実質デートだが恋人未満
王都に連れていけとせがむチミを鞄に詰め込んで、アルバートは侍女のティーラを使いに出した。
近いとはいえ、王都までは女の足では気軽に往復できる距離ではない。そこで、アルバートはティーラを連れて、この森の端にある警備小屋に出向いた。
見回りのために駐在している大公家の衛士に、辻馬車に乗れる村まででもいいので送ってもらえないか頼んでみると、気のいい衛士は二つ返事で引き受けてくれた。小屋を借りるときや、その後の生活物資の補給でもお世話になっている顔なじみのこの衛士は「僻地の閑職でもたまには役得があるものなんだな」と上機嫌でティーラを自分の馬に乗せて王都まで送ってくれた。
王都の大門の脇の"関係者専用通用口"のところで大公家の衛士と別れたティーラは、大公家の関係者としてノーチェックですぐに中に入ることができた。詰め所の門番達は笑顔で「帰りはここに来てくれたら、僕が送るからね。夕刻ならちょうど勤務明けになるし」「俺なら夕刻じゃなくても送るよ」などと口々に言ってくれた。ティーラは愛想よく曖昧に返事をし、門番達に丁寧に礼を言うと、大路を王城の方へと向かった。
『いつもあんな感じなのか?』
『あんなって?』
『えーっと……』
周りの男の反応が露骨すぎる、と指摘できなくて川畑猫は鞄の中でもぞもぞした。
『帰りは俺が送るよ』
『ありがと。ふふ、仔猫とお散歩って楽しそう』
『ううむ、そうじゃなくて……』
『ここは猫のいない世界らしいから、郊外で人目がなくなってからね。それまでは鞄の中でいい子にしててね』
『……ああ』
侍女のティーラ役でこちらの世界を断片的に認識しているノリコは、川畑との会話こそ音声によらない思念のやりとりでやっているものの、逆に視覚や触覚としてはずっと黒い仔猫をかまっているせいで、すっかり川畑の仔猫扱いが定着していた。
『鞄の中、苦しくない?』
『平気だ』
『どこか人目のないところに入れたら、一度、外に出してあげるね』
肩掛け鞄の中に手を入れたティーラに、手探りで"いい子、いい子"と撫でられて、川畑はどうにもくすぐったい思いをした。
『王城前までは乗り合いの馬車に乗っちゃうのがいいのかな』
『そんなものがあるのか』
『ここの王都って意外に大きいの。えーっと、鞄の中じゃ見えないよね。今、私の見ている映像を送るね』
なるほど、街並みは以前に川畑が行ったことのある剣と魔法の世界よりもややテクノロジーレベルが進んでいる感じだった。中世というよりは近世寄りで、建物は3,4階建ての石造り。今いる大きな通りは、2車線道路どころの幅ではなく、歩兵部隊がパレードできる幅である。鉄道や航空機があった世界ほどではなさそうだが、馬車は多く行き交っており、乗り合いらしきものもいた。
『乗り場や行き先はわかるか?』
『偽体にオート行動でおまかせすれば、それっぽく最適行動してくれると思う。事前講習ではそう説明されたし……あ、できそう』
ティーラは迷いのない足取りで、道の端に停まっている小型の2輪馬車の方に向かった。オート行動なのだろう。彼女は大型の乗り合い馬車ではなく、その一頭立ての小型馬車の御者に話しかけ、料金交渉をテキパキと済ませた。
『貸切タクシーみたいに乗れるみたいよ』
『正規職員用の偽体の機能、便利だな』
『その世界でのカバー身分に応じた常識的で安全な行動がインプットしてあるのってありがたいよね』
おそらく、今のティーラの外見相当の身分の場合、乗り合いよりもこの手の馬車の方がこの街では常識的で目立たないのだろう。時空監査局は基本的に表立った干渉を嫌い、目立つ行動を避ける。
『なんだか観光地の人力車と感じが似てるかも』
人力車並の狭さのシートに座ったティーラは、カッポカッポと長閑に大路を行く馬車から見える光景を、観光客気分で川畑に実況した。
『ヨーロッパの古い町並みっぽいけれど、ドイツのロマンチック街道というよりはパリっぽいかなぁ』
