疲れると人は面倒を先に投げる
「お前、最近やけにいそいそ早く帰ているんだって?」
塔の自室で帰り支度をしていると、やってきた友人にひやかされた。
こいつとは俺が騎士団にいた頃からの付き合いだ。訓練兵時代でバカも一緒にやった同期なので、今の魔術師の塔での同僚や知人と比べて気安い関係にある。
さっさと結婚して今は2児の父である友人は、含みのある生暖かい目でこちらを見ながら、女関係かと探りを入れるような冗談を言ってきたので、きっぱり否定した。
「最近、少し体調を崩したので、節制を心がけているだけだ」
「体調を崩した!? お前がか?」
目を見開いて大げさに驚く友人は、俺が冷ややかに見返してやると「うん。鬼や龍だって、ことによっちゃ風邪ぐらいひくこともある可能性はあるよな」と謝罪した。
「で、体調が思わしくないところに、申し訳ないのだが……」
「手伝わんぞ」
「聞く前に断るな」
「聞いたら守秘義務がどうのと言って巻き込む気だろう」
「先読みする男は扱いにくい」
「常套手段を捻りもなく使うな」
友人は俺の顔を見て、フフンと笑った。
「そういうことを言うと、本気の常套手段を使うぞ」
「おい」
「身分も年甲斐も世間体も投げ捨てた、年季の入った"泣き落とし"……見せてやろうか」
「わかった。話を聞こう」
俺と違って順調に騎士団で出世したいい歳をした男に、本気で泣きつかれるのは、御免こうむりたい。困ったことに、こいつは本当に窮地に陥ったときには、俺に対して手段を選ばない男なのだ。
「聞くんじゃなかった」
「そう言うな。力を貸してくれ」
さる上級貴族……おそらく公爵家の面倒な案件を相談されて、俺は眉根を寄せた。
なんでも、その家の子供が誘拐されかけたのだという。幸い未遂で終わったが、厄介な術師が絡んでいたようで、呪いと思われる術がかけられてしまったらしい。犯人は捕まっておらず、術式の詳細は不明。家の体面を考えると大っぴらな捜査はできず、事件当時の状況から内通者もいたと思われるので、内部での調査も信頼できない……という困った状況なのだそうだ。
この友人は大公の孫というなかなかの生まれで爵位持ち、かつ騎士団内でそれなりに良い地位の若手という立場なので、貧乏くじを引かされたらしい。彼は、未だに俺と縁を切らない程度には、世話焼きでお人好しなので、そこに付け込まれたのだろう。
公爵あたりの子を狙った誘拐や呪詛なんて、十中八九、政治や権力絡みのドロドロだ。今の王族や公爵家の現当主達の揉め事なんて、首を突っ込んだら命がいくつあったって足りない。騎士団を辞めて、世俗の身分制度から外れ、魔術師の塔に入った身としては、王家に近い奴らとは正直、関わり合いになりたくないのだが……。
「頼む。確実に信用できて、有事に対処できそうな魔術師なんてお前しかいない」
「だからといって、俺に子供を預けるというのは正気の沙汰ではないだろう。せめて侍女ぐらいはつけてくれ」
「当の屋敷の使用人すら信用できない状況なのだ」
「だからといって……」
「すまん。隠れ家はこちらで用意する。数日の間だけだ。その間に犯人を見つけ出す」
「犯人の前に信用できる子守を見つけてくれ」
「それは……善処する」
利発で聞き分けの良い子だという話だ、などと頼りにならない気休めを添えて、腐れ縁の旧友はまんまと俺に訳ありの子供の件を押し付けた。
今後の段取りを詰めていたら、いつもより帰りがかなり遅くなった。
帰り道にある小さな居酒屋で、腸詰めと焼いた鶏肉を少し買って帰る。
借りている部屋の戸を開ける。いつもなら黒いのが出迎えに来て、足元によってくるのだが、今日は姿が見えない。
どうしたのかと奥の寝室を覗くと、なんのことはない寝台の上で太平楽にぐっすり寝ていた。
腹を上にして、仰向けで寝るというのは、四足獣としてどうなんだろう?
ランプをサイドテーブルにおいて、真っ黒なちみっちゃいケダモノの腹を軽くつついてみた。全体に毛の薄い腹側、人ならヘソがありそうな位置に少し他より毛がふさっとしたところがあったのでくすぐってやったら、ブルッと身を震わせて目を覚ました。
寝ているところを起こされて機嫌が悪いのか、四本の脚をジタバタさせて、腹を撫でる俺の手に抗おうとしてくる。手から逃れられそうにないとわかると、今度は四つ足で逆に俺の手を抱えて、長い尻尾で、てしてしと叩いてくるのが面白い。無駄な抵抗をする奴を適当にこねくり回して、そこそこ遊んだところで、自分がまだ帰宅後に上着も脱いでいない状態だと気がついた。
掴んでぽいっと投げると、ちみっちゃいのは空中で綺麗に回って、上手に着地した。何度見ても器用なものだと感心する。
もう一度投げてやろうかと屈みかけて、自重した。コイツを構い倒していると時間が溶ける。
ランプを手に寝室を出て、買ってきた肉と昨日の残りのパンで夕食にすることにする。
黒いチビは、当たり前のように俺についてきて、身軽に椅子に飛び乗った。
ナイフとワインのボトルを持ってきた俺は、邪魔っけなチビを払い落として、椅子に座る。チビスケは綺麗に着地したあと、すかさずもう一度、今度は俺の膝の上に飛び乗ってくる。そして、鶏肉を切って食おうとする俺を興味津々に見ている。
「ほら」
腸詰めを一本、鼻先で振ってやると、両の前脚を伸ばして飛びついて来た。
コイツの食の好みは変わっている。なぜか人がましい食い物を食いたがるのだ。
こういう動物の子供が普通は何を食べるものなのか、そもそもコイツがどういう生き物なのかはわからないが、コイツは麦粉を水で薄く溶いた粥や生肉にはぜんぜん見向きもせず、俺の食うメシにばかり興味を示した。
よそではどうなのかと聞こうにも、都市では一般に個人は家で小動物を飼わない。貴族の屋敷には番犬や狩猟犬が飼われていることがあるが、コイツは犬の仔ではない気がする。昔、猟犬の仔をみせてもらったことはあるが、もうちょっとスマートだったように思う。
顔の造作や尻尾の形は、時折見かけるネコ属に似ているが、亜人の子が四足獣で生まれるとは聞いたことがない。小柄で全身毛で覆われているがネコ属は人と同じように直立して二足歩行する亜人属だ。一緒にしてはいけないだろう。それにネコの耳はコイツと同じように三角形だが、先端に巻きヒゲはついていない。
大きな腸詰めを抱え込んで、満足そうにかじっているケダモノの耳の先では細い巻きヒゲが風とは無関係に揺れている。
やばい害獣だったら、早めに駆除しないといけないんだが……。
食えば食っただけスクスク大きくなっている気がする謎の生き物を眺めながら、俺はワインのボトルを傾けた。……見れば見るほど危機感のない間抜けな様子の小動物だ。
要観察だな。
ちょうど人目の届かない郊外に行く用事ができたから、一緒に連れて行って、様子をみよう。
問題に問題を突っ込んで、合わせ技で先送りにした俺は、二本目の腸詰めを狙うケダモノを黒パンの端であしらいながら、安物のワインを空けた。




