兄弟
「甥御さんを僕にください」
「やらん」
ジンはフェランの嘆願をけんもほろろに断った。
「飯盛と掃除係がいるなら、メイドを雇え」
昨日と比べて室内は格段に整頓されている。いい香りの立ち上る綺麗なティーセットとお茶うけのクッキーを給仕している甥っ子を、彼はじろりと睨んだ。
昼を過ぎても帰ってこないので、様子を見に来てみれば、このお節介で世話焼きのアホウは、すっかり掃除やら洗濯やら食事の世話やら一切合切を済ませていた。フェラン氏が見違えるほどしゃっきりして、人がましい格好をしているのも、ドアホウがやったのに違いない。
今朝は久しぶりに一人で仕度して、いかに最近、毎朝このアホウが自分の世話を焼いていたのか自覚したばかりのジンは頭痛をおぼえた。
貴族の従者として仕込まれたというこのバカタレは、相手に不快感を与えず、意識されないように身の回りの世話をするエキスパートで、気がつくと、髪は整えられて、髭もさっぱり、着替えも完了、靴はピカピカという謎の現象が発生しているのだ。タイを自分で締めるのは面倒だな……と今朝がた思って、その意味するところにゾッとしたのは、ちょっと人には話せない恐怖体験である。
「うちの甥っ子をタダ働きの召使いにはさせん」
「いやいや、召使いだなんて、そんなつもりはないよ」
「嫁が欲しいなら、求婚は女にしろ」
「いやいやいやいや、誰もそんな意味で彼が欲しいとは言ってない!」
フェランはとんでもない言いがかりに悲鳴を上げた。
「ただ、僕は彼の才能は埋もれさすには惜しいと思って、ぜひ一緒に仕事をしてもらいたいと……」
「こいつは俺の大事なビジネスパートナーなんだ。引き抜きはよしてくれ。メイドなら若くてかわいい女の子を連れてきてやる」
「おじさん、フェランさんが評価してくれている点は、たぶん俺の家事能力じゃないから」
「うるさい。黙れアホウ。自分を安売りするなとあれほど言っただろうが」
まったくお前と言うやつは、とぼやくおじさんに、世間知らずっぽい甥っ子は困ったように眉を下げた。
「そんなにとんがらなくても、俺はおじさんを途中で見捨てたりしないぞ」
「そういうこっちゃねぇ!バカ」
おじさんに肩と頭を押さえつけられ、ワシャワシャと髪の毛をかき混ぜられて怒られている姿は、人並み以上に体格が良いにも関わらず、まるっきり子供のようだった。
フェランは二人の様子を見て考えた。
最初はこの伯父だという男が、一方的に青年を搾取してこき使っているのかと思ったが、どうやらそういうわけでもないらしい。
どうにも不思議な組み合わせの二人だった。
高等物理を家庭教師から習ったと言っていたので、この青年はかなり裕福な家の育ちらしい。言動の端々にも育ちの良さがにじみ出ている。逆に”おじさん”の方は、昨日はそうは思わなかったが、先程から言葉遣いや振る舞いがひどく粗野だし、目つきも悪い。商人を名乗ってはいるが、どこか胡散臭い雰囲気がある。こうして敵意のある視線を向けられると、たちの悪い破落戸やヤクザ者の凄味すら感じられた。
外見も、親類だと言う割には、髪の色ぐらいしか似ていない。
にもかかわらず、この二人にはたしかに親族だと思わせる雰囲気があった。
よくわからないが、お互いと余人は同列で扱う気がない身内感の様なものを持っていることが感じられる。特にこうして互いにぞんざいな軽口を交わしていると、その感じが強かった。
それはフェランと兄の関係を連想させた。
フェランには、仲のいい兄がいた。
兄弟は二人とも機械が好きで、小さい頃から一緒に時計を分解して組み立て直したり、夢の機械の設計図を描いて遊んだ。少し大きくなってからは、親の働く工場で廃材を拾って、オルゴールを作って売って小遣い稼ぎをしたりもした。
ただ機械が好きで手先が器用なだけのフェランと違って、兄は天才的発明家だった。
兄弟は最初は親と同じ工場で働いたが、兄はすぐに物足りないと言い出し、各地の整備工場や機械工房を転々とした。兄が転職するたびに、フェランも一緒に付いていった。
結局、二人は誰かの雇われではなく、二人で工房を立ち上げた。
兄の設計したエンジンや機体は画期的で、資金援助してくれた豪商を起点に、顧客は富裕層を中心に確実に増えていった。
古い農家の納屋で二人で始めた工房は、従業員も増え、それなりに有名な会社になった。
会社が大きくなっても、兄弟は仲違いすることもなく、ずっと協力しあっていた。
……兄が失踪するまでは。
「悪かった。別にあなた方の仲を割こうという意図はなかったんだ。ただ、エリックくんは大変に優秀なので、ぜひ一緒に仕事がしたいと思い声をかけさせていただいただけで他意はない」
コルソン氏はフェランの謝罪を受け入れ「ビジネスの話なら応じる」と応えた。
「業務提携の話の前に、まずはこいつからあんたが引っ張り出した新規アイディアと、あんたがこの知りたがりに教えてくれた既存知識の精算から始めようか」
「おじさん、セコいこと言うなよ。酒の入った夜中の雑談だぞ。金取んな」
髪の毛がぐしゃぐしゃになった甥っ子は、伯父のタイを直しながら、フェランに対して話すときよりもかなりぶっきらぼうな口調で文句を言った。
「そもそも、俺がした話は基本のアイディアだけで、具体的な実現性のある技術じゃない。ロイヤリティが取れるレベルじゃないんだ。金になるようにするには、この先十年以上の技術革新が必要だし、そこまで持っていけたとしたら、それは実現した人の功績だ。初対面の青二才の夢物語に、一流技師さんが深夜まで付き合ってくれた時点で感謝しないと」
フェランは聞いていて忸怩たる思いだった。たしかに彼の発想は素晴らしかったが、兄ならともかく、フェランの手では実現できそうにない話ばかりだったのだ。この青年ともっと早く出会えていたなら、彼は兄の最高の理解者となっただろう。
「……あ、でも、俺もおじさんも貧乏なんで、正直、手持ち資金はろくにありません。授業料もなしということでチャラにしてもらえるとありがたいんですが、よろしいですか?フェランさん」
かなり真剣に懐具合を心配している様子の青年に、フェランは「君との会話で金を取る気はないよ」と答えた。
「こちらこそすまない。兄のアルベルトがいれば君の話をもっと深く掘り下げてあげられたんだろうが……」
「アルベルト?」
黒髪の伯父と甥は、顔を見合わせた。
彼らは元々、兄に会いにこの街に来たのだとフェランに告げた。
フェラン「それはそれとして若くてかわいい女の子のメイドは紹介してほしい」
ジン「心当たりがある。手配しよう」




