川畑の休日2
「やあ、川畑さん。差し入れですよ〜」
呑気極まりない口調で、いつも通りふわっと現れた帽子の男は、執務室でぐったりしている川畑に目を瞬かせた。
「どうしたんですか?こんなところで」
「強制的に長時間過密労働を強いられて、ちょっとありえないくらいこき使われているところ」
帽子の男は首を傾げた。
「というわりに、見た感じダラッとして暇そうですよ」
「今、電子端末一切持ち込み不可の超機密会議に出席中のダーリングさんの視聴覚モニタしながら、名前と身分明かされてない出席者の身元の判別と背景情報の裏取りやらされてるところなんだよ。宇宙軍の電子書庫だけじゃなくて、銀河連邦保安局や探査局のデータベースにまで潜り込んで情報漁らせるって、どう考えてもヤバいだろ」
「そんなことやってるんですか?」
「まぁ、この世界って汎銀河社会のわりにはオールドファッションだし、情報システムの複雑さとかセキュリティで言えば、言っても人類文明レベルだから、ルルドの遺跡のゲートキーパーの方が上なんで、あいつを出し抜いて情報吸い上げるよりはマシなんだけどさ。補佐役の随行員含めて20人以上の身元調査を並行処理しながら、ダーリングさんからの問い合わせに関連情報をリアルタイムで送らなきゃいけないっていうのがキツイ。ダーリングさん、提出資料の要点が一目でわからないとまとめ方が悪いって文句言うから、雑なもの出せないんだよ」
今もその作業をやっているらしい川畑は、椅子に座って、目を閉じたまま眉間を揉んだ。
「ますます人外に磨きがかかってますね」
「やかましい。人外に人外呼ばわりされたくない」
「ああ、でもこの世界の銀河系全域でもトップクラスの一流の社会人に、OJTで仕事を教えてもらっているようなものだと思えば、いい職業体験じゃないですか」
「学生アルバイトにやらせる仕事じゃねえ。宇宙軍の情報部でインターンって何の冗談だ」
「この世界の場合、宇宙軍の情報部じゃ保安局はともかく探査局の深部データエリアへの侵入は無理だと思うんで、そういう意味ではたしかに学生アルバイトやインターンの仕事じゃないですねぇ」
「一応、探査局局長とネットゲーム友達で、網膜や指紋なんかの個人生体パターンデータも知っているってのはアドバンテージだとは思うけど。……あっ、くそダーリングめ、ここぞとばかりに無茶振りを」
腹を抑えてうずくまった川畑を見下ろして、帽子の男は首を傾げた。
「どーしました?」
「面倒だからちょっとやり方教えてやったら、公開してやった俺の演算領域に介入して、勝手にイニシアチブ取って、好き勝手を……うげ……気持ち悪……ついでに変なとこ弄りやがるから、内臓掻き回されてるみたいで目の前がチカチカする」
「あんまり無茶しちゃダメですよ~」
帽子の男は、バカはほどほどにしておくように言ってから、うめき声を上げて若干痙攣している川畑の膝の上に、そっと差し入れの袋を落とした。
「うぐっ」
「リクエスト通りの入荷です。ご確認ください。では、私はこれで」
それだけ言うと、帽子の男は空中に出現した穴に吸い込まれるように、すうっと消えた。川畑は涙目で膝の上の袋の中身を覗いた。
食パンとレタスとカップ焼きそば。
「こんなところでこれだけもらってどうしろっていうんだ〜!」
激務の合間に食べる焼きそばサンドは、マーガリンとマヨネーズがなくても、普通に旨かった。
「いやぁ、裏を抑えた上でやりあえると、圧倒的に会議が楽だな」
「おかえりなさい。良かったですね。無茶も大概にしろ、鬼畜上司」
「うんうん、ご苦労。よくがんばったな。偉いぞ」
上機嫌で執務室に帰ってきたダーリングは、川畑の頭に手を置いて雑に揺すった。
「おかげで面倒な案件がいくつか潰せた。ちょっとスケジュールに余裕ができたから飯でもなんでも付き合ってやると言いたいところだが……この異臭はなんだ?」
鼻にシワを寄せたダーリングに、川畑は申し訳無さそうに安いカップ焼きそばの容器をそっと片付けた。
「焼きそばサンド……の残りだけど、レタス食べる?」
「何が悲しくてこんなところで、そんな得体のしれない植物組織風のシートを直に食わねばならんのだ」
「すみません」
川畑はレタスとゴミ袋を自室に転移させた。
「その様子なら、もう飯はいらんな」
「……そうですね」
いささかしょげた様子の川畑を見て、ダーリングは、困ったやつだなと思った。
「かといってタダ働きというのもなんだ。ちょっと気晴らしにいいところへ連れて行ってやろう」
「どこですか」
素直に顔を上げた川畑に、ダーリングは笑みを浮かべ、前々から一度はこいつを誘いたいと思っていた、とっておきの場所を教えてやることにした。
「連邦宇宙軍の将校専用の保養施設だ。なかなか設備が充実していている。私も最近忙しくてなかなか行けていないが、いいところだぞ」
興味を持ったらしく、明らかに嬉しそうに身を乗り出した川畑を見て、ダーリングは満足そうに頷いた。
