想定外
曲技飛行パイロット、スティーブン・ジョーンズは、立て続けに押し寄せる非日常に当惑していた。
最初は指名依頼だった。それ自体はないわけでもない。だが個人旅客の輸送でというのは珍しい。
自分の所有機では一人しか乗せられないというと、なんと機体は向こうの手配だという。機体の調達はできたがギリギリになってパイロットの都合が合わず、人伝に評判を聞いたことがあるとやらでスティーブンに白羽の矢がたったらしい。
「双発機なんだ。他に経験者がいなくてさ。お前ならいけるだろ?」
「双発機には乗ったことはあるが、見てすぐ操縦しろってか?」
「曲芸をしろってんじゃないんだ。ちょっと行って帰るだけだよ。実入りはいいぜ」
飛行場の知り合いの言葉にうっかりのっかって、スティーブンはその仕事を受けてしまった。金欠は人間の判断力を鈍らせるものなのだ。
依頼人は、品のいい妖艶な夫人だった。
明らかにスティーブンとは住む世界が違う雰囲気をまとっている。
依頼は、彼女を自動車及び運転手1名付きでノースフォークまで運ぶことらしい。
たしかにノースフォークに行くなら、鉄道輸送より、飛行機でウォルトバーグの湖沼地帯をまっすぐ越える方が手っ取り早いが、だからといって車が乗る輸送機を用意するというのは、金持ちというのは剛毅なことをすると、スティーブンは呆れた。
双発の輸送機は見たことのない形だったが、操縦席の各種機器の配置と操作感は、操縦経験のある機種と大差なかった。
スペックと緊急時の操作手順を急いで頭に叩き込み、乗客に必要な注意事項の説明をする。
夫人も運転手もこういうことに慣れているのか、おそろしく聞き分けがよく話が早かった。
ノーフォークまでの飛行は、なんの問題もなく完了し、夫人はスティーブンに礼を言って、報酬を多めにくれた。
「(世の中の金持ちのクライアントがすべてこれぐらい良い客だったら良いのに)」
スティーブンはノーフォークの飛行場で、軽食を食べながら、臨時収入の使い道をあれこれ考えていた。
「おい。ドライトンベイのスティーブン・ジョーンズってパイロットはいるか?」
「俺だ」
「電信だ。じきに客が来るから、すぐに上がれるよう準備して待ってろだとさ」
「何?」
電信は先程別れたクライアントの夫人からだった。急な要件で予定が変更になったから、ドライトンベイへの帰りの便の代わりに、今からこっちに来る婦人の用件に対応してやって欲しいとのことだった。
なんと双発機はそのまま使って構わないらしい。
理由がわからんが、乗せる相手が多少変わっただけか?と思いながら、指示のとおりに、給油を終わらせ滑走路に待機させていると、1台の自動車が土煙を巻き上げながら飛行場に突っ込んできた。ちょっと目を疑うようなその運転に、スティーブンは見覚えがあった。
「アドラー嬢?」
「スティーブン・ジョーンズ!すぐ出せる?緊急事態なのよ!!」
「え?また?」と口に出さなかった自分は偉いのではないかと、スティーブンは思った。
アドラー嬢の登場から、非日常はとどまるところを知らずに加速し始めた。
西に向えと有無を言わさずに離陸させられたあとで受けた説明によれば、拐われた人物を救うために、全幅と全高が城塞サイズの巨大空中戦艦を追うのだという。
話のリアリティラインが余裕で自分の常識を突き破っていて理解が追いつかない。
「そんな馬鹿げたサイズの航空機聞いたことないぞ?誰が作ったんだ」
「皇国軍の最新鋭機なのよ」
「いやいや、だとしたら君は俺に、この借り物の機体で単身、国境を超えて皇国軍に喧嘩を売りに行けって言っているのか?」
「大丈夫。相手は皇国を飛び立って西に向かって飛行中よ。皇国上空でやりあうことはないわ」
「そういう問題じゃない」
「空中戦艦と言ってもテストフライトも同然の処女飛行だし、別に撃墜しろとは言っていないじゃない。後を追ってくれればいいの。救出は着陸した後でやればいいんだから」
