齟齬
構造が同じだから、似た世界だとは思っていたが、本当に地続きで同じ世界だったのか、と川畑は長テーブルの向こうの端に座っている男を眺めた。
薄々そうじゃないかとは思っていたが、川畑のことを"暁烏"などと呼ぶ黒髪オールバックが存在していることで確定した。ここは以前、彼が塔にいる少年のところに、ちまちま通っていた世界の延長線で間違いないようだ。
あの一件のあと、帽子の男はいたくおかんむりで、記憶している座標は全部消して二度と行くななどと言っていたから素直に従っていたが、なんのことはない、向こうがすぐに同じ世界に川畑を放り込んでいたらしい。
「(何年ぐらい後なんだろう?)」
ファーストマンが長命種族なのは確定だから、基本的に外見が変わっておらず白髪にもなっていないのは年代検証の手がかりにはならない。川畑は歴史の関連情報がなかったかカタリーナの屋敷で仕事をしていたときに作ったデータベースをこっそり検索しながら、ファーストマンの様子を観察した。
「(なんか老けた気がする……それともどこか体を悪くしているのかな?)」
バンパイアもどきの相手に"生気がない"というのも変だが、なんとなく全体に具合が悪そうだ。剣呑な威圧感は健在だが、以前会ったときほどギラギラしてはいない。
ちょっと思案してから、川畑は直接相手に聞いてみることにした。
「ひょっとしてお体の調子を悪くしてはいませんか?早めに医者に診てもらったほうがよいと思うけれど、あー……実はもう療養中?」
川畑はぐるりとあたりを見回した。
静かだが、あまり病人の健康に良さそうな場所ではない。
「(吸血鬼ではないらしいけれど、日光とか流水とか苦手なのかも……すっごくそういう見た目をしているし)」
豆まいたら数えてくれるだろうか?などと失礼千万なことを呑気に考えていた川畑を、ファーストマンは困惑と苛立ちが半々といった様子の険のある目つきで睨んだ。
「病気ではない。我々は病になどならぬ」
ただ……と、彼は続けた。
「久しく血を得ていないだけだ。契約で禁じられているのでな」
「バカな!いくらなんでもそんな契約があるものか。それでは死んでしまう」
ジンがたまらずという様子で叫んだ。
「木っ端眷属や、破門されて悪食になった俺ならまだしも、あんたぐらい血の濃い古い血族は、パンだの魚フライだの食えないんだろう!?純粋に生物の生気でしか飢えが満たせないくせになんでそんな契約を」
ファーストマンは目を伏せて薄く笑っただけで理由は答えなかった。
彼が軽く合図すると、部屋の隅に待機していた使用人が、彼のもとに盆を運んできた。
盆の上には薔薇が一輪あった。
「なに。人の血を禁じられているだけだ」
男は貴族的だが節ばった指で薔薇の枝を取った。
「生など、花一輪の香で十分……」
男の手の中で、綻びかけの蕾だった赤い薔薇が、みるみるうちに茶色くしおれ、カサカサになった葉がテーブルに落ちた。
川畑は、彼の手が微かに震えているのに気づいた。砂漠で行倒れていた人がペットボトルの蓋に半分の水を舐めて、大丈夫と言っているような感じだ。
「それ、足りていないだろう」
川畑は心配そうに、カサカサの葉に目を落とした。枯らした本人の生気のなさっぷりは、それといい勝負だ。
「断っても生きてはいられるからと言って、むやみに糧を断つと身を損なうぞ。己を律することは必要だが、それも過ぎれは歪みの元だ。体がもつことと、健やかに生きることは別だ」
シダールのお師様の受け売りだが、自分には響いた言葉を、川畑は並べてみた。
自分ではまだ大丈夫だと思っていても、心が疲弊しているときはある。身を清め、滋養をとり、ゆっくりと眠って身を整えなさい、とお師様は説いてくれた。
あれはいいアドバイスだったし、彼にも必要そうに思えた。実のところ、年齢や、社会的、宗教的な地位は、お師様や川畑よりも、ファーストマンの方が上なのかもしれない。が、この際、いい警句は土塀に書いてあっても名言たり得るだろう。どうもこの男は"いたわる"という感覚を持っていない気がする。
人の命を取ることを推奨する気はさらさらないものの、目の前の男は圧倒的に生気が足りていない。先程のジェラルドとの話からすると、どうやら生命維持のギリギリ限界で、ほとんどの時間を冬眠同然の状態で過ごしているようだ。
ジンの反応を見る限り"即身成仏"という概念はなさそうであるから、教義に沿った行動ではないだろう。宗派のトップがこの有り様で、十分に組織の運営ができていないというのは、問題がある。
「何か自力で解決しにくい不都合があるなら、力を貸してやろうか」
申し出た川畑を、ファーストマンは胡散臭そうに見返した。
「本当に暁烏か?随分と様子が違うようだが」
「なにかとんでもない誤解と行き違いが起こっていなければ、本人だ。岩山にある女神の神殿でお別れして以来だが……わからないか」
そういえば、わからなくて当然かもしれないと川畑は思った。あのときは仮面をつけていたし、人外の怪人のフリをしていたから翻訳さんによる偽装も今のさじ加減とは違った。
説明も身元の証明も面倒だったので、川畑は手っ取り早くわかってもらうために、当時の姿を再現してみせることにした。
「着装」
彼の身体に魔力光が走り、服と入れ替わりに全身を黒い被膜が包んだ。川畑は、飾り羽が片方だけ無くなっている黒い仮面を、物置に使っている時空から取り出して着けると、この世界用の一般人偽装の一部を解除した。
「これなら見覚えが?」
川畑の傍らで、ジェラルドとジンが仰け反りながら、悲鳴になりかけの声を喉の奥に飲み込んだ。
テーブルの向こう側の男は、眉根を寄せて小さく唸った。
「この世界には二度と戻れないと言っていなかったかね?」
「と、言われてはいたし、自分もそう思ってはいたから、意図的に嘘で騙したわけじゃない」
用があったらしくてまた派遣されたと説明すると、ファーストマンの眉間のシワはまた深くなった。
「……誰の用件だ」
川畑は少し考えた。直接の依頼主は帽子の男だが、話の流れからするとそういう質問ではないだろう。かと言って臨時雇いの不正規雇用者が時空監査局のエージェントのように局の業務命令だのというのも気が引ける。
ここは、今回のクライアントをあげておくのが一番この世界の人にはわかりやすいだろうと、川畑は判断した。
「神……貴方がたが崇める女神だ」
もともと静かだった部屋の中が、カタコンベよりも静まり返った。
嘘は言っていない。




