川畑の休日1
息抜き回です。
「畳、さいこう……」
パタリと横になった川畑は、そのままゴロゴロと転がってから、部屋の真ん中で大の字になった。
「あああああ、今日はもうなんもしない」
寝転がったまま靴下を雑に脱いで放り出す。
洗濯なんか明日考える。
ギリギリ手の届くところにあった座布団を引き寄せて枕にする。布団を敷いたほうが気持ちいいのはわかっているが、今は畳でゴロ寝の至福の時間を楽しみたい。
派遣されていた先での転移が制限されていて、あまり頻繁に戻ってくることができなかったので、このところ川畑はずっと西洋風異世界暮らしだった。
元々の自分の世界に帰れなくなったあと、賢者モル・ル・タールに用立ててもらったこの今の部屋は、川畑にとっては本当の自分の部屋に帰るまでの仮住まい程度のつもりだったのだが、元の下宿に似せてて作っただけあって、こうやって長く異世界暮らしをしたあとで戻ってくると、やはり"帰ってきた"という感慨がある。……畳と座布団があるだけで、かなり幸せなのはずっと革靴を履きっぱなしの石床&椅子文化圏にいたせいだ。
「(シダールでは床に座る機会もあったけど、基本的に同行メンバーが椅子文化圏の人だったから、そういう部屋に案内されることが多かったからな)」
裸足の指を開いたり閉じたりワキワキと動かす。開放感が素晴しい。
「(シダールといえば、あそこの風呂は良かったな……風呂も入りてぇ)」
風呂に入るためには、起き上がって湯を入れに行く必要があるが、今は立ち上がりたくない。
川畑は「ん〜」だの「ああ」だの意味のない声を上げながら、無駄に寝返りをうって、怠惰な猫のように四肢を伸ばした。起きねば!と、起きたくない!!の葛藤で、彼は少しの間じたばたしていたが、結局そのまま、抱えた座布団に顔を埋めて幸せに眠ってしまった。
「あー、ダラダラした」
目を覚ました川畑は、風呂を掃除して湯を張り、洗濯機を回した。風呂から上がって、洗濯物を干し終わってから、少し考えて、布団も干す。偽光源だが効果は太陽光と同等だ。ちゃんと布団も干せるし、太陽光発電のパネルも反応する出来に賢者をこき使って仕上げたのだ。抜かりはない。
何かメシでも作るかと考えたところで、川畑は食料品のストックがないことに気がついた。長期間、留守にするので、日持ちする調味料以外は処分してしまったのだ。独立した時間軸のこの空間で、異世界から持ち込んだ食品の賞味期限表示は、なんの目安にもならないため、置いておく気にならなかったのだ。別に時間経過を調整した別時空に保存すれば問題ないのだが、なんとなくそこまで手間を掛ける気にもおきず、出かける前に消費しきってしまった。
別に食わないと保たない身体ではないし、腹が減っているわけでもないが、なんとなく寂しい。
川畑は知り合いの時空監査官を呼び出した。
「やあ、川畑さん。なにかお困りですか?」
唐突に室内に現れて、脳天気な声で挨拶をする男は、帽子を被ったクラシカルなスーツ姿で、半透明だ。特に腰から下はグラデーションで透過度が上がって、膝から下は完全に見えない。安いコメディに出てくる幽霊みたいだが、怨霊的なドロドロした要素は全然ない。キャラが濃い割に、非常にあっさりとした印象の、どうにも存在感の薄い奴だった。
川畑が時空の迷子になって家に帰れないのは、概ねこの帽子の男が原因だが、彼が家に帰るために頼る必要があるのもまたこの男である。
いかんせん、この帽子の男というのが何本か頭のネジが緩んでいて、まったく頼りにならないため、毎度、川畑はイライラさせられるのだが、それでも時空監査局という謎の巨大組織の下っ端だということで、モノや情報の融通の窓口としては、なかなか役に立ってくれる存在ではあった。
「なんか食材欲しいんだけど、久しぶりに買出し頼めるか」
「いいですよ。何がいります?」
「そうだなぁ……適当に見繕ってくれればいいんだけど」
本腰を入れて料理をする気力はまだない。川畑は今の気分で食べたいものを考えてみた。
「贅沢品や凝ったものは要らない。なんの工夫もない四角い食パンとか、香りも癖もアクもないレタスとか、なんかジャンク感満点のカップ焼きそばとか、そういう俺の世界線の日本的には普通だった食い物が食いたい」
異世界を唸らせる美食などではなく、ごくありふれていた安物で、もとの社会ではそれに郷愁を覚える人もいないような、なんでもない日常の食品が無性に恋しい。
「これまでは銘柄指定でなんか嗜好品が多かったのに、今日はそういうのは要らないんですか?」
「うーん。それじゃあ、前に何回か頼んだ辛口のジンジャエールとトニックウォーターも。できればガラス瓶入りのやつ」
「以前、入手年代がずれているって言われたやつですね」
「そう。ペットボトルよりもなんか気分的にあっちのが美味かった」
考えていたら、微妙に食に対する欲求が高まってきた。
「自分で買い出しに行ったほうがいいかな」
「川畑さんの世界に自力で転移する方法が見つかったんですか?」
「いや、それはまだだけど……」
川畑が使っている転移デバイスは、この帽子の男が職務で使用している時空監査局の備品の予備を横流しして違法改造したものだ。帽子の男が職務分類上、川畑のいた世界に対して渡航を制限されているために、川畑もまた自分の世界にはこのデバイスでは転移できない。
「魔法学園のあった世界って、わりと世界観が近い感じで、食い物に違和感がなかったから、あそこで買ってこようかな」
「あの世界での川畑さんの口座とカードは失効していると思いますよ」
「え、そうなのか?」
