旦那様そんなものに食いつくのはおやめください
楢の樹間を縫うように続く馬車用の小道を半ば無視して駆けていた馬は、横暴な騎手に従って最後に小さな小川を飛び越えて、大きな屋敷の前庭に出た。
騎士団が捜査を打ち切りそうだという話に、大公バルトラントは腹を立てていた。
「(もう少しできる奴だと思っていたが、あれも存外不甲斐ない)」
多少は目をかけてきた孫の手際の悪さに苛つきながら、馬から降りる。乗馬用の鞭を一振りしてから、屋敷の馬丁に渡すと、遠駆けしてきて息の荒い馬の首をねぎらうように軽く叩いてやった。
馬丁に、変に逸るから不調がないかよく見てやるようと指示を出しているとき、大公はふと、見慣れぬ男が遠い側の馬屋口の傍で使用人と何か話しているのに気がついた。黒い長外套に身を包んだ長身の男は妙に目を引いた。
「おかえりなさいませ」
「何者だ?」
迎えに出てきた家宰に乗馬用の革手袋を渡すついでに尋ねてみれば、その男は"博物学者"を名乗る不審者だという。
「旦那様に面会を求めておりますが、お会いになる必要はありません」
「ふむ」
宮廷政治の一線からは退き、王都近郊のこの屋敷に引っ込んではいるものの、未だに衰えという言葉とは無縁な白銀髪の老大公は、黒外套の"学者"を、青灰色の目でじっと見つめた。
「客扱いは不要」
「はい」
「執務室で待て」
「旦那様……」
また悪い癖が出たと言いたげな家宰に乗馬用の上着とスカーフタイを預けて、かわりに愛用の黒樫の杖を受け取った大公は、大股に歩を進めて、くだんの黒外套の元に向かった。
「それは何だ」
足元の籠の中身を脇から急に覗き込まれて、藪から棒にそう問われた黒外套の男は、特に動じた様子もなく一歩脇に退いて、バルトラントに籠の正面を譲った。
「面白うございましょう?」
籠の中には、赤、黄、緑と色とりどりで形も様々な果実や野菜らしきものが入っていた。果実はどれも大ぶりで色つやが良い。
「行商か」
「いいえ、お気付きになりませんか?」
バルトラントは黒外套の男をじろりと見た。思ったよりも若い男だ。下手をするとバルトラントの孫よりも若いかもしれない。多少異国風だが特に印象的でもない顔。身なりはやや風変わりだがこざっぱりとして飾り気はなく質素だ。黒外套は遠目には異様に見えたが、近くで見ると使い込まれた変哲のない革マントに過ぎない。見れば見るほど、金も身分も野心もない凡庸な男に感じられた。
「変わっている……とは思うが」
これは期待外れだったかな、と思ったバルトラントに、男は「その通りです」と大真面目に頷いた。
「これらは大変に珍しいものです。このようなものは王都の大市でも見ることはできないでしょう」
「ふむ?」
市場で買い物などする必要がない身分で生きてきたバルトラントは、男が籠から取って一つ差し出した黄色い果実を見て首を傾げた。爽やかな香気を感じはするが、それがどの程度珍しいのかはさっぱりわからない。
「手にとってもよろしいですよ。こちらの籠の中身はすべてご提供させていただきます。十分にご確認ください」
「珍しいから高値で買い取れと持ってきたのではないのか」
「いいえ。こちらは元々すべてここの大旦那様のものでございますので」
「む?」
思わず眉を寄せたバルトラントのことをどう誤解したのか、男は「ここだけの話にしていただきたいのですが」と声を潜めた。
「実は先頃、道に迷いまして、このお屋敷から見てあちらの方角にある森にうっかり迷い込んでしまったんですよ」
「ふむ」
そこは王都の近郊ながら大公家直轄の狩猟用の森で、許可のない立ち入りは厳禁である。それをバカ正直に白状するとは、コヤツ首がいらないのかと、バルトラントは思わずまじまじと男の顔を眺めた。男は自分の話に興味を持ってもらえたと勘違いしたのか、目の前にいるのが大公本人だとは思っていないような口調で、"打ち明け話"を続けた。
