湖畔
アドリアは湖畔の街だった。
「海じゃないんだ」
「ハッハッハ。甥っ子くんは大きな湖を見るのは初めてか」
商隊長に笑われ、川畑はまごまごと世間知らずなフリをして、失言を取り繕った、
「(アドリアといえば海の名前だ……と思ったとは、流石にここの人には説明できない)」
川畑はちょっと最近、気が緩みすぎかもしれないと反省した。
「湖沼地帯の中でも、1,2を争う湖だ。これまで点在していた沼や池とは別物だろう」
たしかにここの湖は、輸送のために比較的大型の船舶が行き来する程大きかった。
「あ、外輪船だ」
「あれは共和国の方からローヌ河を上って来た船だ」
「あのタイプの外輪船の実物は初めて見ました」
「興味があるなら、後で港に行ってご覧。色々な船がいるぞ」
アドリアは水運が盛んで、大きな船が碇泊できる港があるのだという。他にも街の奥まで整備された運河沿いには、商家や工場の船着き場があり、個人宅でもボートを引き込む船留を持ってると商隊長は話してくれた。
「ほら、その先に見えてきたのが紡績工場だ。あそこも専用の船着き場を待っているんだぞ」
馬車の進行方向左に見えてきたのは、赤煉瓦の大きな建物だった。
各地の農家から集められた羊毛は、ここで汚れた毛玉からきれいな繊維にほぐされ、整えられて、粗糸という糸の原料にされるのだという。
川畑達が世話になった毛織物商は、農家で買い取った羊毛をここで粗糸にし、紡ぎ車や織機を貸し出した家に渡して、紡がせたり織らせたりしているらしい。
「工場内は見学できますか?どんな機械が使われているのか見たいです」
川畑はわくわくと身を乗り出して、赤煉瓦の建物を目で追った。
「頼めば見せてくれるとは思うが。いやぁ、君は本当に機械が好きなんだね」
商隊長は、工場の知り合いに頼んで見学の許可を取ってくれた。
「君、ここで働かんか?」
「すみません。おじを一人にするわけにはいかないので」
朝から半日どっぷり見学して、昼食に誘ってくれた主任技師と、各工程の機械と、その動力源となっている蒸気機関の仕組みと改良点について、夕方まで熱心に議論した挙げ句、川畑はいつもどおり勧誘されて、いつもどおりあっさり断った。
「君の話してくれた動力の伝達方式は、早速うちでも取り入れられるか検討したいと思う。具体的な詳細について話し合いたいのだが、明日の予定は空いているかい?」
「いえ、あの……天井付近に通した棒の回転をベルト経由で各機械に伝達する機構は、俺の考えたものではないので……」
導入しても大丈夫なのか、権利関係の問題の詳細がわからないし、異常発生時に機械を個別に動力源から切り離して緊急停止させる機構についてがうろ覚えなので、安全性の面からも、現場に導入するのは考え直したほうがいいと川畑は断った。しかし、”安全用の非常停止機構”というものがアイディアレベルでもあるなら、ぜひ聞かせてほしいと食い下がられる始末だった。
「(そう言われても、昔、産業技術記念館を見学したときは、今みたいに記憶領域を拡張する前だったから、詳細はさっぱり覚えてないんだよな。創意工夫と技術の素晴らしさに感動したのは覚えているんだけど……)」
川畑はボタンを押すと動く、記念館の展示用自動織機の勇姿を思い出して胸を熱くした。あれは天才の仕事だった。
「(俺、機械がガシャコンガシャコン動くのを見るは物凄く好きなんだけど、技術職の素養はあんまりないからなぁ。技術懇談会なんかに誘われても期待に添えるかどうかわからん)」
とても親切な主任技師さんの誘いを断るのは、申し訳なかったが、とにかく一度戻っておじに相談してみないと、明日以降の予定もわからないと応えて、川畑は話を保留にした。
「(”おじさん”の存在が超便利)」
こういうとき”判断を仰がないといけない保護者”がいるという建前は、物凄く楽だと川畑はしみじみ思った。
「お前はまたそうやって引っ掛かってくる」
ジンは工場見学から帰ってきた川畑の話を聞いて、うんざりした顔をした。
「就職の話はちゃんと断ったぞ。ただ、ぜひ紹介したい人がいるから、また来てくれと言われて、それは断らなかった。相手はすごい機械技師で発明家らしいんだ」
「まぁ、紹介状の相手は、空振りだったから、そっちに当たってみてもいいか」
毛織物商に紹介状を書いてもらったアルベルトという技師は、行きつけの店では会えなかった。
川畑が工場見学に行っている間に、ジンは技師の自宅を探して、訪ねてみたのだが、不在だった。近所の人の話では、もう数ヶ月、姿を見せていないという。
「わかった。明日は俺も一緒に行ってやる」
「ありがとう。おじさん」
「午後からだぞ。明日の午前中は銀行に用がある」
「俺も電報局に行きたいから午後でいい。朝イチで工場長さんにアポ取って、午後からか別日でセッティングしてもらうよ」
「任せた」
「任された。……午前中、用があるなら、今夜はあまり飲むなよ」
「いいじゃねぇか。このあたりのシャトーは白が美味いんだよ」
「飲みすぎると体壊すぞ」
「ささやかな楽しみを止めんなよ」
「おじさん、俺が一緒にいると、面倒みてもらえると思って潰れるまで飲むだろう」
「バレたか」
「ささやかな楽しみってんなら、ほどほどにしとけ」
「お前に迷惑かけるのが、ささやかな楽しみなんだ」
「性格悪っ」
二人は港に近い湖畔のレストランで、魚料理を食べながら、他愛のない話をして過ごした。




