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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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思慕

暖かい日差しが差し込むサンルームは、優雅な解放感があった。

「(吸血鬼の館に、こんなに快適なサンルームがあるというのも面白いよなぁ……吸血鬼じゃないからだと言ってしまえばそれまでなんだけど)」

川畑は上物のティーカップを手に、立ち上る香りを楽しんだ。自分で淹れるのも好きだが、やはりプロに淹れてもらったお茶はいい。厳格な主人に長年仕えているだけあって、ここの使用人は優秀だ。

ずっとドタバタ続きで骨折りも多かったが、やっと一息つけた。


川畑は窓の外の見事な庭園を眺めた。奥の薔薇園を並んで散策しているのは、ファーストマンとヴァイオレット嬢だ。

こう言っては何だが、ジェラルドとよりも、並んでいてしっくりくる。落ち着いた大人の雰囲気があるからだろうか。今にも死にそうで幽鬼みたいだった頃のファーストマンだったら介護施設の看護士と療養中の患者みたいな絵面だったかもしれないが、今の彼はすっかりシャンとしている。骨の髄から貴族的で、何百年も優雅に振る舞ってきましたというその立ち居振る舞いには、ぎこちないところがまったくない。

「(なるほど。行儀作法について、これまで指導された身ごなしの目指す先は、つまりああいう動きか)」

天然もののビンテージ支配階級は格が違うと、川畑は、庭園の小道を散策している二人を目で追った。ファーストマン自身は、けして色男だのフェミニストだのに分類される男ではないが、脊髄反射で品の良いスマートなエスコートができているあたりは、流石としか言いようがない。

「(今のさりげない手の差し出し方はいいな。後で練習しよう)」

想い人(ノリコ)の手を取る自分の姿をシミュレーションしながら、川畑は温かい茶を飲んだ。……無性に甘みが恋しい。


彼はとっておきの菓子を"保管庫"から取り出した。腐敗や酸化などの概念がなく、アクセス時の最低限以外は時間経過もない時空に大切に保存していたそれは、もらったときそのままの状態で、ツヤツヤしていて美味しそうだ。

ついでに黒い手帳を開いて、想い人の手書き文字を愛でる。

一時はちょっと胸が痛んで手帳を開く気になれないこともあったが、今の川畑に後ろめたいところはない。色々とすったもんだはしたが結局のところアイリーンとも誰とも何もなかった。この世界で関わった女性は全員、ちゃんと家またはそれに準じる安全に生活できる場所にまで送ったし、そもそも、あらためてじっくり考えてみると、やっぱり別格でノリコが好きだ。というか、恋愛の意味で"好き"という感覚が当てはまるのは、彼女だけだ。

付き合ってもいないのに彼氏面すんなとか、一緒になれるあてもないのに夢みんなとか、自分の顔見て身の程を知れとか、一方的に思い入れが強くて気持ち悪いとか、己の中の理性の声は厳しいが、好きなものは好きなんで、たまにちょっとぐらいはそういう想いに浸る時間を自分に与えてやりたい。

