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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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式典

軍官民の先端工業関係者が集う式典は、皇都随一の会場で行われた。

レセプションホールの金の装飾が配された白大理石の壁には、紋章の入った青い飾り布が垂らされ、中央には大きな花生けに生花が豪奢に飾られている。


会場は華やかだが、出席者はどうにもこうにも”重い”顔ぶれだった。皇国風のカッチリした正装に身を包んだ紳士達は、技術、工学系の学者や技師、重工業の社長や工場主、産業界の重鎮とそれ絡みの政治家というメンバーでとにかく中年以上の男性が多い。夫人同伴の者もそれなりにいるが、若い女性の姿はほとんどなかった。


「これは貴女と一緒だと目立つな」

「帰りましょうか?」

「いやいや。帰られると困る」

ジンは、傍らの女性に迂闊な物言いを謝罪した。深い臙脂色の抑えめで品のいいドレスを着たその女性とは、パーティ直前に川畑に引き合わされたのだが、初対面でないせいでかえって態度を決めにくかった。

「俺がエスコート役では諸々不満だろうが、今夜は辛抱してくれ」

「承知いたしておりますわ」

高速鉄道で護送されていたときでも、大人しくしていたでしょう?と言わんばかりの冷え冷えとした目付きで見返されて、ジンはたじろいだ。


本日のために川畑が呼び寄せたのは、ジンが皇国軍に潜り込んでいるときに護送した令嬢の”大人しい方”だった。

しかし、大人しくても十分に手強いということを、ジンは思い知らされていた。




ヴァイオレットは、初めてこの男に引き合わされたときは、絶対にお人好しの若い従者さんが騙されているに違いないと考えた。

「今は訳あって協力することになっただけだから、人柄を全面的に信用する必要はないよ」

そう言って、パーティ用の礼服とドレスの用意をせっせとしていた彼が、この男とひどく気安く軽口を交わしていたことには、驚かされた。


ヴァイオレットは、信用のならないこの男と組むのには反対だったが、一時的な関係として十分に警戒した上でなら、協力に利点もあることは理解した。

そして、今夜の自分に期待されている役割はよく承知していた。


「ですから、そちらも十分に適切な態度でお願いいたします。言葉遣いが粗い方と一緒では初対面の目上の方々に声がかけられません」

「了解いたしました。マダム……こんな感じか?」

「最後まで表情を崩さない」

「うへぇ」

「18点ですね」

「20点満点で?」

「100点満点で」

水溜りに落ちた猫みたいに不景気な顔をした男に、ヴァイオレットは少しだけ微笑んだ。

「列車での態度よりはマシですから、努力は認めます」

「ありがたき幸せ」

芝居がかった口調でうやうやしくそう応えた相手に、ヴァイオレットは「しばらく別行動をしましょう」とぴしゃりと言った。




式典が終わると略式の晩餐会だ。

レセプションホールのすぐ奥に位置するサロンはディナー形式で120名を収容する。2階分の高さのある天井はフラットなガラス窓で、曲線的な装飾文様の金線の間から、乳白色の柔らかな自然光が降り注いでいた。


「料理はまぁまぁね」

カタリーナ・ローゼンベルクは、前菜用のナイフを置いた。

悪くはないが、皇国屈指の富豪の娘にして天才美少女の自分を饗すには、今ひとつだ。これなら市井のレストラントにもう少し気の利いたところがある。

しかもなんと彼女のグラスの中身はただの炭酸水なのだ!子供だと思っているにしても、扱いが粗略すぎる。

「料理に合わない甘いジュースを出されるよりはマシだけれど、これはあまりいただけないわ」

カタリーナは、ふくれっ面でグラスをぐるぐる回した。立ち上る炭酸の細かな泡が光を反射して綺麗だ。

「あなたもそう思わない?」

「ガス無しはそれほど悪くはないですよ」

隣の席の青年は、自分のグラスを軽く掲げてみせた。かれのグラスも水だ。


この炭酸(ガス)なしの水ぐらい地味でぼんやりしたところのある青年は、本日のカタリーナのエスコート役だ。ぱっとしないにも程がある男だが、脂ぎった中年男でない分だけ、いつも父が無神経に手配する部下よりはマシだった。

先日、音楽会に行ったときに紹介されたのだが、教養はそれなりにあるようだし、センスが独特で、そういう意味ではちょっと面白い相手だったので、今日の随伴を命じてやった。

どこの馬の骨ともしれない男とパーティに出るだなんて、父が聞いたら怒るかもしれないだろうが、これは若い令嬢向けの社交のパーティではないし、これだけ色気とは程遠い相手となら、誰も恋愛沙汰なんて想像しないだろう。

とにかく、おべんちゃらしか言えない、人を小馬鹿にしているのが透けて見える子守気分の中年男どもは、もううんざりなのだ。

それならちょっと変な話をするこいつの方がいい。


「お好みより少し硬かったですか?」

「硬いって、何が?」

「水です」

「水に硬いも柔らかいもないでしょう」

「ありますよ。ミネラルが多いと硬くなります」

カタリーナは自分のグラスの中を見て水が硬いところを想像してみた。……氷しか想像できない。

「皇国の水は、南方諸国と比べると全般に硬いですが、今日の水は特に硬めです。山地の湧水を取り寄せているのかもしれないですね」

「ふぅん。水は水でしょう。場所で違うものなの」

「水だけなら変わりません。ただし水源の地質や地形によって、溶け込むミネラルの量が変わります。ミネラルの含有量が高い”硬い”水は、人によっては苦味やえぐ味を感じるかもしれません」

「まずい水って言うこと?」

「いいえ。そこは好みですね。日頃、硬水を飲んでいる人は、軟水は癖がなさすぎて物足りないと感じるらしいですし。私はお茶を煎れるなら軟水の方が好きですが、硬水も嫌いではないです」

「これよりも物足りない味の水があるのね」

「そうですね。完全に不純物を抜いた純水は、飲むと味が全然しなくて不味いです。せっかくの晩餐ですから、逆にしてみましょうか」

彼は給仕を呼び止めると、なにか小声で指示を出した。


水に溶け出す成分の話や、地質の組成や鉱石の硬度の話、そこから派生した諸々の雑談をしていて、スープの皿が下げられた頃に、給仕が小ぶりなデキャンタを持って来た。

「なにこれ」

「ただの水に()()()を沢山入れてもらいました」

なるほど。デキャンタの中には色とりどりのカットフルーツが浮かんでいる。柑橘の輪切りの黄色、ベリーの赤、ハーブの緑。

「ワインじゃないのね」

「グラスはこちらに」

カタリーナは、ワイン用のグラスに注いでもらったその水を飲んでみた。

「甘くはないけど香りはいいわ」

「味気なくはないでしょう?」

正直言って、単品でそんなに美味しい飲料というわけではなかったが、カタリーナは上機嫌でその後の食事を堪能した。

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