「なんで俺なんだ?」
「拐われた本人の指名なの。別れ際に、あとは貴方に頼れって言い残して、私を逃がして自分だけ捕虜になったのよ」
主観的解釈による意訳も甚だしい誇張された説明だったが、真実を知る由もないスティーブンの立場では信じるか、一笑にふして無視するかの二択しかない。
「その、拐われた彼ってのは、あの金髪の優男か?」
「金髪?」
アイリーンは脳裏にかけらも残っていなかった人物をチラリと思い出して「ぜんぜん違うわ。そっちは忘れて」とすぐに切り捨てた。
「ブレイクよ。黒髪で背の高い方。覚えているでしょう?」
たしかに、忘れるには印象的過ぎる青年だった。
「彼か……」
「お願い。彼、きっと私が貴方を連れてきてくれるって信じて待っているわ」
機長席の後部に座っていたアイリーンは身を乗り出して、操縦桿を持つスティーブンの邪魔にならない程度に、そっと二の腕に手を添えて真摯に懇願した。
スティーブンはあまり英雄願望も自殺願望もない男だったが、飛行機乗りの標準程度にはロマンチストで、アコギな金持ちになれない程度に人情にもろくて、無難な所帯持ちになれない程度に美女に弱い面食いだった。
「で、そのデカブツはどっちに飛んでいったんだって?」
ろくに契約条件も確認せずに、スティーブンはなし崩しにアイリーンの頼みを承諾した。
「は・な・し・が、違う!」
「想定外の危機はいつだって起こり得るわ」
飛び立ってすぐに、"追いかけるだけ"の約束は反故にされた。
通信機でなにやらやり取りしていたかと思ったら、アイリーンはとんでもないことを言い出したのだ。なんでも、追跡予定の巨大空中戦艦内で軍人同士の内輪もめが発生し、機長が倒れ、乗員は全員が機外に退避して、民間人数名だけが取り残されたたらしい。しかも機器のトラブルまで発生していて、機体は墜落寸前だという。
「無茶苦茶だ。あり得ない」
「でも、そういう救難信号が出ているのよ」
「ってことは、コックピットに通信士はいるってことだろ!?」
「民間人だそうよ。たぶん彼だわ」
無事で良かったと安堵している姿は微笑ましかった。が、ついでに漏らした言葉が「こんな内容を、こんなに正確な信号で冷静に発信できて、かつ私にはわかる"ノイズもどき"の暗号まで仕込んでくるのは、彼にしかできない」だったあたり、お前らは何者だ!?と問いただしたくなる。
スティーブンは、百歩譲って、飛行機が落ちそうなことも、正規の乗員がコックピットに誰もいないことも事実だとして、それはけして"想定外"の危機ではなく、原因も八割方嘘だろうと思った。
ランデブーポイントはココだと、航空図を広げて座標を読み上げるアイリーンは、どう考えてもこの事あるを予測して動いていたとしか思えなかった。
しかし、人命の危機であることはたしかで、多少なりとも救援に向かえる立場にあるのが自機だけなのに、行かないという選択はスティーブンにはできなかった。
「(実は変な犯罪の片棒を担がされていて、日の当たる生活ができなくなったら、高給ぶん取ってやろう)」
腹をくくったスティーブンは、開き直り気味にそんなことを考えた。実は彼らにとっては想定内な危機で、対処方法に自分が組み込まれているなら、段取りは万全なのに違いない。ちょっと聞いただけでは、笑うほど絶望的な状態だがなんとかできる算段はあるのだろう。
取り乱さず、逆らわず、自分にできることをやるしかない。
自分はパイロットとして困難な任に耐えうると評価されて指名されたのだ。
だが現実は、スティーブンが推測したほど、関係者にとって想定内な状況ではなかった。
「見えた!アレか?」
目視で確認できたガルガンチュアの巨体は歪にたわんでいて、4基あるプロペラエンジンのうち2つから黒煙が上がっていた。




