支援
ダラダラと牧草地と畑が続く灰褐色の風景の中、農夫は聞き慣れない音に、ふと視線を上げた。
「なんじゃ、ありゃあ」
右手に見える丘陵の稜線の向こうに、もくもくと砂埃が上がっていて、ものすごい勢いで近づいてきている。畑の向こうにある街道を何かが爆走していると気付いたときには、ソレは見たこともないようなスピードで視界を横切り、左手にあるこんもりした暗緑色の森に向かって走り去っていった。
アイリーンは、必死の形相で、暴れ馬を抑え込むようにハンドルにしがみついていた。カスタムメイドの超高級車は、持ち主が見たら卒倒しそうな運転で、街道をひた走り、飛び去った巨大航空機を追っていた。
とはいえ、いくら常識外れの暴走をしても、ろくに舗装もしていない街道を走る地上車が航空機に追いつけるわけもない。早々に雲上に消えた機体は、今はどこまで行ったやらアイリーンにはわからなかった。ただもう半ば以上、意地になって、彼女は車を駆っていた。
『帰ったらスティーブンにもよろしくと伝えてくれ』
彼の伝言が遺言のつもりでないのなら、意味するところは一つだ。
「行ってやろうじゃないの」
木立の間をうねうねと抜ける馬車道を、ラリーカー並みの勢いで疾走する。木々はもはや後ろに飛び去るだけの暗緑色の斑な背景だ。
不意に道が二手に分かれていた。
右側にチカリと青い煌めきが見えた気がして、アイリーンは迷わず右手にハンドルをきった。
その青い小さな光は、これまでも度々、分かれ道で現れた。
皇国の道に詳しくないアイリーンが、道案内が同乗しているわけでもないのに、細道に迷い込みもせずここまで来れたのは、この謎の輝きが道標だと直感で信じて従って来たからだった。
根拠も何もないが、一瞬で消えてしまうその不思議な瞬きは『こっちだ』と言って彼女を導いてくれているように思われたのだ。
しかし、その神秘的な道標も、今度ばかりは当てにならなかったようだった。
「っ?!」
見通しの悪いカーブを曲がった先には、倒木があった。アイリーンはとっさにハンドルをきって倒木を避けたが、車はいうことをきかなくなり、次の瞬間、視界はブラックアウトした。
「気がついた?」
威厳のある深い声音に目を開けると、知らない女性が、彼女の顔を覗き込んでいた。まだぼんやりしていて自分のおかれた状況がわかっていないアイリーンが数回瞬きすると、その黒髪の夫人は「どこか痛いところは?」と、彼女に具合を尋ねた。
アイリーンは自分が路上に横たえられていたことに気づいて、慌てて身を起こした。
下に薄い毛布が一枚敷かれているところをみると、車から投げ出された訳ではないようだ。周囲を見回すとアイリーンの車は路肩の茂みに突っ込んでいた。運転席側の扉が開いている。
「お、ネェちゃん、大丈夫か?」
車の方からこちらに声をかけてきたのは、若い男だった。服装や言動を見る限り、この黒髪の夫人の下男か何かだろう。運転席から彼女を降ろしたのはこの男らしい。
見れば少し離れたところに、彼らのものであろう車が止めてある。通りがかりに助けてくれたのだろうか。
「車の方は大丈夫そうだぞ」
ボディの傷を見たらオーナーは憤死するだろうが、と言って男はグルリと目玉を回し、おどけた様子で肩をすくめてみせた。
「ありがとうございます」
身体の方は特に大きな問題はないようだと、アイリーンは答えた。まだ少し頭がぼんやりしているが、出血を伴う傷や激しい痛みはない。
となると、気になるのは時間だ。
「私は、どれぐらいの間気を失っていましたか?」
日差しはまだ明るいが、木漏れ日からでは、時間を確認できるほど日の高さはわからない。
夫人は若干呆れを含んだ様子で、そう長い時間ではないと思うと答えた。
その答えを半分聞いた時点で、焦って車に戻ろうとするアイリーンを、夫人は止めた。
「お待ちなさい。なにをそんなに急いでいるのですか」
説明するのももどかしく、とにかく急いで行かねばならないところがあるとだけ答えれば、夫人はどこまで行く気なのか教えなさいとピシャリと言った。
