変わり者に対応できるのはたぶん同類
深部では魔物の跋扈する魔の森。その中にポツリと建つ粗末な森番の古家の土間で、その大きな漆黒の獣は、背から生えた長い触手を器用に操って、鈍く光る鉄片を俺の前にかざした。
『熱は連続する。氷もまた熱い。火炎と氷雪の魔術はシームレスに制御しろ』
黒い魔獣の緑色の目が光る。
鉄の板の片側が熱せられていき、もう片方は冷やされていく。その三角形の耳の先から伸びた巻きひげがかすかに震えている以外に動きはないが、明らかにこの魔獣は高度な魔術を操っている。
「火炎と氷雪の魔術の同時発動だけでも難業なのに、その中間の精密制御などそうそう簡単にできるものか」
『水が氷結するときと、沸騰するときの熱の差異を百分割して1度とし、その温かさの度合いを1度単位で制御できるようになれ』
「無茶苦茶だ」
『言葉は正しく使え。これは無茶だが論理的な要求だ』
「無茶だという自覚はあるんだな」
魔獣はこちらの指摘を聞き流して、房付の触手をクルクル振ってみせた。
『"空気"や"大気"という概念はわかるか? このなにもないように見える宙空を満たすものだ』
「その動きが風になるものだな」
『そうだ。"火"や"氷"ではなく、この大気の微細な動きの度合いを管理する』
「風属性の魔術として火炎と氷雪の魔術を再定義するだと!? いきなりそんなことができるものか」
『魔術は概念の転換で応用の幅が広がるのに……』
魔獣は不満そうに目を半眼にして、しぶしぶ要求を譲歩した。
『見える物が対象の方がやりやすいか。金属は熱しやすく冷めやすいから金属製のケースで練習しよう』
「"金属"とはなんだ。"金"に属種があるのか?」
魔獣は一度天を仰いでからうなだれた。
『学問体系レベルからの微妙な齟齬のすり合わせは面倒だから、以後は厳密にはわからなくても言葉の雰囲気でなんとなくわかったらわかれ』
「さっぱりわからんが、わかった」
真理の探求者たる高位魔術師としては最大限以上の譲歩をしてやると、魔獣は一抱えほどの大きさの鉄の箱を2つ用意した。
『こっちは温めて、こっちは冷やす』
「同時にか?」
『片方ずつ発動でよい。こっちは150度で四半刻。こっちは2度で丸1日維持』
「維持!?」
『維持中の庫内の温度の変動はプラス・マイナス1度以内にすること。もちろん外気温にかかわらず』
「は?」
『冷やしすぎると卵と牛乳が凍る』
魔獣は"冷蔵庫"と書かれた方の箱に大切そうに卵の籠とミルクピッチャーを入れた。
『えーっと、卵液はよく撹拌してから濾す……ほら、こっち余熱始めて』
「始めてって……」
『150度』
「わかるかっ!」
『わかれ』
"オーブン"と書かれた方の箱が熱せられていく。
『この温度で維持』
「なんで俺がこんなことを」
『魔法の使い方に長けていてこそ魔術師だろう』
俺のメンタルと魔術師としてのプライドを犠牲にして作られた"焼きプリン"は子供に大変好評で、翌日よく冷えたものにフルーツと"アイスクリーム"を添えた"プリンパフェ"も美味しかった。
『低温調理のローストビーフは58度』
「うるせぇ!」
俺の魔法制御技術はメキメキ上達した。
§§§
騎士団に出向くと、腐れ縁の旧友から「よい侍女が見つかった」と告げられた。
「いや、もういい」
「なんだと? お前の要望だぞ」
「一応、何とかなっているから」
炊事、清掃、子守全般を魔獣がやっていて至極快適という現状を思い浮かべて、思わず目を泳がせた俺を不審に思ったのだろう。友人は侍女を強く勧めてきた。
「それよりも、早く子供を引き取ってくれ。数日という話はどこにいったんだ」
「すまん。なかなか捜査が思うように進まなくて手詰まりなんだ。お前、ちょっとでい……」
「俺は騎士団は手伝わん」
「ぐぬう……ケチを言うなよ」
「子守はしてやっているだろう。現場はお前の仕事だ」
なおも食い下がろうとする相手を軽くいなす。
そうすると、相手の要求の全部に否というのも気が引けるのが付き合いというものなので、俺は侍女の件については条件付きで譲歩した。
「いわく付きの人間嫌いの変人と一緒に、魔獣の出る魔の森の一軒家に住み込み。中で起こったことや見聞きしたことは一切口外不可と言ってもビビらなくて、俺の基準で十分に美人で有能な、愛想はいいが煩わしくない女なら受け入れよう」
「断りたいなら素直に断れ!」
腐れ縁の親友は「お前、また一段と性格が悪くなったんじゃないか」とボヤきながら、一応、確認すると言ってその日は引き下がった。
§§§
「こんにちは。こちらご紹介に預かりました。ティーラ・ブラウンと申します。よろしくお願いいたします」
翌日、森の中の一軒家に一人でやってきた若い侍女は、あきれたことにすべての条件をクリアしてお釣りの来る女だった。
おかげさまで投稿5周年です。




