帰る男
「諸君、マイカップは用意したかな」
『はーい』
『ボクはおーさまに、よういされました』
『カップ、お前の分なしな』
『わーん!ふざけてごめんなさい。ちゃんともってきました』
妖精達は木の実の殻や、指貫を手に行儀よく並んだ。
川畑はフルーツポンチのボールをテーブルに置いた。"D"払いで入手したフルーツ缶とソーダで作ったなんちゃってポンチだが、ガラスの器の中でキラキラしていた。
『お祝いで無礼講だが、各自節度を持って、仲良く分けろよ。あと、最初は"乾杯"って俺が言うまで飲んじゃダメ』
『はーい』
川畑は、行儀よく座って待っていたシャリーに向き直った。シャリーはちょっぴり困ったような顔をした。
「私、器を持っていないわ」
「大丈夫、ちょっと待って」
シャリーの目の前で、川畑の姿が消えた。
シャリーとハーゲンは大聖堂内の一番小さな客室にいた。
馬を連れて聖都に戻ったハーゲンが山からの帰りに謎の火柱を見たことを報告すると、すぐに聖堂騎士団が動いてくれた。夕方から雨が降りだしたが、あわてて戻ってきた伝令の第一報に仰天した騎士団長と司祭達は、第2陣を派遣し、その中にはシャリーの兄のルイも含まれていた。
ソルはすでに所属に応じた新しい部屋を割り当てられていたが、シャリーはルイの部屋に住むことになっていた。そのため万一を考慮して、今晩だけシャリーは聖堂内に泊まり、面識のあるハーゲンが護衛に付くように指示されたのだった。
「はい。君にはこれ」
シャリーは目を瞬いた。
消えたと思った川畑が、次の瞬間には、丈の高いグラスを2つ持って立っていたのだ。
「キレイ……」
受け取った冷たいグラスには、レモンの飾り切りが差してあり、中では細かい泡が、蝋燭の光を反射しながら、立ち上っていた。
「みんな、飲み物は持ったな。今回は諸君の活躍により、無事にシャリーを狙う悪者を全部やっつけることができた。では、妖精騎士団のますますの活躍とシャリーの健康と安全を祈念して、乾杯!」
『カンパーイ!』
『おいしー』
『おかわりー』
大騒ぎする妖精達を見ながら、川畑はシャリーの隣に腰掛けた。
「美味しい。これなあに?」
「この国の上流階級の飲み物はわからないから、俺の知っている中で一番君にぴったりの名前の飲み物を用意した。グレナデンシロップのソーダ割……名前は"シャーリー・テンプル"」
正式な分量がわからなくて、君用のレシピで作ったから、"シャリー・テンプル"だな、と真面目くさって解説する川畑を、シャリーはグラスの中身と同じくらいキラキラした目で見上げた。
「あなたのは色が少し濃いのね」
「こっちは俺の好みでドライジンジャエールで割ってるからな。シャリーが飲むにはは少し辛口だよ」
「飲んでみたい」
「もうちょっと大きくなってからね」
川畑の好みがどんな味なのか知りたかったシャリーは、頬を膨らませた。
妖精騎士団の祝賀会が終わったあと、シャリーは眠る前に川畑の手を引っ張った。
「今日はお隣にいて」
「じゃぁ、眠るまで手を握っていてあげようか」
「ううん。朝までずーっとお隣で一緒に寝て」
大きな雷の音がした。外は大雨のようだ。
「雷が怖いのか?ちっちゃい子供みたいだよ」
「だって私、辛口のドリンクは飲ませてもらえないちっちゃい子供だもの。旅の間みたいにぎゅってだっこして」
また雷鳴が響いた。今度は落ちたらしい。
やっぱり、どれだけ妖精達と一緒にもう大丈夫って言っても、子供のことだ。自分が悪者に狙われて、兄がこの嵐のなかその調査に出掛けているというのは、不安でしょうがないんだろうなぁ、と考えて、川畑は小さなシャリーを甘やかすことに決めた。
「じゃぁ、おやすみ、シャリー」
灯りを消してから、ついいつもの癖で賢者に教えてもらったおやすみの挨拶をすると、シャリーはちょっとびっくりしたようだったが、同じように挨拶を返して、嬉しそうに眠った。挨拶の返し方が賢者と一緒だったので、意外に小さな子供相手にはスタンダードな挨拶方法だったんだなと川畑は安心した。
その夜は嵐だったが、シャリーは幸せに眠った。
翌日、午前の早いうちにバスキン達が戻ってきた。
「俺たちがあんなことしていた間に、こっちではそんな大変なことが起こっていたのか」
「まぁまぁ。イベント候補地は見つかったわけだし、いいじゃないか、隊長」
