安全
「エリックさん、この大きな部品を裏手の納屋に運んでいただけませんか」
「いいよ。でもその前に、今、君の抱えている本は俺が持つ。本は落としたり傷つけたりしないように、無理なく運ぶようにしよう。この革表紙の大型本は君が運ぶときは一度に2冊までだ」
「はい。わかりました」
「これは上の書架に返した方がいい本だな。よし、マイアも一緒に行こうか。書架の整理のコツを教えるよ」
「お願いします」
マイアはうきうきと部屋の片付けをしていた。
コルソン氏に働き口があると声をかけてもらえたのは、昨日のことだ。
商隊の次の出発まで仕事はないし、行く宛はないし、蓄えはないしで、実はかなり困ったことになっていたので、彼女にとっては渡りに船だった。
連れてこられた家の主は、おとなしくて優しそうな人だった。マイアが元気よく挨拶すると、ちょっとびっくりしたのかやや後ずさったのが気になったが、その後は働くマイアの方をちらちら見ては、ニコニコしているので、それなりに気に入ってはもらえているのだろう。目を合わせようとすると、さっと顔をそらすのと、質問するとどもりがちなのは、初日だから緊張しているのだと思っておくことにした。
雇い主が人見知り気味なせいで、新任のマイアへの作業指示は、知り合いであるエリックが出すことになった。
雇い主とコルソン氏やエリックの関係はよくわからないが、とにかく、コルソン氏が雇い主さんと仕事の話をしている間に、マイアはエリックと一緒に掃除などを一通りするように言われた。
嬉しいことに、ここでのエリックは物凄く優しくて、いっぱい話しかけてくれた。
これまで彼は基本的に無表情で、いくら話しかけても、素っ気なく「ああ」とか「そうか」とか「よかったな」とか、ごく短い返事をたまに返してくれるだけだった。しかし、ここでは細々と気遣いの言葉をかけてくれる上に、ちょくちょく微かにだが笑みまで浮かべてねぎらってくれるのだった。
「(なんか、想像していたより、めちゃめちゃ高待遇なんですが!)」
人生でこれほど丁寧に仕事を教えてもらったことも、気を遣ってもらったこともない。
マイアは内心、かなり舞い上がっていた。
急勾配の階段を登るときに先を譲られたので、降りるときにも先に行ったほうがいいのかと思ったら、今度は後から降りるように言われた。気まぐれな指示かと思ったら、以後もそうだった。
「なんでですか?身長差がなくなるから?」
「ん?」
階段の下の段にいる青年は、マイアと同じぐらいの高さの目線だった。
「なんで階段では私が上なんです?」
「転んだときに安全だから」
真正面で真顔で言われて、マイアはどぎまぎした。
「一人のときは、階段を昇降するときは両手が塞がらないように荷物の持ち方を工夫すること。俺が一緒にいないときは自分で安全対策をしっかり取るように」
ということは、二人のときは、守って受け止めてくれるってことですか?!
「ふあぁい」
マイアは雑念に溢れすぎて、本気で階段で足を踏み外しそうになった。
「(こういうちょっといいお家に住み込みで仕えるって、理想的な安定職では!!)」
よくいるそういう夫婦者の使用人は、マイアからすると憧れの職業であった。
極めてささやかではあったが、色と欲との最強タッグが脳内でダンスを踊る状況に、マイアはつい顔が緩んだ。
「はぁ〜。いいですねー、湖畔のお家って」
マイアは片付けが一段落したところで、湖が見える窓辺で、つま先立って身を乗り出した。風が気持ちいい。
「ここが気に入ったのか」
エリックが背後に立って、窓枠に肘をついた。マイアに触れてはいないが、いつでも抱きとめて支えられる位置だ。一度意識すると、彼のさり気ない立ち位置や手の位置が、ことごとく自分を守るために、そうなっているように感じられてぞくぞくした。
「とっても気に入りました。ずっとここで暮らしたいです」
「そうか」
振り仰ぐように見て答えれば、彼は目を細め、口角をごく僅かに上げて微笑んだ。
「(はわぁ……やばい。これは呪われてても許す!というかこれは絶対に呪われてなんかいない清らかさ!!)」
仮面に覆われていない顔は、けして見惚れるような美男子ではなかった。でも、痣も傷もなく、イボや瘤や歪さもないその顔は、とても安心感があった。どことなく異国風なのに、それも違和感ではなく不思議な魅力になっていて心惹かれる。
マイアの脳内では、エリックは”亡霊”と同一人物派がこれまでは優勢だったが、ここに来て一気に別人派が優勢になった。
クールで恐ろしい”亡霊”と、目の前のこの親切すぎる穏やかな人物が同じだとは思えない。
それに官憲に手配される物騒な呪われた怪物ではなくて、普通の人なら、マイアも一緒に暮らせるではないか。
「(生き別れの双子ってありかな?ああっ!そうするとエリックもシダールの王子様ということに?!)」
おとぎ話に出てくる宝石でできた王宮から、悪い盗賊(顔はコルソン氏)に双子の王子の片方が拐われて……とか?