「詐欺だーーーーっ!」
「何をいうか。さっさと構えろ」
「保養施設でレクリエーションって言ったじゃないか。なんで武器構えてあんたと死闘を繰り広げないといけないんだ」
「スポーツだ。デスクワークの合間には適度な運動をした方がいいんだぞ」
スマートなスポーツウェア姿のダーリングは、爽やかな笑顔で訓練用の模擬剣を構えた。
「お前、なにかアーツを嗜んでいるだろう。どんなものか一度手合わせしたいと思っていたんだ」
ここはセキュリティがしっかりしているから、模擬戦用の個室に他人は入ってこないし、設備がいいから少々のことでは床や壁を壊す心配もない、とダーリングは保証した。
「万一怪我をしても治療用施設が隣接している……まぁ、お前の身体がどうなっているのかはわからんが、どうせ大丈夫だろう」
「ひどい」
ダーリングに用意してもらった彼と色違いのスポーツウェアを着た川畑は、なにかテニスとかそういうちょっといい感じの楽しい娯楽を期待してワクワクしていたさっきまでの自分に哀悼の意を評して別れを告げた。
ここから先は本気でやらないと死ぬ。
「最近、鍛錬サボってたんで、大分なまってますよ」
「良かったな。絞ってやる」
ダーリングは、興が乗ると徹底的にやる容赦のない男だった。
施設と備品の破損に関する費用は折半した。
「理力アリは流石に想定していなかったか」
何をどうしたらこういうことになるのかと、設備管理者に叱られた二人は、やっと解放されてラウンジに戻ってきたところで、顔を見合わせて噴き出した。
「まいった。出禁を食らいそうだ」
「今度から器具使ったトレーニング以外は、俺んとこでやろう。閉じた専用空間なら被害が出ない」
「なんだ。もう二度とゴメンだと泣き言を並べるかと思ったら、乗り気じゃないか」
「ファンタジー世界の理不尽な達人連中に比べたら、ダーリングさんは一応筋が通った技を理論的に体系立てて説明して教えてくれるから」
それに……と、川畑は隣を歩くダーリングをちらりと見た。
大柄な自分よりさらに上背も筋肉もあって、恐ろしく姿勢がいい。まさにフィクションのヒーローという頭身の英雄体型だが、ファンタジー世界の騎士団でよく見かけるむさ苦しい奴らと違って、シャープな印象がある。明らかにいい年なのに、年齢による貫禄があるだけで、どこかが衰えている感じは微塵もない。実際、手合せしてみても、アホほど強い。
川畑は、ふう……とため息をついた。
「デスクワークばっかりで運動不足のオジサンは時々相手をしてやらないと」
「生意気なクソガキめ」
ダーリングはラウンジの別階層に続く扉の手前で立ち止まった。
「なにか飲ませてやろうかと思ったが、お子様はバーよりもソーダスタンドかアイスクリームパーラーの方が良さそうだな」
どっちも物凄く興味があるけれどどうしようという顔をした川畑を見て、ダーリングは苦笑した。
「わかりやすい奴だ」
「……そうか?昔から、表情が読めないとか、何を考えているかわからないと言われる方が多いぞ」
「それはお前が相手に表情を読ませまいと思って壁を作っているときだろう。今みたいに普通にしていれば筒抜けだぞ」
思いがけないことを言われてショックを受けたらしい川畑の様子が面白くて、ダーリングは飲食施設がある階層への扉に足を向けた。
無駄な憎まれ口を叩くかと思ったら、川畑は何も言わずについてきた。ダーリングは前を向いたまま、やれやれと思った。
こいつは異世界から来た超常の存在で、おとぎ話の魔物もかくやという異能を当たり前に使う化け物だ。人として大切なことに無頓着なバカモノでもある。それでいて他愛のないことで一喜一憂し、食事など不要の存在のくせに意外に食いしん坊で、美味い食い物につられたりする。偉そうな口はきくし、図体はでかいが、困ったことに、ダーリングから見ると、まだまだ保護者を必要としている子供に過ぎないところが多分にあるように思えてならない。
「それで。何がいいんだ。どれでも付き合ってやろう」
アイスクリームパーラーでデカ盛りに付き合わされたダーリングは、その後、口直しのために、問答無用で川畑をバーカウンターに引っ張っていった。
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。
「この年でこんなものを食う羽目になるとは思わなかった」
「想像以上のものが出てきた……というか、すっげー色。この世界、清涼飲料だけじゃなくてアイスクリームもこういう何味かよくわからないノリなんだな」
※軍の将校専用の保養施設にあるアイスクリームパーラーは、将校の家族……ぶっちゃけ子供向けの仕様なので、内装も品揃えもそういう感じです。
川畑の入場パスは機密保持の必要性から、ダーリングさんの家族枠で発行されていたので、後日、経理情報を閲覧した情報部の人は首を傾げました。




