帰ってきた男
その旅人は、王都の雑踏を人波とは逆方向に歩いていた。
家々の窓からは飾り布が下げられ、あちこちに小旗と花輪が飾られている。祝祭の晴れ着を着せてもらった子供達が、興奮ぎみに勇者について話しながら、親と連れだって歩いているのを横目に見て、旅人は細い通りに入った。
頭上に洗濯物が下がった裏通りを進み、石積の壁の途中に作られた板戸の勝手口を開ける。裏庭に入ると、薪や秣が積まれた脇に酒樽がいくつか置いてあった。あとで店で振る舞うのだろう。
「ハーゲン!お前またそんなところから」
「店主、せめて裏口を使えと鍵を渡したのはそっちだろう」
「そりゃぁ、お前さんのことはよろしく頼むと先代からも言われているからな」
フロマのあと、口入れ屋を継いだイナビは井戸で汲んだ水を水桶にあけると、手を拭きながらやって来た。
「この時間なら表が開いているだろうが」
「人が多かったんでな」
「相変わらずだな、おめぇは。で、今日はどうした。この4年間、きっちり半年ごとに来てたくせに。前回からまだ3月しか経ってないじゃないか。勇者のパレードを見物にって柄じゃないだろ」
「ああ。パレードには興味ないんだが、勇者がらみで仕事を斡旋してもらえないかと思って。馭者の成り手がないんだって?」
「ええ?そりゃぁ、おめぇ……」
腹の出た髭面の大男は困惑ぎみに苦い顔をした。
「ありゃ、なにもおめぇみてぇな奴がやんなくったっていい、クソみてぇな仕事だぞ。仕事を探しているならもっといい話をいくらでも紹介してやるから。なんだ、今回はしばらくこっちにいるのか?おめぇが帰ってきてるっていやぁ、あっちこっちの上客がうちに寄越せって騒ぐぜ」
「いや、できれば一度、勇者様ってのがどんなことをしてるのかを間近で見てみたいと思ってな」
「やめとけよ。ここだけの話、もうお貴族様の子弟や小飼の使用人はもとより、金につられた食いつめ者までが、やってられるかって投げ出した仕事らしいぞ」
青年はイナビの忠告にまるで頓着しなかった。
「それじゃ、そんな厄介な案件に人を出せたら、おやっさんもお偉いがたに、いい顔ができるんじゃないか?」
イナビは渋い顔をした。
「おりゃ、おめぇみたいなガキをひどい仕事に出して、お偉いさんに尻尾を振るような外道働きはしたくないんだよ」
「俺は店主のそういう律儀なとこ好きだぞ。でも、せっかくの気遣いを無にするようで悪いが、ここからのツテでは無理そうならよそを当たってみる」
「おい、待てよ……はぁ、しょうがねぇな。その調子なら、相手の言い値でだって仕事受ける気だろう。おめぇみてぇなできる奴、安売りされてたまるか。できるだけましな条件になるように俺が掛け合ってやる」
ああ、もったいねぇとイナビはぼやいた。
「どうせ今晩の宿もまだ決めてないんだろ。今日は市中の宿はみんな埋まってるよ。うちの2階に泊まってけ」
「ありがとう」
旅装の青年は、イナビが初めてあった頃とまるで変わらぬ純朴そうな顔で、礼を言った。
「ちくしょう。おめぇのそういう顔にみんな騙されるんだよ。おめぇ実は相当たちの悪い男だろう」
人を扱う商売をやっているだけあって、店主の目は確かだった。
「そんなことはないぞ」
川畑は口元をわずかに笑みの形にした。
「驚いた。ハーゲン、君か!」
バスキンは、王城で馬の世話をしているハーゲンを見かけて思わず声をかけた。
4年前と変わらぬ様子の青年は、馬を引く手を止めて、バスキンに軽く礼をした。
「ここで働いているのか?」
困惑が声に出る。確かに彼は馬の扱いは丁寧だが、彼のような有能な文官を馬の世話係に使うなんてとんでもない。すぐに引き抜こうと思ったとき、城の若い文官が走ってきた。
「勇者様がパルム山に出ます!」
「暖かい季節になってからの予定では?」
「先程、大臣がうっかり口に出してしまって、それを聞いた勇者様が近くにあるならすぐに行こうとおっしゃって」
「わかった。少し待っていてくれ」
ハーゲンは近くで遊んでいた子供達を呼んだ。何事か指示を出しながら、符丁のようなものが書かれた小さな木の薄板を数枚と硬貨を子供達に渡す。
「受け取りは東の検問所で」
「今日は東だね。任せて!」
指示を受けた子供が駆け出していく。
「君は城の厨房でお茶をもらってくれ。容器はいつものを2つ。少し濃いめで頼む」