城が吸血鬼に襲われたときに、乳母がせめてお一人だけでもと、命がけで川に流した籠の中の赤子を森の盗賊(顔はコルソン氏)が拾い上げて……とか?
暴走する妄想に、マイアはニヤけた。
「おお、だいぶスッキリしたな」
「優秀なメイドさんだ」
振り向くと、仕事の話が終わったらしいコルソン氏が、この家の主と一緒に客間から出てきたところだった。
「こっちの話は、概ね終わった。そっちは一段落したのか?」
「はい。一通りの要領と注意事項は伝えました」
「うん。なんで昨日来たばっかりのお前が、そんな引き継ぎみたいなことしてんのかは腑に落ちないが、終わってるならいい」
コルソン氏は恐縮する家主さんに、かまいませんとか、こいつが変なのは今に始まったことじゃないとか、適当なことを言っていた。
マイアは話の流れが、思っていた展開と違ってきた気がして、不安そうに隣りにいるエリックを見上げた。
「仕事がんばれよ、元気でな」
「はいっ?!」
現実はやっぱり妄想どおりにはならなかった。
「一緒に、この家で住み込みで働くんじゃないんですか?」
「おじさんと俺は、フェランさんのお兄さんを探しに行くことになったんだ」
フェランと言う名前のこの家の主が、行方不明になっているお兄さんを探して欲しいと言い出したらしい。
兄のアルベルトは、フェランの共同経営者で機械技師で発明家なのだが、産業技術博覧会に招かれて皇国に出掛けたあと、失踪してしまったそうだ。
博覧会のゲストとしての講演会もその後の懇親会も終わり、あとは帰国するだけというところで、ホテルをチェックアウトした後からの足取りがつかめないという。
招待した博覧会側も、そちらの要件は終わったあとのことなのでわからないと言うばかりで、さほど協力はしてくれず、官憲に届けを出した程度でどうにもできなかったそうだ。
アルベルトという人は元々放浪癖があり、若い頃はふらりと数日いなくなった挙げ句、突然、転職を決めてきたりするような人だったらしく、弟のフェランも今回もまたそんな悪癖が出ただけではないかと思っていた。しかし、流石に数ヶ月経っても、帰ってこないどころか、たよりの一つもないというのはおかしくて、心配で何も手がつかない状態だったという。
「なるほど。そういう家の中でした」
「だから、これからは君が面倒をみてあげてくれるかな。君は適任だと思うんだ」
「私、そんなにお掃除、上手じゃないですよ」
「でも、君といると元気が出るから」
「え、そ、そ、そうですか?」
「うん。なんとなく」
「そ……そうですか」
あまりに普通に言われて、マイアはどう受け止めていいか分からず、ソワソワした。
「では。お、お兄さんがお帰りになるまで頑張ります!」
「あまり気負わなくていいぞ」
少し面白がっているような、珍しい笑みを向けられて、マイアはたまらず話題を変えた。
「それにしても、お兄さんを探しに行くって、どこか行き先に宛はあるんですか?」
アルベルト技師の行き先には心当たりはないが、アルベルト技師を探しているという名目で、入り込みたいところはある……とは、流石にマイアには説明せず、川畑はただ軽くうなずいた。
そろそろ本筋?に戻ろうかと思います。
(いったいいつになったら皇国につくのか)
しばらくお休みをいただいて書き溜めます。ブクマ等してお待ちいただけると幸いです。




