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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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城館

田園と低木が茂る荒れ地がまだらになった丘陵の間を縫うように、うねうねと続く細い道。狭い荷台と二人掛けの御者台だけの小さな馬車は、埃っぽいその道から、枝分かれしたさらに細い小径に入って、鬱蒼とした古い森に分け入っていく。


森の木々の間は、外から森を見たときの印象よりは、広く空いていて、空気はしっとりと爽やかだ。しかし、幹の太い大樹の梢は高く、間に茂る低木の枝は広く伸びて、森の中は薄暗い。

かろうじて下生えが払われただけの、獣道同然の道を進んでいくと、たちまち方向感覚は失われた。


「霧が出てきましたね」

「ここいらではいつものことですよ。よその御方」

「これは一人では館に着けないな」

「それはそういうものでございますよ。よその御方」


御者の”よその御方”という言い回しには、明確な隔意と線引がある。

ヘルマンは曇った眼鏡を外して目を細めた。

ボンヤリと白く霞んだ視界が明るくなっていく。森を抜けて霧が晴れてきたのだろう。


薔薇の香りとともに、彼の主人らが滞在中の館が見えてきた。




「あら、ヘルマンさん。早かったわね」

重厚な意匠の玄関ホールを抜けた奥、緩やかにカーブした大階段から降りてきたのは、この古風な館に相応しいドレス姿の若い女性だった。結い上げたプラチナブロンドが、クラッシックなミッドナイトブルーのドレスによく似合っている。


「ただいま戻りました。…アドラー様」

ヘルマンは、つい彼女に貴族令嬢用の敬称をつけて呼びそうになった。

元の美貌と気品が並外れているので、大貴族の御令嬢と言われて違和感のない佇まいだが、このアイリーン嬢は身分的には貴族ではないらしい。しかし彼女は、むしろこれぐらいの風格のある背景の中にいる方がしっくりくる感じの女性だった。

貴族ではないと言っても、上流階級の社交に慣れていそうな方だからな、と思いながら、ヘルマンは上位階級の女性に対する作法で一礼した。


「買い出しのついでに言付かった用を数件片付けて来ました。電報と手紙も受け取って参りましたよ」

「ジェラルドは庭園よ。電報は先に拝見させていただいてもよろしくて?ヴァイオレットも一緒にサンルームでお茶にしましょう」

「承知いたしました」


アイリーンの軽い視線の運びだけで、館の使用人がスッとサンルームの用意をしに行く。

こういうスマートな使用人の使い方と使われ方は、下層寄りの中産階級出身の自分にはなかなか真似ができない技術だ、とヘルマンは内心で舌を巻いた。今後、銀行家のグートマン氏の元で一流の秘書として成り上がるためには、学んでおきたい技術ではある。もちろん、使われる側として。

よく観察しようと、ジッと見つめていたら、アイリーンが彼を見返して微笑んだ。

「っ!……ホ…ホーソン様をお呼びして参ります!」

踵を返しかけたところで、まだ電報を渡していなかったことに気づき、慌てて戻って渡して、つまずきそうになりながら階段を降りる。

静かで落ち着いた屋敷の中で、自分だけが取り乱している異物な気がして、恥ずかしくていたたまれない気持ちになりながら、ヘルマンは庭園に向かった。




こんな辺鄙なところにあるとは思えないこの壮麗な城館には、広い薔薇園があった。というよりもむしろ広大な薔薇園の中に館が建っているといった方が近い。

古王国風の四阿がある内園は、特に見事に手入れされており、こんな季節なのに真紅の薔薇が蕾をつけていた。

ほころびかけた蕾の向こうに、ヘルマンの現在の主人であるジェラルドがいた。ジェラルドは華やかな金髪巻き毛の白皙の美青年だ。貴族ではないと自称しているが、由来のわからない資産で自由気ままに生活していて、仕事がある様子ではない。


今は、ヘルマンの本来の主である銀行家のグートマン氏の意向で、氏が所有していた宝石を、”本来”の持ち主に返すために旅をしているはず……なのだが、ジェラルドがどれぐらい本気でその目的に取り組んでいるのか、ヘルマンには皆目見当がつかなかった。


「(ヴァイオレット嬢のお父上の遺産の件は片付けたし、あとはなんの用事があるんだろう)」

グートマン氏が所有していた”太陽の炎”と呼ばれていた宝石と、そっくりの宝石を持っていた令嬢と一緒に、王国の直轄領のシダールまで赴き、彼女の父親がその宝石を入手した経緯を確認した。その宝石をカットした職人とも出会えたし、その職人が昔、同型の石を納品したという神殿遺跡にも行った。

