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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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研究棟

待合所で、御者に一杯奢って談笑していたジンは、戻って来たヴァイオレットを見て、すぐに馬車を用意させた。

「医者に行きますかい?」

「いや、まずは少し休ませたい。ホテルまで頼むよ」

入ってきた東門ではなく、構内を通って南門から出た方が、ホテルには近いのではないかという話になり、馬車は東西に伸びる構内道路を西に入った。


馬車が南門に向う角に差し掛かったところで、ジンは御者に声をかけて馬車を止めさせた。

「彼女が入用のものをうちの甥っ子に預けっぱなしにしてきてしまったらしくてね。俺はそれを取りに行ってから戻るから、先に彼女だけ送ってくれないか」

一人で帰すのは心配だが、と言いながらジンは御者に心付けを多めに渡した。

「あまり揺れないように頼むよ」

ついでに、ジンは御者にヴァイオレット用の入門証を見せた。

「彼女のこれは俺が帰るときに返すから、もし尋ねられたらそう説明してくれ」

なにせこれがないと俺が構内で不法侵入者になってしまうと肩をすくめてみせたジンに、御者は笑顔で了承した。

馬車を降りたジンは御者に、重ねて彼女のことを頼むと、足早に戻っていった。

御者はできるだけ馬車の中の御婦人に負担をかけないように、静かに馬車を出した。




川畑は赤レンガの研究棟の通路を、いるのが当たり前のような様子ですたすた歩いていた。

「(お仕事中の研究者さん達の邪魔をしてはいけないからな。目立たないように普通にして行こう)」

必要な相手以外の興味を引くのは好ましくないので、存在感や違和感は翻訳さんに指示してできるだけ消してある。あとは挙動にさえ気をつければ、誰何されることはまずない。


川畑は一通り中の様子を見て回ってから、教えられた部屋の前に戻って、扉をノックした。

「入りたまえ」

短い応えを返した部屋の主は、灰白の髪の神経質そうな男だった。

川畑は持参した紹介状を渡して、面談時間を作ってもらった礼を言った。

「ああ、フェルブスがなんだかそんなことを言っていたな。……君一人か?」

もう一人は体調を崩したのでと伝えて詫びると、灰白の髪の男は、興味なさそうに川畑から視線を外した。

「フェルブス!フェルブス、いないのか」

男は助手か秘書らしき者を呼んだが不在なようだった。

「助手が戻ったら案内させよう。適当にそこいらを見て帰りたまえ」

それ以上は相手をする気もないという様子で、男は視線を手元の図面に戻した。


椅子を勧められるわけでもなく放置された川畑は、しばらく大人しくその場に立っていた。

薄暗い部屋で、男がペンを走らせる音だけがした。

川畑は警備兵よろしく部屋の隅で背景の一部と化していたが、日が陰ったのか室内がさらに暗くなったタイミングで、黙って窓際に行くとシェードを調整した。

「それは保安上開けないでくれ」

部屋の主は顔もあげずにそう言った。

「失礼しました。では、電気を点けましょうか?」

「電気?」

男は灰白の頭を上げて、いぶかしげに川畑を見た。

「すみません。室内灯を点けますか」

「室内灯に電気を使うだなんて、君はどこの富豪だ?」

「そういえばシダールの大富豪の城でも、王国の貴族の屋敷でも、皇国の一流ホテルでもランプか、せいぜいガス灯でしたね。皇国の最先端の研究施設でも白熱灯が使用できないのはなぜです?電球自体は開発されているでしょう?オーニソプターについていましたよ」

「費用対効果だ。あんなにデリケートで高価で頻繁に交換する必要があるものを、仕事部屋の照明などに使えるものか」

「あー、フィラメントの質か」

川畑は納得してうなずいた。

「1000時間は連続点灯できないと、確かに量産して実用化する気にはならないですからね。現状のフィラメントは白金ですか?カーボン系ですか?」

「金属で……たしかウォルフラム線だ。だがすぐに切れるし、球も割れやすい」

「なるほど。電球内を真空にしているのかもしれないですね。真空だと金属フィラメントは蒸発しやすいし、割れやすいですから。かと言って不活性ガスの抽出と充填というのもまた、そう簡単に実現するものでもなし……」

川畑は壁にかけられたオイルランプを順に点けながら「電気照明はスイッチ操作で全点灯できて便利なんですけどね」などと気楽に言った。

灰白の男はそんな川畑をまじまじと見つめた。

「君は電球の室内灯の実用事例を知っているのか?」

「いえいえ、想像です。あくまで理論上の話だと思ってください」

川畑は点きの悪いランプを壁から下ろした。

オイルは足りている。目詰まりらしい。

川畑は手際よくランプを分解して掃除を始めた。

目詰まりをきれいにして、組み立て直すと、汚れのないウエスでホロもキュッと拭く。

「ここにあるランプのオイルを使ってもよろしいですか?」

「好きにしたまえ」

川畑はオイルを補充したランプを点けて壁に戻した。


また静かになった部屋で、灰白の男は手を組んで、ジッと川畑を見た。

「なぜランプオイルがその棚の、その缶にはいっているとわかった?」

「弟さんのご自宅でも似たような場所に同じ缶を置いていらっしゃったので」

川畑は油で汚れた手を拭いて、男に向き直った。


「フェランさんがご心配しておいででしたよ。アルベルトさん」

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