そは喰らうものなり
訳ありの子供を匿うために俺に用意されたセーフハウスは、森の中の一軒家だ。近隣の人家どころかろくな道もなかったが、家は木々の間の少し拓いた土地に建てられており、家の裏手には物置小屋や薪小屋もあった。ちょっとした作業ができるバックヤードの脇には、雑草に埋もれているが、小さな畑らしきものもある。
そんなのどかで何の変哲もない平和な裏庭の片隅で、俺はどう解釈していいかわからない状況を前に呆然としていた。
……原因は"魔獣"だ。
コッコッコッコッコ
鶏にしては白すぎるその鳥は、3歩ほど歩いて地面を突く事を繰り返している。
「なんだこれは」
"白色レグホン"
無言で睨み返した俺に、黒い獣は文字の書かれた板を提示した。
"黒っぽいのは横斑プリマスロック"
「知りたいのはそういうことじゃない」
"レグホンは卵用。プリマスロックは肉用"
「誰が用途別で飼う話をしろと言った」
"交雑種はロックホーン"
「混ぜるな。増やすな。名付けるな」
黒い獣は"卵肉兼用"と書かれた板を残念そうに下ろすと、鶏小屋を修理し始めた。
その表面の文字が瞬時に変わる木の板どうなっているんだ?鶏小屋の屋根にしていいのか?そもそも鶏小屋って本気で飼う気か?意外に金槌使うの上手いな、おい。
……ツッコミどころが多すぎて追いつかない。
コッコッコ、こっこっこ
次の板を手(?)にした奴が、思いついたようにこちらを振り向いた。
"庭には二羽、鶏がいる"
「やかましい」
黒い獣は黙って作業に戻った。
§§§
「(やはり音の言葉遊びは翻訳が厳しいか)」
川畑は六肢の偽体を器用に操作して、木の板に釘を打った。肩口から触手の生えた四足獣というのは変な形状だが、脚をオートバランサーに一任しておくと、手代わりの触手操作に集中できる。触手の先の細い毛房はバラバラに動かそうと思うと難しいが、5束に分けて制御すると手として使いやすい。柄を握るだけならミトンみたいに2束にするだけでいいぐらいだ。
「(意思疎通の方法には再考の余地があるな)」
魔法の焔文字は、フォントサイズが下げられず長文に向かないのと、安全性に問題があるのとで、早々に断念した。
手頃な大きさの木の板に砂鉄を乗せて、電磁気を制御して配置を動かすのが比較的楽そうだったので試してみた。……魔法世界なので、電磁気と言ってもなんちゃってだが、そこはまぁ、使いたい限定範囲だけ自分の知っている理論を都合のいいように定義して使えばいいのでなんとかなる。
ただ、板書は作業の手を止めなければならないのが難点だった。プラカード式にしても片手はふさがるし、制御にある程度、意識は割かれる。
「(平時はいいけど、戦闘には向かないな)」
意識を直結してしまうのが早いのだが、流石に非常時でもない代理任務でそこまでするのは憚られる。
かと言ってこの口の構造ではまともな発音はできそうにない。
「(翻訳さんにお願いしたら、発音関係なく訳してもらえそうだけど、せっかく魔獣やってるのにニャーニャー鳴いたり、ベラベラ喋るのも趣がないよな)」
文字の書かれたプレートを掲げるのは趣の点でどうなのかと、ツッコんでくれる相手は不在だったので、川畑は黙々と鶏小屋を造った。
「(緊急時は会話解禁にするとして、まだしばらくはハンドサインで遊ぶか)」
鶏を小屋に入れたら、畑も少し手入れしておこう。
川畑は振り返って、まだそこにいた自分の"飼い主"に、水を汲んできてくれと身振りで頼んだ。
コレクライ(四角形)のオケ(円筒形、手提げ付き)にミズヲクンデ(掬う動作)モッテキテ(水場方向からの横移動&足元を指し示す)
「ええい、言いたいことがあるなら、はっきり言葉で言え!」
『水汲んできて』
自分の趣味にこだわるよりも、同居人との円満な意思疎通の方を優先したほうがいいよな……と川畑は考えを改めた。
男は「しゃべるのか」とドン引きしていたが、律義に水は汲んできてくれた。
§§§
「それで、結局のところお前はなんなんだ」
人語を解すだけではなく、喋れると知った相手は、用事が一段落したところを見計らって、そんな風に問い詰めてきた。
『そんなことを言われても……説明できない』
「うーん。そりゃまぁ、あんな生まれたてで路地裏に捨てられてたんじゃ無理か」
なにやら都合のいい解釈で納得してくれたらしい。川畑は取り立てて守秘義務を大切にする気はなかったが、高次空間概念のない現地住民に時空監査局の話をするのは面倒なのでそこのところは黙っておくことにした。そもそも対象への非公開概念は翻訳されないので、今回の様に調整の焦点になる時空結節の当人にどこまで伏字なしで話ができるかなんてわかったものではない。
川畑は余計なことは解説しないまま、自分の用件だけを伝えることにした。
『森に湧く魔獣を狩る。来い』
「なに!?」
『邪神のせいで世界に歪みができる。そこから湧く魔獣を狩る』
「邪神だと? お前、何をどこまで知っているんだ」
『何も知らない。だが歪みの位置はわかる』
「その邪神の歪みから湧く魔獣というのはどんなものなんだ。お前もそうなのか?」
『違う。我らは狩り手だ』
一緒にするなと憤慨するように鼻を鳴らし、黒い豹に似た獣は鋭い歯の並んだ口を大きく開けて一度ガウと吠えた。
『湧くのは"食材"だ』
一狩り行こうぜ