雨で足を滑らせて川に落ち、偶然見つけた洞窟で嵐をやり過ごしていたそうだ。ロビンスが上機嫌なのは、こっちにいたら間違いなく風雨の中、徹夜で捜査隊に参加させられていたからだろうと川畑は思った。
その後、二人は聖堂騎士団と合流し、この先の予定を変更して、そのまま大神官関連の捜査に参加することになった。
「証言によれば、魔王復活を企むやからだというからな。さすがに捨て置けん。申し訳ないが、ハーゲンはこの調査報告を持って、先に王都に帰ってくれ」
「わかりました」
川畑は乗り合い馬車に乗って、聖都を離れた。
風呂上がりに、畳の部屋で布団を敷きながら、ふと、川畑はシャリーとの約束を思い出した。
「あー、約束したしなぁ……。一度、行こうか……な……」
必要もないのに、首や肩のストレッチをすると、ゴキッと嫌な音がした。
「乗り合い馬車1日はきつかった」
川畑はため息をつきながら、穴を開けてノリコの部屋に転移した。
「(やべ、転移位置と姿勢の調整ミスった)」
とっさに空いているところに手足を着いて、ギリギリで体を支えた。落下の勢いを堪えきれずに思わず膝をつく。
暗い中でくぐもった着地音が響き、ヒヤッとする。息を殺して数秒。誰何の声は上がらない。
「(……セーフ)」
川畑はそっと目を開けて、吐きかけた息をもう一度飲み込んだ。
目の前10cmちょっとのところにノリコの寝顔があった。
アウトだった。
「(どうしてこの部屋のときは毎回ベッドの上に出現するんだ!しかも思った以上に最悪な時間帯じゃないか)」
泣きそうな気分で、眠っている彼女の顔をみる。
酸素を求めて心臓がバクバクした。
息をする必要性を思いだし、吐息がかからないように、少しずつ肘を伸ばして上体を上げながら、息を吐く。その間も、彼女から目が離せない。
自分がどれだけ彼女に会いたかったか思い知らされて、頭をぶん殴られた気分だった。蓋をして思い出さないようにしていたものが溢れでる。
ベッドがギシリと鳴って、川畑は硬直した。
冷静にならねばと、必死で周囲の状況を把握しようとする。
彼女の部屋の現実感に圧倒された。
そのリアルな女子高生の部屋で、深夜に、寝ている女の子にのし掛かるようにしている自分を客観視した瞬間、冷静という言葉がどこかにすっ飛んだ。
「(指一本触れてないから……セーフ?)」
どう考えてもアウトだった。
半端に視界を拡げたせいで、彼女の全身を意識してしまう。これまで何度も抱き上げたりしてきたせいで、上掛けの下が容易に想像できて頭がくらりとした。
「(これ、気づかれたら悲鳴ものでは)」
そこで自分がすでに無意識で、防音やら認識阻害やらを展開済みであることを自覚する。
「(え?俺、なにしようとしてるんだ?)」
"「いいんじゃない?会いたかったら、夜這いにでも何でも行けば」"
ソルの言葉を思い出し、空回りしていた思考が停止した。
どう考えても、この状況で自分を止められるのは自分しかいないのに、自分に勝てる気がしなかった。
スリーアウト。チェンジ。
川畑は戦略的撤退をした。
「おかえり~、おーさま」
「どこいってたの」
川畑はカップとキャップの方を見もせずに、ゾンビのように布団に潜り込んだ。
「お前達、あとで迎えにいくから、今日は妖精王の城に戻っててくれ。今は一人になりたい」
川畑は布団から片手だけ出して、畳をトントンと叩いた。
「はーい」
「おまちしていまーす」
妖精達は出現した穴に入って転移していった。
川畑は部屋の明かりを消した。
目を覚ましたときは、自己嫌悪で死にそうな気分だった。
色恋沙汰に免疫が無さすぎて、自分の手綱がどこにあるのかわからない。彼女のためなら空だって飛びそうな自分が怖かった。
そろそろ一度真面目に自分の世界に戻ることを考えて常識を取り戻した方がいい気がした。
「理性と論理って大事だなぁ」
「倫理がどうかしましたか?」
「うぁ!びっくりした。急に背後に立つなよ」
振り替えると帽子の男が立っていた。
「ちょうど良かった。報告しとくことが色々ある」
「それなんですが……」
帽子の男は申し訳なさそうに言った。
「あの世界への介入が中止になりました。局員及び関係者は全員引き上げ命令が出ています」
「なに?」
「時空監査局は調整による安定化は不可能であるという結論に至り、周辺世界への被害拡散を防ぐ方向に方針を変更しました。ご協力ありがとうございました」
帽子の男は深々と頭を下げた。
「川畑さん、即時撤収は可能ですか?必要なら局の方でカバーストーリー用の小道具やキャストを提供することもできます。偶然出会った親類とか要ります?」