『詳しいんだな』
『ほら、前に妖精のお城に行ったでしょ。時空監査官になるなら色々な世界に行くことになるかもって思ったから、ちょっと外国の街並みなんかを調べたの』
『勉強家なんだ』
『あっ、いや全然。そんなことなくて……ほんと、テレビで紀行番組観たとかそのレベルだから』
世界の街角の猫を紹介する番組を夜遅くに観たのを勉強に含めるのは罪悪感があって、ノリコは慌てて訂正した。ついでに"ロマンチック街道"は名前に惹かれただけだとか、パリのオープンカフェでデートっていう古典イメージは今でも実現可能なのか調べてみただけとか、新婚旅行でヨーロッパはなかなかありでは? と妄想したところで頭が茹で上がって思考停止したとか、そういう恥ずかしい記憶の細部はけして川畑に伝わらないように気を引き締めた。
『そういえば、異世界でのりことこういう古い感じの街を一緒に歩いたことはなかったな』
『前に一緒だったときは宇宙船の中だったり、学校や寮の敷地内だったものね……火星のパーティもホテルからホテルだった……し……』
そのホテル間の移動の時に川畑に膝の上で抱えられたのを思い出してノリコは言葉を途切れさせた。彼女にとってアレは思い出すだけで何か目眩がして危険な感じがする体験だった。
川畑は川畑で、ノリコが"地球への新婚旅行"の時の太陽系巡りの時のことをまったく覚えていない様子であることに、大いなる安堵と一抹の寂しさを覚えながら押し黙った。
二人はしばらく黙って馬車から見える街の景色を眺めていた。
『カフェってあるのかな?』
『どうだろう。茶や珈琲に相当する嗜好品の飲料を嗜む習慣が庶民にあるかどうかはわからんな。アルは酒は飲むが茶を飲む習慣はないし』
『お嬢様も貴族だしお小さいからあまり市井の基準にはならないものね』
以前、川畑が派遣されていた英国風やインド風の世界では喫茶の習慣はあった。あそこはかなり広い世界で経済活動がしっかり行われていて、交易範囲も広く、庶民の生活のクォリティも高かった。その前の妖精のいる中世風世界では貴族層にはきっちりお茶の習慣があったが、あれは最初にあの世界を築いた"主"が、川畑が知る地球圏出身の知性体で、そのイメージで文化的基礎を構築したからだろう。もっと小さな泡沫世界では世界全体のテクノロジーレベルの論理的整合性を全部無視してチョコパフェを出すカフェがあったことも川畑は知っていたが、今回の世界がどの程度ユルイのかを彼はまだ把握しきれていなかった。
『カフェに行きたいのか?』
『えっ、その、パリっぽいなって思ったから、その連想? かな。それだけ。別に今一緒に行きたいとかそんなことはっ』
『そうだな。どうせ今は俺は猫だから』
カフェがあっても入れてもらえなさそうだと思いつつも、川畑はちょうど通りがかった界隈に市場っぽい通りがあるのに目を留めた。
『ほら、今交差してた通り、商店が集まった市場通りっぽかったぞ。ああいう感じのところには露店もあることが多いから、今回の件が一段落したら一緒に行ってみよう』
『え』
『露店でなんか買って、街角のどこか静かそうなところでこっそり猫カフェごっこしてもいいんじゃないかな』
人間体の俺と二人でデートしてくださいと正面から誘いにくくて日和った川畑の提案は、変なところでノリコの好みにぶっ刺さった。
『川畑くんと猫カフェ……』
『嫌だったら無理にとは』
『ううん! 楽しみにしてる。お仕事頑張って早く終わらせて一緒に市場で屋台巡りと二人猫カフェしようね』
にわかに勤労意欲が高まった二人は、速やかに本件を片付けてデートをしようと、それぞれ内心でガッツポーズを決めた。
びっくりなことに、この二人これでまだ付き合っていないんですよ。
ちなみに
チョコパフェがメニューにあるカフェがあった世界の話は番外編です。
川畑が一緒にチョコパフェをつついた相手は賢者モルの弟なので、カフェデートには含まれません。




