離陸
ガルガンチュアは、その大きな車輪で砂利を粉々の砂粒に砕きながら、滑走路の端までゆっくりと移動し終わった。
就航記念式典の会場では、楽団が景気のいい華やかなファンファーレを奏で、軍の高官が酒のボトルを儀礼的に叩き割った。
エンジン音が高くなり、ガルガンチュアの巨大な翼の前方に並んだ4つのプロペラが回転速度を上げ始めた。
川畑は翼内通路の点検ハッチからエンジンルームを覗いて、ガルガンチュアの機関部を楽しそうに眺めた。
「特等席だ」
「普通は展望の良い席を好むものだ」
「そちらも好きですよ」
「ではそちらに行こう。じきに離陸だ」
案内されたのは翼の中程、おそらくは脚部の上端に設けられた二人掛けの席だった。分厚い風防ガラス越しの前方視界は、歪んでいるが、なかなか壮観だ。
浮揚力の力場の発生装置の駆動音が高くなり、機体全体が僅かなきしみ音を上げながら、重力によるたわみから開放され、理論的飛行形状に戻っていく。
「鉱石機関との併用ですか」
「早期の実績を求められたがゆえの妥協策だ。可燃性液体燃料機関の使用は本来の設計ではない」
「確かに、大きな機関部とプロペラは、機体形状に凹凸を作るので、推進効率が悪くなりますが、このケレン味もいいですよ」
「君と話すのは愉快だが、わかりあえるとは思えんね」
「同感です」
川畑は一度、浮揚力の力場の発生装置の方向を見る素振りをしてから、博士に尋ねた。
「このフライトのための充填で、何人犠牲にしました?」
「犠牲だなどと……」
博士は表情を動かさずに答えた。
「被験者は同意の上だし、軍が用意してくれた充填要員は"人"で数える必要などないような輩だ」
「人道的ではないことは承知でなさっていますね」
「君から法と人道を諭されるとは、思わなかった」
シートに座ってベルトを締めた博士は、川畑にもベルトをするように促した。
「君は反社会的な暴力的解決は是とするのに、公的機関に承認され、正規の手続きに基づいた実験には異議を唱えるのかね」
始まった加速が、川畑の胸を重く押さえつけた。
ガルガンチュアは、離陸した。
「君は不可解な人物だ」
博士は高度を上げていくガルガンチュアの展望窓からの眺望に視線を固定したまま、たいして興味のなさそうな声で呟いた。
「王国人の手練の従者……国籍不明の富豪……不運な生い立ちの愚鈍な鉱山技師……我が国有数の資産家に取り入った有能な学者……身元も印象もバラバラだ」
意外にちゃんと調べましたね、と川畑は思ったが、言葉に出すのはやめておいた。
「いま上げられた人物に共通点があるのですか?」
「身長、体格、年齢、髪や肌の色、顔立ち。同一案件に偶然に特徴の似た人物が関わったとするよりは、同一人物だと仮定したほうが良い一致だ」
「なるほど」
大きく旋回しながら上昇する機体から、眼下に広がる斜めになった大都市を眺めながら、大柄な黒髪の青年は、真面目くさった顔で肯いた。
「でも、人物像が一致しないなら、他人の空似でしょう」
ガルガンチュアは低空の雲に入り、視界は灰白色になった。
「得体のしれない人物という意味では一致している」
「それは無意味な一致です」
「そうかね」
「第一、あなたは目の前にいるのが得体のしれない人物に見えているんですか?」
俺は体は大きいが、凡庸な男です、と静かに言う青年は、窓からの斑な灰白色の光に半分影になっていて、果てしなく胡散臭いようにも、全く印象が薄い平凡な男のようにも、どちらにも見えた。
「愚問だな」
薄い雲の層を抜けると、視界が開けた。青い空のもとにまばゆい雲海が続いている。
目を細めた青年は、わずかに口角を上げ、声のトーンを変えた。
「もう少し意味のある話をしましょう」
「賛成だ」
ただ白いだけの雲海を見ながら二人は話を続けた。
「過日のことになりますが、王国の王族主催のガーデンパーティーに皇国から鉱石の専門家が出席していたのです」
雲海の切れ間から、チラチラと田園や村落らしきものが見える。雲間に霞んだ風景は風防ガラスで歪んで正確な様子はわからない。
「それで?」
「その鉱石学者は一人の御婦人の帽子の飾り石に目を留めたそうです」
「ほう……」
「曇っているから磨きに出したほうがいいと、アドバイスしたそうです」
「随分、親切な話だな」
「そうですね」
「それでその御婦人は、石を磨きに出したのかね?」
「いいえ。帽子はパーティーの少し前に帽子屋に直しに出したばかりだったので、そのままにしたそうです」
「せっかくの親切を無にしたわけだ」
「はい。そのために事態は少々、面倒なことになりました」
「まったく愚かしい話だ」
雲の切れ間から湖水が見え、一瞬、日差しがギラリと反射した。
アドリアを含む湖水地方一帯に差し掛かったらしい。湖水から上がる水蒸気のせいか、分厚い雲が正面に見えた。
ガルガンチュアは更に高度を上げ始めた。
「新聞では鉱石学の権威と紹介されていましたが、アルベルト・アドリアというのは、貴方自身ですね?」
二人は互いの顔を見ないまま、しばし沈黙した。
「大粒の赤い宝石……"太陽の炎"を欲したのは、鉱石機関のためですか」
「単なる赤い石では意味がない。博物館にあったのはとんだ贋作だった。私に必要なのは形、大きさ、素材が厳密に決められたとおりの"女神の瞳"だ」
「"女神の瞳"……血の色のアダマス」
博士は、川畑の方を向いて手を差し出した。
「出してもらおう。君が持っているはずだ」
鉱石機関による浮揚力場の発生装置の駆動音がもう一段高くなった。
更新頻度落ちててすみません。
しかも第10章からの総ざらえに入って……忘れてますよね?誠に申し訳ない。
作者自身、しばらく古代ものに浮気していたので、テクノロジーレベル差に頭が回らないこと、回らないこと。空想科学スチームパンクのエセ理論と、ファンタジー架空古代文明史の同時起動は、ポンコツ作者のシングルタスク脳には厳しかった。(これだから短編の長編化を避けていたのに、やっちまったよ)
でも、どっちも書きたいのでぼちぼち書きます。こんな過疎小説を読んでくださっている皆さん。見捨てず、よろしくお願いします。