「局では派遣が完了したあと維持していないですから」
川畑やノリコなど、局の関係者が派遣されている間は口座や貨幣などの設定を局が維持していたそうだが、撤退後は世界任せで放置されているから、どうなっているかわからないのだそうだ。
安定した世界だと資産や情報が継続的に維持されるが、ああいう緩い世界の場合、維持のために介入し続けていないと、ふわっと変更されてしまうのだという。その分、イレギュラーも差し込みやすいので、局としては便利だったらしいが、帽子の男の説明によると、今回は元の緩い設定の学園世界に、わりにしっかりした大きなヒーロー世界が融合してしまったので、緩かった方の社会インフラ設定は、学園部分以外はほぼヒーロー世界側に置き換わってしまったのだという。
「座標もかなり再構成されたみたいなので、私も局に問い合わせないと戻るのは難しいです」
「なんだ……そうなのか」
向こうの夏頃には誘われていた祭りにでも行こうかと思っていた川畑はがっかりした。
「向こうが存在し続けていても、そういう理由で会えなくなってしまうことってあるんだな」
会いたくなったら会いに行けばいいかと思っていたのに。
川畑はあぐらをかいて、なんとなく背を丸めた。自分の都合で一方的に別れを告げた人々に二度と会えなくなったと言って落ち込むのは、ひどくさもしい自分勝手な心根な気がして、自分が嫌になった。
ふと顔を上げると、帽子の男が消えていた。
「あれ?……おい……」
存在感の薄い奴が消えただけで、たいして代わらないはずの部屋が、急にがらんとした印象になった。
他者という存在が全くいない閉じた時空に、川畑は独りだった。
川畑は、もそもそと雑貨の手入れと整理を始めた。それから、たいして汚れていない部屋の掃除を軽くした。乾いた洗濯物と布団を取り込み、アイロンがけも終わらせると、暇になった。
独りでやれることはまだあるが、やる気が起きない。
かといって誰かに会いに行くのもためらわれた。覚えている転移先はたくさんあるが、それが知らぬ間に無効になっていたらと思うと、試すのが少し怖い。あるいは、自分が知らぬ間に、知っていたはずの相手が世界ごと変質して知らない他人になっていたりはしないだろうか。そこまでいかぬまでも、川畑がいないのが当たり前の日常に馴染んでいて、突然、出現した川畑を、平安を乱す迷惑なイレギュラーとして疎ましく思うようになっていたらつらい。
「(いや、普通に向こうは向こうで暮らしているところへ転移するんだから、普通はそう思うよな)」
考えていたら、気が滅入ってきた。
「で、なぜ私のところに来る」
銀河にしろしめす連邦政府の要人にして、"銀河の英雄"たるダーリングは、いつもの執務室で、いつも通り顔をしかめた。
「ダーリングさんは、いつでも仕事で忙しくて、いつ来てもひとまず嫌そうにするから、いつ迷惑かけても同じだなと思って」
「クソ迷惑な奴だな、お前は」
有能すぎるせいで、周囲からあれもこれもと仕事を押し付けられ続けているダーリングは、目の前の呑気なアホを睨みつけた。
「で、今日は一体何のようだ?」
「暇なんで顔出しただけ。なんか美味いもの食わして」
「よし。わかった。こき使ってやる。存分に働け」
「えええ」
「働かざる者食うべからず、というのは貴様が私に教えた言葉だったと思うぞ」
「そんなこと言ったことあったっけ」
川畑はダーリングの執務室の隅に置きっぱなしになっている予備椅子に座った。椅子に付属の端末に早速、大量のデータが送りつけられてくる。
「ダーリングさん、民間人の俺に機密情報扱わせ過ぎじゃないか?」
「誰が民間人だ。このグレムリンめ。貴様本人が特級極秘案件だ、バカモノ。どうせ感覚リンクしたら私の閲覧可能な情報はお前に筒抜けになるから、そこに気を使う無駄などせん」
「ひどい言われようだなぁ」
川畑は送られたデータを電子端末から取り込みながら、椅子の脇にやってきたダーリングが嫌そうに差し出した手を見上げた。
「別に非常事態じゃないから、ダーリングさんが嫌なら、リンクしなくてもいいよ」
「うるさい。圧倒的に作業効率が向上するから受け入れてやる。さっさとやれ」
「そんなに働きたくないんだけど……」
差し出された大きな手に、川畑は遠慮がちに自分の手のひらを合わせて握った。
「早く片付いたら、空いた時間で食事でもなんでも付き合ってやる。相手してほしかったら私の時間を稼ぎ出せ」
屈み込んでぐいっと顔を寄せてきたダーリングのラピスラズリのように金彩が散る紺碧の眼を至近距離で覗き込みながら、川畑は「(こういうところだよな)」とぼんやり思った。
「じゃあ、ま。遠慮なく……」
うっかり口角が上がりそうになるのをこらえて、真面目な顔のまま、正対して額を合わせる。
「業務効率のためってんなら、視聴覚リンクだけじゃなくて、星気体を直結して俺の使ってる情報演算領域共有するから、力抜いて楽にして、とりあえずこっちからの干渉、全部フリーパスで入れて」
「な……それは流石に……ぐはっ……」
ひどい目に会い慣れて、鍛えられてきた英雄は、常人なら十分に廃人になれるレベルの精神体への直接的蹂躙を耐えきった。
休日なのに結局働く川畑(笑)
ダーリングさんは6章登場のスペオペ世界の人です。
川畑の被害者の会があったとしたら、多分会長はダーリングさん
実は、読者の方にめちゃめちゃカッコいいダーリングさんと川畑のイラストを描いていただけて、作者内でダーリングさんブームが起きているので、ダーリングさんのところでの話がもうちょっと続きます。
ありがとう!りゅうしさん!!




