報告も連絡もそつなく正しく隠し事は万全
「やあ、川畑さん。悪だくみは順調ですか?」
「藪から棒に失礼な奴だな」
いつも通り前触れなく出現した帽子の男に川畑は椅子を勧めた。
「まぁ、そこに座れ」
「では、ありがたく……」
立っていても座っていてもあまり変わらないであろう男は、それでも器用に1人掛けの籐椅子に座った形で収まった。半透明で下半身がグラデーションで消えている割には違和感のない座りっぷりなので、空中に浮かんでいられるよりは視覚的にマシだ。
「どうしたんですか。今日はご機嫌ですね」
「楽しい場所で面白いことに熱中していたところだからな……お前、邪魔だからさっさと帰れ」
「ああ。いつもの川畑さんだ」
帽子の男はニコニコしながら、辺りを見回した。
「ここは、えーっと? 魔女さんのところですか? あまり楽しそうな場所には思えませんが」
重厚な書架が四方の壁を埋め尽くし、高い天井までびっしり本や何かの模型や標本が詰まっている。
「ここの楽しさを解さないとは無粋なやつだ」
「地震のときは大変そうですね」
「この世界はマントル対流がない世界観だから大丈夫」
地球系物理科学とは無縁なファンタジー世界だと、川畑は手元で開いていた分厚い革表紙の本を指した。
「エネルギー収支も力学も何もかも無茶苦茶だが、ここはここなりの道理で成立しているのが面白いぞ」
「まぁ、時空内で世界が崩壊していないということは、主によって構築された何らかの理が成立しているというということですからねぇ」
「魔法定義階層があるんだから、凝ろうと思えば、色々設定が作れるだろうに、緩いの何のって」
川畑が指を鳴らすと、人差し指の先から小さな氷の竜巻が現れ、キラキラと銀色に輝く螺旋が立ち昇った。
「まぁ、魔法体系がいい加減な分、限定的に理論を足し易くて制御は楽だ」
川畑がふっと息を吹きかけると銀色の小螺旋が一瞬で消える。
「これだけ細部が曖昧で辻褄がいい加減でも、ちゃんと成立するところが凄い」
「川畑さんは他に類を見ないほど世界設定が精緻で複雑な世界の出身者ですからそう思うんですよ」
世の中はもっといい加減な世界が標準だと、いい加減な男は肩をすくめた。
「理屈が通っていたほうがむしろシンプルだと思うんだが」
「あの量の理屈をシンプルに理解できる存在ってのは稀有なんです」
数十億の主の積算の集合知で成立している世界を当たり前だと思われると困ると言われて、川畑は苦笑した。
「その世界も含む多次元時空の無数の世界を管理している時空監査局なんていう化け物組織は一体どんな奴が運営していることやら」
「さあ? 局長講話とか朝礼の訓示の習慣はないんでわからないです」
川畑は時空監査局の局長が、壇上で長話をしているところを想像してみた。……ちょっと想像がつかなかった。
「なくて正解だな」
「局員間の因果がつながっちゃうと各時空の流動性がおかしくなっちゃいますから」
必要になった時に、局所的な調整をするのが難しくなるのだという。
「調整って、不安定になったのを安定化させるとか、ループしちゃったのを解くとか、そういうのなんじゃないのか?」
「それ以外にも、しっちゃかめっちゃかになった路線を捨ててやり直させるなんてのもあるみたいです」
関係者が全員、つながっているとそれができないから、各局員の自由度は大きくて、放任気味なのだという。
「放任しているから、しっちゃかめっちゃかになるんだろう」
「時空調整の判定に影響を出すほどのやらかしを、個人でできるわけないでしょう」
時空監査官は表に出ず、ひそやかに活動することが原則なのでそれはないと、帽子の男は保証した。
「時空を乱すのは邪神やキャプテンみたいな存在で、私達は取り締まる側なんです」
「なるほど。それは大変だな」
「そうでしょう。大変なんですよ。川畑さんも他人事みたいな顔してないでちゃんと働いてくださいね」
「わかった。わかった」
「よし、これで非正規雇用局員の管理者チェックは完了っと……」と呟いて、帽子の男は最後にもう一度、川畑にしっかり働くよう念を押してから姿を消した。
「ゆるい組織だよなぁ」
川畑は空の籐椅子を片付けて、魔術師の塔の書架にあった資料を再び読み始めた。
§§§
夕方、アルバートが森の小屋に戻って来たとき、侍女のティーラはもう先に帰っていた。
「なんだ。早かったな」
「行きも帰りも馬で送っていただけたんです」
偶然、王都に用があった方と行き帰りの時間がうまく重なって、というティーラの話に、アルバートは察するところがあったが黙って頷くにとどめた。
「お手紙は渡してまいりました」
「何か言伝は?」
「特にはありません。魔術師の塔で、していただきたいお仕事があるという話はありましたが、休暇届は受け取っていただけました」
「それはなにより。塔の連中は隙あらば雑用を押しつけてくるからな」
苦い顔をしたアルバートを慰めるように侍女は微笑んだ。
「シシィ様とお出かけだったんですね」
「狭い小屋の中ばかりでもつまらないだろうから、ちょっとな」
散歩の途中で疲れたというからおぶってやったら、寝てしまったのだと、アルバートは背中の少女を起こさぬように、そっと下ろした。
寝台を汚さぬようにティーラが少女の靴を脱がしている間に、アルバートは木桶に水を汲んで来た。
「チミはどうした?」
この手のことをしていると必ず出てくる世話焼きな魔獣が見当たらない。
「じきにくると思いますけれど……ほら」
「なんだ。奥にいたのか」
小さい方のサイズで暗がりからスルリと出てきたチミは、アルバートの持っている桶を一瞥した。チミの耳の先の巻きひげが震えると、手桶の中から湯気が上がり始める。
ティーラは拭い布を桶の湯に浸して絞り、シシィの手足を拭った。寝台を整えて寝かせてやると、チミは上掛けの端を咥えて、少女にかけた。
「なんというか……マメな奴だな」
流れるような共同作業を侍女とこなす魔獣を、アルバートは呆れ半分の眼差しで見た。
「ありがとう、チミ。少しの間、シシィ様を見ていてもらってもいいかしら。アルさんにシシィ様の解呪の日程と段取りのご報告がもう少しあるの」
一つ頷いたチミは、完全に保護者兼守護者の態度で、寝台の少女の脇に寝そべった。
ここに来て日の浅い侍女さえ、もはやコイツを魔獣扱いも獣扱いもしていないな、とアルバートはいささか頭痛を覚えた。
>時空監査官は表に出ず、ひそやかに活動すること
川畑「大丈夫。ちゃんとやってる」
カップとキャップがいないとツッコミ不在!




