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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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悪魔

ファーストマンは「自分は神の御使いだ」と宣言した悪魔を前にした教皇のような顔をしていた。ジンは呆然としたまま、重篤な冒涜に対する魔除けのスラングをボソリと呟いた。

凄まじく気まずい雰囲気を和らげるべく、ジェラルドはなんとか気をしっかりもって尋ねた。

「ええっと……それはお告げをいただいたということかな?」

悪夢から抜け出してきたような姿をした黒い魔人は、首を傾げた。

「いや。神託のたぐいは受けていない」

首の動きに合わせて飾り羽が揺れる。

「なんでもこの世界の直属の眷属だけでは解決が難しそうな案件があるから、少し力を貸すという話が回ってきただけだ」

お前らが無能だから来てやったと言うにも等しい説明に、古き一族の古参達はめまいをおぼえた。

「では、直接、女神の御言葉や神命を賜ったというわけではないのだな」

ファーストマンは、食いしばった歯の間から絞り出すようにして、かろうじてそう確認した。

黒い魔人はちょっと思案する様子で、さっきと逆サイドに首を傾げた。

「どこまでを直接というかにもよるな」

たぶん当人は真面目に答えているのだろうが、動きに合わせてコミカルに飾り羽が揺れるせいで、まったく真剣味が感じられない。

「直々に介入しに来てるっぽいときに、頼み事や間接的な指示はもらったけれど、あれは神命というほど大げさなものではないだろうし」

「じきじきにかいにゅう」

血の気が引いて白い顔になっているジェラルドに、黒い魔人は追撃をかけた。

「誘拐事件のときに2回とも来てたぞ」

飛行機のときは「あのお兄ちゃんを助けてあげて」と頼まれたという説明に、ジンも蒼白になった。

「待て、飛行機って、いつだ……ガルガンチュアのことだよな?」

「いや、ドライトンベイの花車祭。あんたが離陸前に滑走路に落とした子供だよ」

ジンはその場にへたり込んだ。

「特に現し身の容姿や性別を決めてはいないようなんだが、だいたい灰色の帽子やスカーフを被っている子供の姿で現れるんだ……会った覚えがあるだろう」

ジェラルドは頭を抱えてテーブルに突っ伏した。

「女神像や壁画はあまり似ていないよな。あれはああいうシンボリックな美術様式なんだろうけれど」

もうちょっと本人のイメージに寄せてやってもいいんじゃないだろうか?とかトンチキなことをぬけぬけとぬかすド阿呆に耐えられず、ファーストマンは椅子に沈み込んだ。



「たぶん貴方がたが思っているより、神々ってのは自分の眷属のことを気にかけていると思うぞ」

自分が、姿を変えた女神に会っていたらしいという事実に衝撃を受けて、立ち上がれなくなっているジェラルドとジンを、慰めるつもりなのか、異界の魔物はそんな事を言いだした。

ファーストマンは弱々しく身を起こしたが、すぐに額に手をあててテーブルに肘をついた。彼は突っ伏したままのジェラルドの方をちらりと見て、ため息とともに小さく呻いた。

「その中でも彼は特に直々の加護を得ていると言うことか……守護者を遣わされるほどの」

「どうかな?やらせたいお使いを果たすにはちょっとひ弱に見えたのかもしれないが」

「はぁっ!?お前が非常識に強いだけで僕はひ弱なんかじゃない」

飛び起きたジェラルドを魔人はちらりと見おろした。その視線は、「でも、ちょっと目を離すと、事件に首を突っ込んだり、巻き込まれたり、襲われたり、拐われたり、そんじょそこらの古典お姫様もびっくりなムーブをかましてくるんだよな……」などと思っているのが丸わかりだった。

ジェラルドは不満げに魔人を睨み返した。


「彼にやらせたかったお使いというのは何なのだ」

「"女神の瞳"の確保だよ。元は貴方の望みだ。そうだろ?」

そういう意味では、別に女神はジェラルドを贔屓しているわけではないと、魔人は説明した。女神はファーストマンの望みを叶えようとしたし、ジンの逃亡を助けるために都合のよい人質役さえ自らかって出た。

「廃墟同然の神殿の女神像に宝石がはまっているかどうかなんて、たぶん本人はあまり気にしていないだろうに、眷属(あなたたち)が気にするから手助けしてたんだよ。世界の外側から来た奴と手を組んでまで」

小さいのに偉い子だよなぁと一人で頷いている黒い魔人のピョコピョコ動く飾り羽を、女神の眷属達は半口を開けて眺めるしかなかった。偉大なる神を小さな子供扱いするコイツは一体何者だというのか?全員が疑問に思ったが、誰もその答えをはっきり聞きたいとは思わなかった。


「というわけで。せっかく集めたわけだし、"女神の瞳"を一応ちゃんと確認してみたらどうかな」

魔人の奨めで、ファーストマンは一度下げさせた宝石入れを、再び持ってこさせた。

ケースを一つ開けた彼は、中の石を見て息を呑んだ。

「何だこれは……なぜ石に生気が宿っている」

「皇国のマッドサイエンティストがやったんだ。さっき軽く説明されただろ。皇国軍が女神の瞳を集めてたって。軍の協力者だった彼は、人から生き血を抜くように生気を搾り取って石に込める技術と、それを動力源にする機関を発明した。女神の瞳は彼の機関の運用に最適な宝石だった」

