魔が差したとしか言いようがない
夜更けから垂れ込めていた重い夜霧が、朝靄に変わる頃合いだった。
どうにも頭の痛い徹夜仕事に行き詰まって、俺は一度帰ることにした。
湿った匂いのする夜道は陰鬱で、いつもは賑やかな馬車通りも閑散としている。歩くのも億劫になった俺は、近道になるかと裏通りに入った。石壁に挟まれた裏道は黒い谷のようで、見上げるとうっすら青灰色になった空が細く覗いていた。
早く帰って、少し眠ろう。
暗い路地に視線を戻すと、クラリと立ち眩みがした。身体は丈夫な方だが少し無理が祟ったのかもしれない。そう考えながら一歩踏み出したところで、むぎゅり、と何かを踏んだ。
馬糞でも踏んだかと、慌てて確認すると、足元のそれはどうやら生き物のようだった。犬か何かの仔だろうか? 手のひらほどの大きさしかない黒い体は微かに震えている。
疲労で荒んだ気分の勢いで、道の端に蹴り飛ばそうかとも思ったが、あまりに弱々しい姿に罪悪感が湧いた。
拾い上げてみると、短い四本の脚をぎこちなくバタつかせて、力なくもがいた。さっき踏んだ拍子に怪我でもさせたのかもしれない。手の上に乗せてやると、霧で湿気ってじっとり冷たかった。
迂闊に触ってしまったことを後悔しつつ、軽い回復と浄化の魔法をかけてやる。本来はこんなものに気軽に使っていい魔法ではないのだが、かまうまい。疲れているとき、人は判断基準が少し大雑把になる。
聖魔法のほの白い輝きが小さな体をふわりと包むと、そいつは身を震わせた。ネコっぽい三角形の耳と長い尻尾をピンと立てて、四肢を突っ張る姿が、いかにもビックリ仰天という感じで面白かった。
くたりと力が抜けて手の上にうずくまったそいつは、ふんわりと柔らかく、ほんのり温かかった。指先でつついてやると、短い和毛の奥が予想外にふわふわで良い手触りだった。
こんなに小さくて頼りない生き物など触ったことがなかったので、戸惑う。鼠よりは大きいが、もっとずっとひ弱そうだ。野営で夕食の足しにと焼いた兎や栗鼠も、もっと肉がしっかりしていたように思う。
無力で頼りなくて柔らかいそれは、俺の手に小さな鼻面をスンスンとこすりつけたりしながら、まるで警戒心など持たずに、一番居心地の良い体勢を見つけようとモゾモゾしていた。
……魔が差した。
俺はそのちんまいのを、そのまま連れ帰った。
すっかり明るくなった外から差し込む日差しで目が覚めた。
これは寝すぎたと、慌てて起き上がろうとして、妙なものが寝台の隅にいるのに気がついた。
「なんだ?」
毛の生えた黒い塊。
俺が動いたはずみで寝台がきしんだ音に反応したのか、小さな耳がぴょこんと立った。ネコみたいに三角形だが、よく見ると、さきっちょに細く毛が伸びていてくるりと巻いている。丸まった毛玉から長い尻尾がふるりと出てきて、ゆっくり二、三度左右に振られてから、また丸めた体に沿って納まった。
「あー、持ってきちゃったんだっけ」
どうしたものか、としばし考えたが、仮眠を取っただけでまだスッキリしない頭では良い案は浮かばなかった。
人の寝台で警戒心のケの字もなく、惰眠を貪っている小動物をつついて転がしたり、小さくて細い体の割には太めの脚の先を摘んでみたりしていると、時間が溶けた。
ちみっちゃいくせに、いっちょまえに獣っぽい口元にちょっかいを出して、歯があるのかないのかわからない口で噛まれたあたりで、ちょっと正気に戻った。
いかん。遊んでいる場合ではない。
さっと汗を流し、下着だけ着替えて、汗臭いローブを羽織る。塔の魔術師の制服のようなものなので仕方がないとはいうものの、気持ちの良いものではない。いい加減、洗いたいがそんな暇が無い。
浄化の魔法をかければ綺麗になりそうだが、流石に洗濯代わりに聖魔法を使うのは気が引けた。第一、そんなローブを着て魔術師の塔に出勤したら、非難轟々だろう。
上級魔術師としての体面に関わる。
買い置きの古い麦粉の残りで粥を作るのも億劫なので、水だけ飲んで出かけることにする。食欲もないからちょうどいい。
部屋を出るときに、黒いチビの首根っこを摘んで表に出した。
ちみっちゃい毛玉は、「みゅ」だか「にゅ」だかわからない鳴き声を上げて、少し抵抗の素振りを見せたが、気にせず道端に放置して仕事に向かった。
夕方。
必要なものを取りに一度帰宅したら、扉の前に黒いチビがちんまりと丸まって寝ていた。
戸を開けると当たり前のように中に入ろうとするので、摘んで階段を降り、向かいの通りの角に捨てに行く。
下ろして、戻ろうとすると、てちてち短い足で後をついてきた。
イラッとした。
早足で階段を駆け上がり、部屋に駆け込んで戸を閉めた。
必要な資料や道具類を鞄に詰めていると、扉の外から、みゅうみゅうと情けない鳴き声が弱々しく聞こえてきた。
鞄の留め具を二度もはめそこなって眉間に皺が寄る。
俺は必要な用意を済ませると、さっさと部屋を出て、振り返りもせずその場を立ち去り、いつものように三日は帰らないつもりで魔術師の塔に向かった。
翌日、様子を見に来ると、案の定、部屋の扉の前には、黒いちみっちゃいのが丸まっていた。こころなしかぐったりしている。
「ああ、もう!」
なぜかは全くわからないが、俺はそいつを飼う羽目になった。
なんだかんだ理由をつけて様子を見に戻ってきている時点で負け