結局、神殿遺跡は賊に荒らされて、そこに納められていた石も持ち去られてしまったという。

このあたりまでは、ヘルマンも見聞きしたことからある程度把握できた。

しかし、ここに謎の宗教団体と皇国軍がどうして絡んでくるのか、なんで宗教団体の一派らしき秘密結社と手を組んで、皇国軍に誘拐された令嬢方を救い出すなんていう荒事になったのか、そもそもなんで皇国軍が、ホテルにいた令嬢方を誘拐したのか、もうそのあたりとなると、さっぱりわけが分からなかった。


「ホーソン様、ただいま戻りました」

「やあ、ヘルマン。待っていたよ」

静謐な絵画から抜け出して、たった今命を得たかのように、薔薇に囲まれた美貌の青年は、快活にヘルマンに返事を返した。

「なにか知らせはあったかい?」

「ネズ様からのお手紙です」

ヘルマンは、近隣の町の郵便局で受け取ってきた手紙をジェラルドに渡した。


差出人のネズという人はいつも気難しい顔をしているが、真面目でなかなか良い人物だ。各地に部下がいて、ツテが多く、ほとんど身一つで見知らぬ地に放り出された自分達が、今こうしてこの館に滞在できているのは、有能な彼の手配によるところだ。

ただし、人というのは誰しも欠点があるもので……初対面のとき、彼はとてつもなく怪しい格好をしていた。どうやらくだんの秘密結社の幹部であるらしい。顔をすっぽり覆う白い頭巾に金糸の縫い取りのある白いローブ、返り血付き、だなんて本当に常軌を逸している。


「他にはなにかあったかい?」

ジェラルドは手紙に目を通しながら、ヘルマンに尋ねた。何気ない仕草が無駄に絵になる男である。

「アドラー様がウィステリア様とご一緒にサンルームでお待ちです。お茶にしましょうと仰っていました」

「いいね」


この色男は二人の令嬢のどちらにもチャラチャラと色目を使っては、すぐに歯の浮くような台詞を口にしている。

真面目で奥手なヴァイオレット嬢も、華やかで芯の強そうなアイリーン嬢も、どちらも魅力的なのはわかる。が、結果的にどちらともそれほど仲が進展していないようにみえるあたり、実はそれほどたいした女ったらしではないのかもしれないと、ヘルマンは思った。


「この手紙の件も、そこで話そう」

「はい。それがよろしいかと」

ヘルマンは秘書らしくジェラルドから手紙を受け取って、「そうそう」と続けた。

「電報の方は先にアドラー様にお渡ししてあります」

「電報?」

「送り元はアドリアです。湖水地方の街ですね。差出人は頭文字だけでした。ブレイクからだと……」

「それを早く言え!」


その名を出した途端に、みなまで言わせずに、ジェラルドはバタバタとサンルームに向かって駆け出した。

基本的に何をしても絵になる男が、あの妙な従者のことになると、ガタガタになるのは、傍で見ている分には不可解だが面白い。

「(まぁ、奴の相手をしてペースを乱されるのは、我々全員だからな)」

従者らしく端っこで大人しくしていますという殊勝な態度で勤務しているはずなのに、気がつくとなんだか大問題なことをしでかしている青年のことを考えながら、ヘルマンは遠い目をした。


電報を寄越したからには、今は無事でアドリアにいるのだろうが、そこで一体、何をしていることやら……。

「(私ではわからないことばかりだ)」

ヘルマンは首を捻りながら、ジェラルドの後を追ってサンルームに向かった。

貴重な一般人視点ヘルマンさんによる説明回。ただし、ヘルマンさんは察しが悪すぎる人なので、大事なことが何一つわかっていない。

……説明担当として致命的だった。


致命的といえば、すみません、作者も唖然とするようなうっかりミスをやらかしました。(読み直していてそのバグを発見したときは、喉奥から変な声が出た。アホや自分。めっさアホや)


一度アップした話を、誤字以外で遡って修正するのは嫌なので、現在、この先のプロット再構築中です。

本格的な連載再開はいましばらくお待ち下さい。(中継ぎでもう一話ぐらいはすぐに出ると思います)




逃避行動で書いたかる~い中編がありますのでそちらでも読んでお待ちいただけると幸いです。

https://book1.adouzi.eu.org/n6246hw/

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