「慌てて出てもまた事故を起こすだけです。次は人死が出るかもしれないのに行かせられません」
逆らいがたい威厳をもってそう言われてしまい、アイリーンは観念して行き先を告げた。
「そこにいる飛行士にどうしても飛行機を出してもらいたいんです」
「飛行機乗りに用があるなら、相手をこちらに呼びつけなさい」
「えっ?」
「車より飛行機の方が速いでしょう」
「は、はい」
「電信で最寄りの飛行場に呼びつけなさい」
「あ……」
「中世じゃないんだから、遠距離通信技術を有効に使いなさい」
まるで、魚料理は魚料理用ナイフを使いなさいとでもいうように、サラリと言われた。
「でも、電報の配達では間に合わないのでは?」
「相手が飛行場にいる飛行士なら、電信手段は電報だけじゃないでしょう」
アイリーンは自分が中世蛮族になった気がした。それなりに先端技術には通じて使いこなしている自負はあったが、自分が動くことしか考えられていなかった。
「とはいえ、最寄りの飛行場といっても……」
「この道を南に言った先にノースフォークの飛行場があります。単に飛行機がチャーターしたいなら、そこで探しなさい」
夫人は道の先を指差したあと、特定の飛行士に用があるなら、自分達がこの森を北東側に出たところにある街から電信で連絡を取ってあげるから、と言ってアイリーンが来た方角を指差した。
唐突に示された解決策に、アイリーンは浮かしかけていた腰を落として、その場にストンと座り込んだ。
「とにかく。なにを思い詰めているのか知らないけれど、一度、冷静になりなさい。貴女がしようとしていることはそこまでのリスクをおってするほどのことなのかしら」
「あの……大切な人が危険に陥っていて……」
アイリーンが思わず漏らした言葉に、夫人は一瞬なんとも言えない妙な顔をした後、困った子供を諭すような口調で説いた。
「あのね。貴女が心配している相手がどんな危機に陥っているか知らないけれど、私に言わせれば貴女の方がよほど危険だから」
相手が貴女のことをどれぐらい心配するか勘定に入れて行動しなさいと叱られて、アイリーンは空の上にいる男を思い浮かべた。……当人は恐ろしく無謀なくせに、庇護下の弱者には過保護で心配性だ。ただし、能力があると認めた身内には要求が厳しい。
自分が守られたいのか、厳しい要求に応えたいのか、どちらかと言われれば後者だが、だからといってまったく心配されないと思うのもちょっと嫌だった。
そんな彼女のジレンマを見透かしたわけではないだろうが、夫人はため息を一つついた。
「貴女みたいな美人のお嬢さんにそんな顔をさせる男は、とりあえず見かけたらぶん殴ってやることにするけれど、まずは貴女の希望を叶えることにしましょう。連絡を取りたい飛行機乗りの名前は?」
アイリーンが名前を教えると、夫人は優雅に微笑んだ。
「貴女は強運ね。もし同名の別人でなければ、私達、その名前の飛行士とノースフォークの飛行場で別れたばかりよ」
今から行けばちょうど給油と点検が終わった頃でしょうと言われて、アイリーンは思わず日頃信じてもいない神に感謝した。さしあたってどの神に感謝していいかわからないので、つい渡された土産物を握って、感謝の句を唱えてしまったのはご愛嬌だ。
「それは貴女のお守り?」
アイリーンが手にした小さな青い象の飾り物を、夫人は少し見せて欲しいと言った。
「お守りという訳ではないんですが、彼からあずかっているものなんです」
「では、これを貴女の安全を見張るお守りにしましょう」
夫人は立ち上がると、アイリーンを連れて彼女の車のところに行った。
夫人の下男が道に戻してくれた車は、フロントに傷は付いているが思ったよりも損傷は少なく、走行に問題はなさそうだった。
夫人は小さな象に何かを付けて、運転席のフロントパネルに貼り付けた。
「あっ、それは預かりものなので接着は困ります」
「大丈夫よ。これは練りゴムのようなものだから。軽く引っ張るだけで取れるわ」