ファーストマンは恐る恐る石を手に取った。

生気に餓えた彼の指先で、石は燃えているように熱く輝いて見えた。

強烈な飢餓感に襲われて、ファーストマンは奥歯を噛み締めて全身の震えを押し殺した。

異界の悪魔は彼の葛藤を見透かしたように「どうぞ」と言った。

「生気足りてないんだろう?それ、吸いなよ。さっき薔薇から取ったみたいに」

「しかし、これは……」

「女神の像の眼にはめるのには、そんな力は不要だろ?それにそれは人じゃないから禁忌にも触れないんじゃないか?」

手の上の宝石から目が離せなくなったファーストマンは声を震わせた。

「だが、これは人から吸い取ったものだと……」

「大丈夫。そういう意味なら、今そこに入っている力は、非人道的な手段で込められたものではないから、そこは気にしなくていい」

明らかに冷静さをやや失った様子のファーストマンは、異界の悪魔のそんな軽い保証が出るが早いか、宝石を握りしめて、そこに込められている力を自らに取り込んだ。

甘美だった。

良質で純粋な力が、一気に身体中に染み渡る気がした。


気がつけば、石は空になっていた。

これはいけない。そう感じたが止まらなかった。

彼は次々とケースを開けて、残り2つの石の力も吸いきった。

足りなかった。

半端に注がれた力が身体の中で熱くうねっていた。無理やり意識の底に押し込めていた飢餓感が蘇り、気が狂いそうだった。

彼は強靭な自制心で、己を律した。

古王国を滅ぼしたときのような血の狂乱は、二度と行いたくはない。


ファーストマンは真紅の眼で、黒い悪魔を睨みつけた。只人の視力とは異なる彼の目には、異界の魔人の姿は、燭台の灯りしかない暗い部屋で、灯明よりも明るく強い力で輝いて見えた。

烏の仮面を付けた魔人は、何を考えているか読めない顔つきで「つらそうだな」と言うと、懐からもう一つ宝石ケースを取り出した。

「よければ、ここにもう一つあるぞ」

コイツは正真正銘の悪魔だ。

ファーストマンは暴走しそうになる欲望を必死に押し殺しながら、そう確信した。


4つ目の石は、先の3つとは比べ物にならないくらい純粋で強烈な力が大量に込められていて、燦然と燃えていた。

「止めておこう。たとえそれを得たとしても我が渇きは満たされない」

古王国の民と古王国を襲った異民族軍を等しく蹂躙し、自らの一族すら粛清してファーストマンの座についた男は、その狂乱の贖罪として自らにかした誓いを何度も心の中で唱えながら、かろうじてそう答えた。

「なんだ。そんなこと気にするな。これくらいいくらでもチャージできる」

黒い悪魔はおおらかに笑顔を浮かべた。

「なんなら、そっちが満足するまで直接、力を吸わせてやってもいいぞ」

「ブレイク!!」

蒼白になって怯えていたジェラルドが悲鳴を上げた。

「お前が身を差し出す必要なんてないだろ」

「いいだろ、別に血の契約をしようってわけじゃないし。重病人への献血みたいなもんだよ。それに俺は異界の魔人扱いだから"人"の範疇に入らないんじゃないかな?誰との契約だか知らないけれど適用外ってことにしておけばいい」

見るからにつらそうでかわいそうだから、これは助けてやらなきゃと言われて、ファーストマンのプライドはズタズタになった。

「この人が元気になってシャンとしてくれたら、一族としても色々と助かるんだろ?」

魔人の問いかけに、部屋の隅で静かに控えていた老使用人は深々と頭を下げた。

「さあ、そういうわけだから、遠慮するな」

悪魔はテーブルを回り込んで、苦悩するファーストマンの傍らにやってきた。


人から血を得る行為というのは、我々の一族にとっては非常に個人的かつデリケートな範疇の問題なので、そういう無神経なアプローチはやめて差し上げろ、とジンは叫びたかったが、諸々のショックで消耗しすぎていて、顔を上げる気力すら残っていなかった。


デリカシーと古き一族の常識が足りない異界の怪人は、精神的均衡の限界にいる男の前に、甘美な生命力の炎が揺れる宝石を差し出した。

「本当に具合悪そうだな。大丈夫か?さあ、無理しないで、まずはこれ食べて元気出せよ。なんならもうどこか寝台のある部屋に行って横になるか?歩くのつらかったら連れて行ってやるぞ。よければ生気やるついでに看病もしようか」

体内の気の循環を整えるマッサージだって習得済みなんだと、悪魔は大威張りで胸を張った。

ジェラルドは声にならない悲鳴を上げて卒倒した。

ファーストマンもそうしたい気分だった。


しかし不幸なことに彼は、悪魔に別室に連れて行かれてからも、最後の最後まで気絶できなかった。






翌朝、猛烈に不機嫌だが、やたらと肌艶のいいファーストマンからそっと目を逸らしながら、ジンは魔除けの祈りを3回小声で唱えた。

川畑は純然たる善意で行動している。


可哀想なファーストマンさん……

もちろんマッサージは温浴有りのシダール本式フルセットでした。


地獄への道は善意で舗装されているw

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