いつでも会いたいが身支度は必要
「うわあああっ」
川畑は立ち上がり損ねて椅子から転げ落ちた。
リモートで操作している偽体から急に意識をスイッチしたせいで、咄嗟に自分の実体の方の感覚がおかしくなって、起き上がり際に椅子に向う脛を引っ掛け、マホガニーの重厚な机に頭をぶつける。
「何をやっているんですか」
エマージェンシーコール並みの性急さで呼び出しボタンを連打され、あわてて顔を出した帽子の男は、ついぞ見たことのないレベルの川畑の醜態に目を丸くした。
机の下でひっくり返ったまま頭を抱えていた川畑は、うめき声の合間から絞り出すように文句を言った。
「なんで、のりこが来るんだ」
「ああ、ようやく手配がつきましたか。良かった。良かった」
「やはり貴様の差し金か〜」
「ええ。ナイスアシストでしょう。褒めてください」
帽子の男は、川畑の発する殺気に満ちた空気を微塵も気にせずに、ニコニコ笑顔ですうっと床面近くに降りると、ひっくり返ったままの椅子に重力方向を無視して座った。
「でも、よくわかりましたね。今回は外見を本人そのままではなくて、現地民っぽくアレンジしたって聞いてますけど」
「わからいでかっ! 中身本人で性別と年齢そのまんまじゃねーか」
「ん〜、確かにノリコさんって元々、人種や民族的な特徴希薄な感じで整った容姿ですから、あまりあの世界でも大きなアレンジはなさそうですけどねぇ……そんなにまんまでしたか」
「どれだけ容姿が違っていてもわかる自信はあるが、あれだけそのまんまで、いきなり侍女ですって派遣されたら焦るに決まってるだろうが」
川畑はボヤきながら起き上がり、倒れた椅子を元通りに直した。半透明で実体のない帽子の男は、椅子に腰掛けた姿勢のままで、完全に椅子の動きに同期して一緒に起き上がった。川畑はいつも通りの仏頂面に戻った。
「お前、相対位置固定なの?」
「慣性と相互作用がないのでその方が便利なんです」
「惰性と依存で行動するのは得意なんですよ」と能天気に威張る帽子の男を、川畑はいつか安い回転椅子に座らせてぶんまわしてやろうと思った。
「それで、なんでまたそんなに慌ててたんですか? ノリコさんに会うこと自体はうれしいんでしょうに」
「バカ。俺はあっちでは魔獣なんだぞ」
「はあ……何が問題なんでしょうか」
当たり前のことが通じなくて川畑は苛ついた。
「呪われた魔獣だぞ。魔獣! 魔物! ケダモノ!! 怖いだろう」
「んんん?」
「俺はのりこに怖がられたくない」
帽子の男は首をひねった。
「いや、やらかしている最中の川畑さんは、そんじょそこらの半端なケダモノよりよほど怖い恐怖の大魔王じゃ……」
「それに!」
川畑は帽子の男のつぶやきには耳を貸さずに拳を握りしめた。
「獣だから服を着ていないんだぞ!」
「獣だからそりゃあそうでしょうねぇ」
「恥ずかしいじゃないか」
「川畑さん、脱ぐの結構平気な人なんじゃないんですか?」
「人を露出狂呼ばわりするな」
帽子の男はどうにも腑に落ちないといった顔で首を傾げた。
「とりあえず、獣は"全裸"に該当しないんじゃないでしょうか」
獣人ならまだしも、四足獣が半端に服を着ていると変な感じがしませんか? と言われて、川畑も唸った。ペットの犬がチョッキみたいなのを着た姿が思い浮かんだが、主観で考えた場合、着て隠したいのはそこじゃない。
「……裸ベストは嫌だ」
「今、どういう想像が連鎖してそういう大惨事な発言になったか伺ってよろしいですか?」
川畑は頭を抱えた。
帽子の男は困惑と憐れみの混ざった眼差しを川畑に向けた。
「それにしても、今まで平気だったのに何で今更……」
「中身の俺を知っている女子の目があるかどうかは重要なんだよ」
「それはオタクがコスプレ中にクラスの一般人女子に出くわしたみたいな羞恥心でしょうか」
「わかるようなわからない例えを使うな。ややこしいから」
「わかりました」
帽子の男は名案を思いついた顔でピンと指を立てた。
「そうだ! 川畑さん。以前、ペガサスに変身する皇子さんいたじゃないですか。川畑さん、相手が馬になっちゃったら全裸認定してなかったですよね。それと同じだと思えばいいんですよ。ほら、恥ずかしくないでしょう」
「ああ、あの変態皇子か……」
川畑は妖精王のところで知り合った皇子のことを思い出した。妖精王の呪いで天馬に姿を変えられていた皇子は、人間形態はとんだ色ボケの変態だったが、馬としては優秀だった。
「川畑さん、全裸男の背中にまたがるつもりで馬に乗っていなかったでしょう?」
「う……」
想像したくない状況を想像して川畑はひどい気分になった。
「動物は着衣なしOKです。いいですね」
「動物はOK……了解した」
「でないと川畑さん、全裸で幼女に添い寝してたド変態になりますからね」
「よし。猫は無罪! 完全に納得した」
川畑はテキパキと机の上の魔導書の山を整理し始めたが、ふと手を止めた。
「そうか……猫に戻ればいいんだ」
「何を思いついたんですか」
「呪われた魔獣じゃなくて、当初の猫形態なら怖くないだろう。のりこは"猫"を知っているわけだし」
川畑が送り込まれている世界には四足動物としての猫は存在せず、似たような身体特徴の獣人が"ネコ"と呼ばれているだけだ。しかし、時空監査官の職務で派遣されたノリコは、川畑と似た世界の出身者なので猫を知っている。ただの仔猫なら無駄に怖がらせることはないだろう。
「弱体化の呪いは解呪工程で変異のプロセスは大体わかったから、あれと似たような術式を自分で展開すればサイズ調整はいける気がする」
「呪われた魔獣から、二重に呪われた猫に戻る気ですね」
「セルフのシェイプチェンジは呪いじゃない」
「シェイプチェンジャーって妖魔の一種じゃなかったでしたっけ」
「あの世界に存在しない怪物の話をしても仕方ないだろう」
川畑は、良い解決策が見つかったと満足そうに頷いた。
「川畑さんがそれで良いなら良いですが……」
「どうせ局としては事態をコントロールするために、好き勝手やってる俺の監視も兼ねて、もう一人命令しやすい担当者を送り込みたかったってところなんだろう? ご希望通りちゃんと言うことを聞いておとなしく従うよ」
「本当ですか〜?」
「文字通り、猫をかぶっていい子にしてやろう」
「とんだ化け猫ですけどねぇ」
川畑は両手を頭にあてて、猫の耳のように動かしてみせた。
「猫は無罪だ」
限りなくギルティに近い黒猫