「(あとちょっとの残件が片付いたら、一度会いに行こう)」

彼は、可愛らしい色の小さなマカロンをゆっくり味わって食べた。甘い幸福感がじんわりと染み渡る気がした。


「また、お前は一人で美味しそうなものを」

「あげませんよ。これは俺のです」

ささやかな至福の時間を邪魔された川畑は、やってきた残件(ジェラルド)に向かって顔をしかめてみせた。

気にせずに向かいに座ったジェラルドは、御用伺いで来た使用人に「彼と同じものを」とオーダーした。

「ここは飲み物に関してはともかく、食に関してはさっぱりで、まいるね」

「主人が基本的に食事をしない人だと、そうもなるでしょう。これからはウィステリアさんが滞在なさるので、多少は改善されると思いますよ」

川畑はおざなりに応えて、あとは自分の楽しみに集中することにした。

小さな菓子の最後の一欠片は、口の中でホロリと甘く儚く蕩けて消えていった。その儚さが自分と彼女の関係性のようで、川畑は目を閉じて、未練たらしく余韻を追いかけた。




ふと顔をあげると、ジェラルドが目の前で不貞腐れていた。

「なんです?」

「自分だけズルイ」

「お腹が空いているなら後で何か軽食を用意してあげますから、今は邪魔しないでください」

「お前、僕の扱いが雑すぎやしないか?」

ふくれっ面のジェラルドを、川畑は困ったように見返した。

「でも子供扱いはされたくないんでしょう?」

「それは……そうなんだけどさ」

ジェラルドは行儀悪く頬杖をついた。

川畑は年の割に子供じみたふるまいをしている青年をじっと見た。


「ひょっとして、オヤツをバスケットに詰めて、ピクニックに行きたいんですか?」

ジェラルドは頬杖をついていた手をテーブルに叩きつけて、なにか言い返しかけたが、結局ノロノロと口を閉じた。

「今更だな……」

「そうですね」

ジェラルドは、日差しがまばゆい窓の外を眺めた。のどかで平和な良い午後だ。

「もう子供ではないし、空腹で不幸というわけでもない」

「それはなにより」

別に今更あの日々に帰りたいというわけではないのだと、ジェラルドはひとりごちた。




塔の上で烏がやってくるのを心待ちにしていた子供時代は遥かな昔の話だ。

戦争があっても、国が滅びても、生まれた土地を離れて逃げることになっても、ずっと自分自身で決断して強く生きてきた。生き抜くのに必要なだけ強くあるために、古き一族と血の契約を結ぶことも厭わなかった。悪鬼のような超越者(ファーストマン)をも利用して、戦乱を生き延びて、たどり着いた地で再び王国を築きさえした。

建国王として、集めた仲間とともに1からすべてを立て直し、友情も信頼も忠誠も十分に得た。施政者として確執も陰謀も裏切りも、長命者として耐え難い別れも、イヤというほど経験した。歴史の表舞台から退いて、非公式な立場で王国を支え、徐々にその手を離した。権力と制約と監視を減らすように工作して、ようやく一人住まいを了承させ、ある程度悠々自適な立場を手に入れることさえできるようになった。

だから、今更、お節介な保護者に世話を焼いてもらいたいわけではない。

子供時代の終わりとともに失った相手。ずっと手に入れたくて、それでも永遠にその思いは満たされないと思っていた相手。それが思いがけず手に入って、自分はどうかしていたのだと、思い至る。


思えば、昔、王国で近衛に選んだ騎士は、子供時代の自分の脳裏に刻まれた暁烏(デイブレイカー)のイメージに似た男だった。今こうして目の前にいるトンチキな本物より、よほど真っ当で誠実な良い騎士だった。

「(なにをやっていたんだか)」

ファーストマンが、古王国の初代の王の面影を重ねて自分を見ているのが腹立たしくて、徹底的に彼には厳しく接していたのに、自分もまた当時一番近くにいた相手に暁烏(デイブレイカー)を重ねてしまっていた。

蓋を開けてみれば、自分が求めていたのは理想化された幻想で、本物が当時そのままの姿で現れても、けしてそれは思い出の中の暁烏(デイブレイカー)ではなかった。

「(もしかしてそうではないか?とか、多少、記憶の断片を持っている別人格かな……とか想像していた時期が一番良かったな。当人からまったくの本人だと正面きって証明されると、なんというか落差がキツい)」

思っていたよりもやることがとんでもなくて、考え方が常識外れで、奇天烈なことを真顔でやらかす。しかも意外にとぼけた奴で、解決策が雑で力任せだったりもする。

それはもう、美化された思い出を見事に裏切るトンチキさだった。

相手がどこまでこちらの事を認識しているのか、気づいているとしたらいつからなのか、まったくわからないが、そこを確認して僕はあのときの子供だと名乗っても、コイツがこういう奴なのは変わらないだろう。

変わったのは自分なのだ。

「(思い出は思い出のまま美しく記憶していたかった気もする)」

でも歴史も伝説も、実際は後世で謳われるほど美しくなんてなかったし、謗られるほど救いがなかったわけでもないことなんて、よく知っている。血の契約で古き一族に加わり、望まぬ不老長寿を得た日から、長命者としてそれを達観できる程度には十分に生きてきた。



ティーカップの中のお茶を見つめながら物思いにふけっていたジェラルドの前に、小皿が置かれた。

「お茶請けにローストナッツがありました」

上品に皿に盛られたナッツは、昔、森の中で二人で拾った木の実を割ってほじくり出して、焚き火で炙って、アツアツで食べたのとはぜんぜん違っていた。

ジェラルドは顔を上げた。

「お好みで脇の塩かハチミツをつけてお召し上がりください」

さっきまで美味そうに菓子を食っていた奴が、いつの間にか自分のティーセットは片付けてしまって、ジェラルドの脇に控えていた。

「時間をいただければ、ヌガーにすることもできますが、ヌガーは歯にくっつきますから、食べた後は歯磨きを念入りにしてください」

従者のブレイク役に戻っている暁烏(デイブレイカー)を見上げて、ジェラルドは苦笑した。

「……このままでいい」

辛さも甘さも、もうわざわざ求めない。

幼年期は終わり追憶の彼方にあるのだから。


ローストナッツはほろ苦かった。

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