「そうしましたら、森の奥に見たこともないような果実や草花がありましてね」
「採ったのか」
重罪である。
「いえいえ、盗りはしません。こうして持参いたしました」
どちらにせよ重罪である。
バルトラントは少しだけ愉快になり始めた。
適当に相槌を打って聞き出してやると、相手は自分は学者だと名乗り、これは大発見なのだと力説し始めた。なんでもあの森で見られる奇妙な動植物は全くの新種で、この世のものではないという。
「何がしかの異変が生じていることは確実です。これはすぐにでも詳しく調べる必要があります」
「ほう」
「ぜひともお取次ぎを」
「おぬしは、これらのことを大公家がすでに把握していてあえて秘匿しているとは考えなかったのか?」
もしそうであれば、こんなことを言い出したものは速やかに排除されるというのは子供でもわかる話だ。
「ええ、そういう可能性もありました」
学者は存外素直にそう答えた。
「でも、それはないかと」
「なぜだ」
「ここの使用人の方も貴方も、この籠の中身を見て顔色を変えなかったので」
どうですか? 取り次いで頂けたら、この籠の中のものを他の方には内緒で、どれでも一つ貴方に差し上げますよ……とにこやかに提案してきた男を見て、バルトラントは籠の中身は最初はもう少したくさんあったのだろうなと察した。
隠居した大公などというものをやっていると、詐欺師、ペテン師、パトロンを求める研究者や芸術家の類はそれなりに見かける。
家宰がこの男をその手の騙り者の一種だと思って追い返そうとしたのは道理だな、とバルトラントは思った。
本人に悪意はなく、ただ己の研究に熱心な学者バカ。野良の渡り者で、賢いことは賢いし少々弁も立つが、視野は狭く常識は希薄。清貧と言えば聞こえは言いが己の研究対象以外には無頓着。
目の前の男の見た目や動作、言葉遣いの一つ一つがそんな印象を与えてくる。どこからどう見ても、持ってきた話自体は興味深いが、本人は毒にも薬にもならず軽くあしらっても問題ないとしか感じられなかった。
「(さて、どうしたものか)」
大公バルトラントは己の人物観察能力と直感には自信があった。そしてその両方が、総合的に見た場合、この男は何かがおかしいと告げていた。
「それを見せろ」
籠の中のきれいに並べられた果実類の端っこに、ややぞんざいに突っ込まれている布包みを指す。
「あ、いや、これは」
「どうした」
男は困った顔をして、これは自分が後で食おうと持ってきた軽食だからと答えた。
「中身はなんだ」
「パン……です」
布の包みを開けさせると、中には拳大の小ぶりなパンが一つ入っていた。亀の甲羅のようにこんもり盛り上がった形で、焼き色が実にうまそうだった。
遠駆け帰りのバルトラントは、不意に空腹を感じた。
健啖家だが食に欲を感じたことはない自分が今このタイミングでそんな事を感じるのは、実に面白いと思った。
「いいだろう。それをよこせ」
「しかし、それでは……」
「食事ならあそこで食わせてやる」
バルトラントは銀の握りがついた黒樫の杖で屋敷の方を指した。
「この男を西の対の食事室に連れていって何か食べさせてやれ。その籠は中をあらためてから私の執務室へ」
脇に控えていた使用人に2,3指示を出すとバルトラントは籠からパンの包みを取り出した。
「私は忙しいからこれで済まそう」
バルトラントは黒樫の杖をくるりと回して小脇に挟んだ。
「うちの森で何か大事が起きているらしいから、調査の手配をせねばならん」
「ぜひとも魔術師の塔に調査の依頼を。アレは魔なるものによる異変です」
男は深々と頭を下げてから、使用人に案内されて屋敷の裏口に去っていった。
バルトラントは家宰の小言を聞き流す覚悟をしながら、風変わりなパンを手に己の執務室に向かった。
……やばい、出す気のなかった大公なのに、出したら強烈な人だった。
この人は脇役です。存在感がバグっているのは作者の悪い癖です。