「待て」
川畑はどんどん喋る帽子の男を止めた。
「今はちょうど抜けやすい状況にいる。撤収は可能だ。だが……局が調整を放棄した場合、あの世界は、住人はどうなるんだ?」
「主による管理が失敗し崩壊します。あの世界の住人は眷属ですから世界の崩壊と同時に消滅します」
「泡沫世界の崩壊と同じなのか」
「同じですよ」
川畑は泡沫世界の崩壊で、影絵のような住人達が消えていく様を思い出した。
「いつだ?あの世界内の時間で世界の崩壊までどれくらいある」
時空の管理なんて壮大なことをやっている連中だ。話の単位が万年億年という可能性もある。
「川畑さんを派遣していた時点からですと……5年以内ですね」
知り合った騎士達や子供達が普通に生活している世界が崩壊する。
川畑は膝が震えるのを感じた。
「待……て……妖精達の精霊界はあの世界の準世界じゃなかったか?親に当たる小世界が崩壊すると準世界はどうなる?」
「世界を安定させるだけの十分な主がいない世界は崩壊します。世界の崩壊は近隣の世界にダメージを与えるので、この前行った精霊界ぐらいの準世界ですと難しいでしょうね。でも安心してください。精霊界の主の妖精王と妖精女王には局からすでに避難勧告が出ているはずなので、安全な世界に一時待避しているはずです。お二人のことなら心配要りません」
妖精王はしばらく妻と旅行に出かけると言っていた。あの時点で避難勧告が出ていたに違いない。
妖精王の城のある精霊界と、崩壊する世界の時間がどれだけずれているのかわからないが、ほどなくあの世界も崩壊し、妖精はすべて消滅する。
「眷属は別の世界に待避できないのか?」
「眷属ってその世界と主によって作られていますから、普通は他の世界にはいけませんよ。川畑さんが妖精連れて歩いてるのがおかしいんです」
「そりゃ、あいつらは単純だから一人二人なら……」
ということは妖精全てはもちろん、複雑な眷属は一人も避難できない。
川畑は座り込んだ。
「珍しいですね。川畑さんが眷属のこと、というかノリコさん以外のことを気にするなんて」
「ああ……そうだな」
今、彼女は家にいる。これで自分が元の世界の生活に戻れば、すべては元通りだ。……すべて忘れられたら。
「局の技術で記憶の改変ってできるのか?こう、メンインブラック的な奴」
「あれは、あの種の思考傾向の主の妄想に統一性を持たせて、派生世界に分離しやすくするための啓蒙映画なので、あれ系の世界で眷属相手になら使えるアイテムはありますよ。ただ他の世界の住人や、主になれる能力の思考可能体の記憶改変はどうでしょうねぇ?少なくとも、私はできません」
「そうかぁ」
川畑は虚空を見上げながら、なんとなく畳の上で指を動かした。
そういえば、ピアノのコンサート曲は、まだ通しで最後まで引けない。
「(とはいえ、練習に5年もかからないから、約束は果たせそうだ)」
と考えてから、ゾッとする。
5年で森番の子は、俺に勝てるようになるのだろうか?
シャリーはドライジンジャエールが飲めるくらい"もうちょっと大きく"なれるのだろうか?
そして……。
「なぁ。局ではあの世界で5年以内に、具体的にはなにが起こるって言ってた?」
「えーっと、詳しくは教えられてないんですが、どうしても勇者が失敗するとか、魔王が暴走するとか悲鳴が上がってましたね。勇者が魔王を討伐すれば世界は安定するらしいんですが、どれだけ介入しても失敗するんです」
帽子の男はお手上げだというジェスチャーをした。
「管理主が消えたので新しく導入した思考可能体の持ち込んだ概念が世界とマッチング失敗しただけだって批判も出てましたけど、だからといってそうホイホイ適材がいるわけでもなし、納得してない主に世界設定を強制する権限は局にはないし、難しいですよね」
責任のない下っぱで良かったなどと言っている帽子の男に背を向けたまま、川畑は立ち上がった。
「では、下っぱ君。君はこれから暇なわけだ」
「はい」
「ちょっと手伝って欲しいことがあるんだが、いいか?」
「ええ、まぁ。今回はだいぶ頑張ってもらったのにこんな結果になって申し訳なかったですし……。いいですよ。なにするんです?」
川畑は振り返らずに言った。
「勇者と魔王を討伐しに行く」
川畑が自分の部屋に戻るまでには、まだまだかかるようだった。
次章に続きます。(の前に次回は閑話)