「あいよ!城の門に持っていくね」
「門衛には話を通してある。あと、君ら2人はちょっと待っていてくれ」
子供達に手早く指示を出したハーゲンは、城の文官に向き直った。
「パルム山への最短ルートではなく、南側の街道から回る。ボーデン侯爵領で1日滞在させていただきたいと侯爵家に連絡を。防寒装備はパルム山手前の宿場で受けとる。北の街道から運べば、2日は稼げるはずだ」
ハーゲンは携帯用の筆記具でなにやら手早く書きながら、文官への指示を続けた。
「防寒用の上着は勇者好みの外見で。ただし女性もちゃんと首、胴、足の付け根を保温できるものを。足元はちゃんと雪山に対応した履き物で。ヒールは要らん。下着は毛織りより、普通の汗吸いのよい素材のものを3枚。重ね着を前提として、きちんと肌を被っても動きを阻害しない体型にあったものを用意しろ」
「は、はい」
「それ以外の必要なものと注意事項はこれに書き出したから」
「うわ、はい」
「いつもありがとう。君のお陰でずいぶん助かってるよ」
ハーゲンは若い文官の肩を軽く叩くと、残りの子供達に何か指示を出しながら、馬を馬車の方に引いていった。
バスキンは呆気にとられていたが、ハーゲンが立ち去ったところで我にかえって、若い文官を捕まえた。
「な、なんだ今のは」
「あ、これは騎士団長様。失礼しました。すごいでしょ、彼」
「すごいというかなんというか……あいつは何をやっているんだ?」
「勇者様の馬車の馭者なんですけどね。勇者様が出発するまでに準備しておきたいって言うから、わかったときは知らせてあげるようにしたら、いや、もう段取りがすごくって。ルートの選定から物資の手配まで、彼が来てから裏方の仕事がどれだけ楽になったことか」
「あの子供達は?」
「商店の徒弟って建前で入門証は出てますが、彼が貧民街で声かけて手伝わせてるようです。当日の昼食なんかの軽食を買ってこさせているみたいですよ。勇者様、保存食嫌いだから。子供達もお使いの駄賃がもらえる上に、どうやら1人前は上前はねていいっていう約束らしくって、次はどこの店の何を食べるか楽しみにしてます」
「城の厨房で用意しているのではないのか?」
「予定通りのときはそれでいいんですが、勇者様、よく思い付きで予定を変更するんで、間に合わないんですよね」
文官は声をひそめた。
「実はそれで2、3人解雇されてます」
「嘘だろう。軍の演習でもない限り、野外行動時の食事なんて自分で調達してから出掛けるのが基本……」
バスキンは、4年前のことを思い出してはっとした。
ハーゲンと旅をしていた間、食料を自分で買った覚えが全くない。保存食は食べたし、少し焼く程度の簡単な調理もしていたから、なんだか全部やっていた気がしていたが、よく考えると食料やその他の消耗品を買い足す時間を取った覚えがなかった。
ときどき「ちょっと待ってください」とか「お待たせしました」とか言われていたので、待った気はしていたが、改めて考えると、あの程度の時間で準備が終わる方がおかしい。
「まったく。行くぞって一言言ったときは準備が全部終わっていてすぐに出発できるのが当たり前だっていう態度は腹が立ちますよね」
「ああ……うむ」
バスキンは少なからず思い当たる節があって、内心、かなりばつが悪かった。
と同時に少しヒヤリとした。自分が何も不都合を感じなかったということは、貴族である自分の実家や軍といったスケジュール管理された組織が提供するのと同レベルのサポートを、社会経験のない当時十代の若者が一人でしていたわけだ。
それが今、地名を聞いただけで地図もみずに旅程を判断するほどの知識を得て、かつそれなりの人脈も持って働いている。
「勇者様ときたら贅沢で、現場で気に入らないことがあると、帰ってきてから責任者は誰だって怒ったり、八つ当たりしたり、彼が来てくれるまでは、ホントにひどい状態で……あ、すみません。よけいなことまで話しすぎました。では、自分はこれで失礼します。早くこの指示を実行しないと、また誰かが怒られちゃう。彼がせっかく稼いでくれる時間を無駄にしたら悪いですからね」
一礼して去っていく文官の背を見送りながら、バスキンは呟いた。
「……これ、何人が気がついているんだ?いつの間にかあいつ、善意と保身の二頭立てで、間接的に相当な人数を馭者台から動かしているぞ」