たしかにそのパテ状の白い塊は、フロントパネルにも象の人形にも傷をつけずにすぐにきれいに剥がれた。
「少々の揺れならくっついているから、この子をここにくっつけて見張らせておくわね。貴女が乱暴な運転をしないように」
ノースフォークまで、この子が落っこちないように運転しなさいと言いつけられて、アイリーンは身をすくめて神妙に返事をした。
「それでは街についたら、ノースフォークの飛行場に一報入れておくわ。貴女が行くから飛行士を待機させておくようにってね」
「ありがとうございます。本当にどうお礼をさせていただければよいやら……」
「いいのよ。そうね、気詰まりなら後ろに積んでいる燃料缶を一缶分けて頂戴。ノースフォークまでならそんなにいらないでしょう」
「はい。そんなことで良いのでしたら」
アイリーンの車から缶を1つ降ろした男は「なんなら俺がノースフォークまで運転しようか?」と言ったが、アイリーンはその申し出は丁寧に断った。
夫人は信用できる感じがしたが、この若い男はどうにも軽薄な雰囲気があって今ひとつ信用できない。車内で二人きりにはなりたくなかった。
「(顔はシダールで会ったオーニソプターのパイロットとちょっと似ているんだけど。なんとなく一段胡散臭いというか軽薄というか……なんでこの人、こんなにニヤニヤしているのかしら?)」
なかなか失礼なことを考えながら、笑顔で夫人らと別れたアイリーンは、一路ノースフォークへ向かった。
余分な焦りがなくなったためか、体調も車の調子も、事故の直後だとは思えないほど快調だった。アイリーンはフロントパネルの小さな青い象をちらりと見て、「よし!」と一人気合を入れ直して笑みを浮かべた。
「まったく。手がかかるわね」
「奴には後で、何か奢らせよう」
アイリーンを見送った黒髪の男女は、やれやれと言いながら、この世界の自動車に似せた4輪車に乗った。
「街とやらには行くのか?」
「一応、最後までカヴァーはしておきましょう。辻褄合わせは必要よ」
「なんだかな~。アイツが自分で動けば一瞬で終わる話に思えるんだがなぁ」
「この世界の神々の手前、好き勝手はできないそうよ。神ならぬ只人が普通に物事を運ぼうと思うなら、普通は段取りが必要なんだから、そこはわきまえないと」
「その普通の段取りとやらには、事故でぐちゃぐちゃになった車や大怪我した運転手を魔法で治すことは含まれているのか?」
北の魔女ヴァレリアは、器用に片眉を上げた。
「ちょっとなら、ここの世界の神様も大目にみてくれるそうよ」
「んー、その神様が実在して交渉可能っていうのも、俺の常識の範囲外なんだけどな〜」
銀河連邦世界を股にかける生粋のアストロノーツは、自分の世界では見たこともないようなアナクロな地上車のハンドルを握りながら首を傾げた。
「大丈夫よ。宇宙船で航行中に突然呼び出されて、別の世界で知らない人を助けてくれって急に頼まれて対応できてる時点で、あなたの常識も相当壊れているから」
「まあね」
ジャックとヴァレリアは、お互いひどい奴に関わってしまったものだと、くっくと笑った。
「それにしても奴め。嫁のいる身で、あんな美人と。許せんな。いったいどういう関係なんだ」
「そこのところは後でとっちめて吐かせましょう」
師匠を顎で使うような弟子には、どのみちお灸をすえる必要があるというヴァレリアに、ジャックは自分は部外者になるか、こっちにつこうと心に誓った。
お久しぶりの脇役解説
・ヴァレリア
川畑の魔法の師匠。困ったときに頼りに行く先。
ゴーレム系やエンチャントが得意なマッドメカニック。
短編「魔女よ!我に力を!!……」にも登場。
・ジャック
自称銀河最速の高速宇宙艇パイロット。
川畑が困ったときにかりだされる。
初登場はプロローグ。
二人とも自由業(?)なので、川畑は気楽に異世界での用事を頼んでいいと思っているフシがある。迷惑な男である。(ちなみに本格的に困ったときに頼りに行く先No.1はダーリング氏のところ。多忙な政府高官なのに超迷惑)




