだけだろう。

 挙げ句、呪いで相手を二目と見られぬ化け物の姿に変えてくれとは盗人猛々しい。


「ですねぇ」


 まったくもって、その依頼人はろくな女ではなかった。


「うんうん」


 だが、うら若い貴族の無垢な娘を、直接、強力な呪術の対象にできる距離まで連れ出してくれるというのだ。そんな機会はまたとはない。


「はあ」


 それに依頼人は、術の準備に必要な高価で希少な材料も依頼料とは別枠で用意してくれた。


「それは太っ腹ですね」

「だろう? だから、この際その胸糞悪い女もろとも、なにもかも全部破壊してやろうかと……ちょっと待て」

「はい」


 ルーサーは足を止め、彼の方を振り返った大男を睨みつけた。


「なぜお前が相槌を打っているんだ」

「すみません。黙ってお聞きしたほうがよかったですか」

「そういう話じゃない」

「はあ。なにかずっと話しかけていただいているので、少しは返事でもした方が良いかと」

「話かけていた?」

「小さなお声でしたが」


 それは独り言だ! と叫ぶかどうするかルーサーは葛藤した。

 他に誰もいない森の中で、目の前の男に愚痴をこぼす奴と、延々と独り言を言う奴の、どちらに認定されるのがマシかというのは、なかなか嫌な選択だ。


「……どこから聞いていた」

「森に入った頃の"何もかも滅びるがいい"のあたりですかね。街の方には歩きにくい所ばかりで申し訳ない」

「いや、それは……ぬうう」

「魔術師様もご苦労なさっていますね」

「貴様ごときに何がわかる」

「すみません。そちらのお気持ちがわかるだなんておこがましいことをいう気はないですが、まあ自分も華やかな人生を送ってきたわけではないですから」


 地位や名声や称賛からは縁遠そうな地味な大男はしみじみと言った。


「面倒な裏仕事の手伝いをちょいちょいしては、その日暮らしの流れ者の生活をしておりましてね。国のお抱えの偉い魔術師様よりもずーっとろくでもない身の上です」


 黒外套を着た大男は、ルーサーの愚痴と怨嗟を延々と聞かされた者とは思えない態度で、おおらかに「こんな自分でもよろしければ」と言った。


「話の続き、聞きますよ。吐き出したいことがあるなら言うだけ言ってください。相槌いらないなら黙ってます」

「……好きにしろ」

「で、市井の呪いを魔術理論で再構成した呪術って、いったいどういうものなんですか? 高価で希少な材料を使うというなら儀式的なことをするとか?」

「知りたいのか?」

「女の話よりはそちらのほうが」

「深遠なる魔術の真髄を語ったところで理解できぬだろう」


 己の理論を誰かに語って聞かせたい欲望にぎりぎり抗いながら、ルーサーは己の渋面を撫でた。


「でしたら、せめて神の降臨がどう関わってくるのかのあたりだけでもいいんですが……」

「そんなことまで口に出していたか!?」


 もうこの際、コイツ相手には好きなだけ話しちゃっても構わないのではないだろうかとルーサーは思った。

 ときおり質問と相槌を挟む相手に自論を語って聞かせるというのは、ルーサーがこれまでやりたくてもできなかった体験だった。これぞ天啓だと思った呪神との交感とはまた異なる、普通の人相手の会話だ。


 やってみたら実に楽しかった。

悪事を気兼ねなく大きな声で語って聞かせる悪役爆誕……。

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