新人助手
「(結局、帰れなかった)」
川畑は用意された服に袖を通して、姿見を覗いた。
背後の扉付近にはここの使用人が立ってこちらを見ている。
この屋敷に来て以来、ずっと誰かしらがそばにいるので、転移でちょっと出掛けることもできなかった。
「(お嬢様に付いた悪い虫扱いで警戒されるのはやりにくいなぁ)」
軍に捕まらないためのセーフティとして利用しようとしただけなのに、カタリーナに想定以上に気に入られて、妙な具合になってしまった。ジンが知ったらまた「このド阿呆」と怒るだろう。
さしあたってホテルに手紙は出させてもらったが、返信はない。その気で小細工すれば、抜け出したり、様子を調べたりするのは簡単だが、無駄に動いて不信を持たれると、ややこしいことになりそうなので、川畑は大人しく猫をかぶっていた。
「(しょぼい無能と思われすぎてもアウトっていうのが、さじ加減が難しいんだよな)」
すでに文学、歴史、芸術の知識は野ネズミ以下と酷評されている。国際政治、地理、法律もまったくダメだ。社交界や著名人は先日のパーティの出席者以外はほとんどわからない。
流石にまずいので、屋敷の本棚にあった百科事典と紳士名鑑、それと古新聞を一山ざっとスキャンして、なんちゃってデータベース化し、必要に応じて視野外の別ウィンドウに関連トピックを表示できるようにしたので、付け焼き刃ながら、一般教養程度はフォローできるようにはなった。
おかげでかろうじて、いわれた仕事はこなせているが、どう考えても解雇ラインの綱渡りである。警戒されず、使用人の一人として普通に一時雇用してもらえる立場がベストなのだが、身元が不確かで能力不足なので、どうにも難しい。
せめて関係者の心象を良くして信頼を得ておこうと、色々頑張ってはいるが、人に好かれるように行動するのはあまり得意ではないので、うまくいっているのかよくわからない。
幸いにも屋敷の使用人の皆さんはとても良い方ばかりで、すぐに打ち解けて大変親切にしていただいてはいる。
家長であるローゼンベルク氏の秘書官達も、業務外のはずなのに、なにかと面倒をみてくれて助かっている。軽い雑用を少し手伝うぐらいしかお礼ができないので心苦しいが、おかげでなんとか今日まで無事に過ごせた。
ローゼンベルク氏に紹介されたときには、ここまでの経緯が胡散臭すぎる自覚があるので、流石に内心で冷や汗をかいたが、罵られて蹴り出されることもなく、たまに食事に同席させてもらえる程度には許容された。
視察の鞄持ちでお供ができると、ロマンあふれる工場や造船所を見学できるので、川畑はとても良い子にしていた。
アルベルト氏とは、その後、会ってはいない。雇用の件で多少の問い合わせはあったようだが、ローゼンベルク氏のコネと、有能な秘書官達の調整能力で、なんとかしてもらえたようだ。むしろ、そちらとアクセスを取らないように囲い込まれた感もあって、あちらの状況はまったくわからなかった。
カタリーナは、川畑が一緒にいるときは終始ご機嫌だった。
川畑からみるとカタリーナは、元々、背伸びしているところが多いせいで、子供っぽいことや通俗的なことに興味や関心があっても、素直にそうとは言えないでいるように見えた。そこで、彼は彼女が関心がありそうなことを見つけると、とりあえず自分の我儘に付き合ってほしいと頼んでみるようにした。
どうやら”我儘姫”の立場で育ってきた彼女は、”誰かの我儘に付き合ってあげる”とか、”頼られて面倒をみてあげる”という体験も、実はやってみたかったらしく「仕方ないわね」「ホントに手間のかかる奴なんだから」とか言いながら、嬉々として話に乗った。
もちろん、実際に面倒な手間を掛けさせたり、苛立たせるようなヘマをする川畑ではなかったので、実質的な子守役は彼の方だったが、そこも含めてカタリーナは満足していた。
彼女は大富豪の娘で、命令に従順な召使いにかしずかれることには慣れていたが、逆に言えば、言いつけに従うだけのレベルの使用人しか知らなかった。
これに対し、川畑が”助手として補佐しなさい”と命じられたときに想定した仕事のレベルは、大貴族の気難しい奥様や偏屈な魔女を満足させる品質だった。
これは、最初に川畑に従者の心得を叩き込んだ鬼の侍従長が、”日常生活で奥様に命令を言わせたら恥と思え”、”意識されたら負け”、”欲しいと自覚される前に満たせ”というガチのプロだったためである。この世界での教育担当も王国の由緒ある上流貴族の使用人だったので、はからずもカタリーナはお姫様クラスの待遇を受けることになった。
さらに根っから世話焼きな川畑が、「お父さんが仕事で忙しくて学校で同年代の友達とも遊べないなんて大変だなぁ……」といささか見当違いな親心を出したせいで、その甘やかしっぷりには拍車がかかっていた。
痒いところに手が届く……どころか、自覚してもいない欲求が満たされるという体験に、カタリーナは毎日が楽しくて仕方がなかった。
つきあいで仕方なく行ったところは意外に面白かったし、話に聞いたことはあったけれど、自分一人で、やる気にはならなかったアレコレは、結構熱中できた。毎回、エリックの無茶振りには参ったが、なんとか頑張ってクリアしてやると、達成感があって嬉しかった。
遊び回っている割に、研究ははかどっている。無駄に待たされることはなくなったし、苛つく無能を叱りつけなきゃいけないことも減った。よほど運が回っているのか、車を降りれば雪が止み、泥はねはカタリーナを避けた。
ツンケンせずに、年相応に他愛のないことで笑う彼女は、とても可愛らしかった。当たり散らされることがなくなった使用人達はビクビクすることがなくなり、屋敷内の雰囲気は穏やかになった。
お嬢様の新しい助手が、ありえない作業効率で溜まりがちな雑用を消化してくれるおかげで、屋敷の使用人だけではなく、秘書官一同も残業が減って心にゆとりができていた。
この際、もうどこの馬の骨でもどうでもいいから、ずっとお嬢様についていてくれねーかなコイツ……。
満面の笑みで無邪気にはしゃぐカタリーナをエスコートして、就航式に出席するために、車に向う青年の背を見送りながら、屋敷の者達は切にそう思った。
少し手伝う←圧倒的処理能力基準
銀河連邦の政府高官であるダーリングさんの手伝いのときに処理を求められる情報量と比べると、豪商とはいえ近代社会の一商人の扱う仕事の量は、大したことがない。
電子や魔法手段での出力ができないので、たいしたことはしていないから、本人的には”少しの手伝い”であっている。
ちなみに本や新聞の”スキャン”は、ページを高速でめくるような不自然なことは不要。
閉じた状態のままインクの配置を解析して、1ページずつの情報に変換。そこから文字起こしとイラストデータのリンクを行ってデータベース風に情報を管理している。これらの作業は、魔法領域でのマルチタスクによる自動演算で処理しているので、本人に働いているとか、読んでいるという意識はない。
知識としては一欠片も身についていないが、話を聞いているときにわからない単語や人名が出てくると、ネットで検索するノリで調べられるので便利。地図情報で経路検索からの所要時間見積もりもいける。翻訳さんと併用すると無敵。
ハードウェアを使用しないので、身体的にはノーアクションで参照可能。
……他人から見ると博覧強記の超絶記憶力の人に見えます。
「流石に常識がなさすぎて恥ずかしかったので、少し勉強しました」
「そ、そう……がんばったわね」




