親類縁者
すっかり灯りも落として、寝台に横になってから、ふと川畑はジンに尋ねてみた。
「そういえば、”俺の母親”で、”おじさんの姉さん”ってどんな人なんだ?」
怪訝そうな沈黙に、川畑は少し言葉に詰まってから、人に尋ねられれたとき人物像が一致しないとまずいから、と小声で囁いた。
ジンはつまらなさそうな声で応えた。
「黒髪の女だ。眼は緑。背は女にしては高めで、グラマー。化粧でもして黙ってりゃ美人だが、洒落っ気がなくて喋ると色気のねぇ女……」
「随分、スラスラ出てきたな。昔の知り合い?」
「そうでもない。お前と俺の血縁でありそうな感じの女というとどうなるかって考えただけだ。だがこういうのは、たしかに頭の中で具体的にしておいたほうがと話すときにブレないな。やってみろ」
慣れないなら、知り合いのことを考えてもいいと言われて、川畑はジンとイメージを共有できそうな黒髪の女を思い浮かべた。
「シダールの孔雀琵琶の楽士は緑の眼だったっけ?身長はそれほど高くないしちょっと違うか」
「シダール人の女は止めておけ。俺やお前がシダール人の血筋だってことになる。北方じゃ、そいつは商売人としちゃ不利だ」
川畑は次にヴァイオレットを思い浮かべたが、彼女は貴婦人な印象が強すぎて、使えそうになかった。
川畑はこの世界での知り合いのイメージを使うのを諦めた。
「黒髪で緑の眼。背が高くてグラマーだけど、行動に色気がないというと……」
ジャストな人物が思い浮かんで、他のイメージができなくなった。
「手先は器用なのに家事は苦手。興味のある仕事にはマメなのに、生活習慣はズボラで徹夜も朝寝もする。清潔なのは好きだが、服装には無頓着で、家の中ではちょっと目のやり場に困る服装で平気でくつろぐ……」
「ひどい女だな。知り合いか?」
「とても世話になった女性だ。少しの間だが彼女の家に一緒に住んだことがあるから、生活を想像しやすい」
「ふぅーん……いい女だったか?」
「おっさんが考えているような関係じゃない。彼女は学者で医者で技術者で研究者なんだ。俺の師匠で先生だ」
女でそれは珍しいとジンは評した。
「ということはかなり年配か。母親ってんならそのほうがお前も考え安いだろうが」
「あ、いや……」
川畑はふと危機感を感じて慌てて訂正した。
「年配ではない。正確な年齢については話題に出したことはないが、妙齢の美女だ」
暗い寝室に少しだけ沈黙が続いた。
「……そうか。なんかわかった」
「うん。そういう感じだ」
それなら、”母親”と言うには抵抗があるんじゃないのかと、ジンは尋ねた。
「そうだな。……俺が自分の母親役に人物像を使ったと知ったら、ただじゃすまないだろうな」
二人は屋根裏部屋の暗い天井を見上げた。月光が細く差し込んでいる。
「面白いな。どんな女なのか俄然興味が出てきた。お前をそこまでビビらせるって何者なんだ」
「紹介はしないからな。それにあの人は最近結婚したばっかりで今は熱々の新婚夫婦だから、おっさんが割り込むスキはないぞ」
「新婚?!結婚できたのか?旦那はどんなできた物好きだ?」
「正真正銘の”勇者”だよ」
「……なるほど」
正確さはともかく、ニュアンスは確実に共有された。
その後、二人は自分たちの姉や母にあたる存在しない女性について、特徴やエピソードを散々でっち上げて楽しんだ。
「そうそう。頭は良いくせに時々とんでもなく抜けてて……」
「気づいた途端に焦って取り繕うんだけど、そういうときの対応はザル」
「わかる!」
「そして、敵だと思った相手には恐ろしく情け容赦ないけれど、実は関心もないので撃退したら以後、放置しがち。味方だと思った相手は懐に入れて手厚く世話をするが、デリカシーはなくて、身内にも容赦はないので、敵視されるより酷い目にあわされてるんじゃないかと思うことがある」
「な…何だその的確な人物評。光景が目に浮かびすぎる……笑いすぎて苦しい」
「恋愛経験がカス過ぎて、他人からの好意の匂わせには気づかない。その上で隙が多いから、盛大に誤解する奴がちょいちょい出て、傍で見ていると可哀想になる」
「千里眼……か……なんでそんなこと見てもいないのに思いつくかな。っていうか母親がそれって残念すぎるだろう」
枕に顔を押し付けて腹を抱えて笑う川畑の隣で、ジンはこれ全部お前のことだぞ、と心の中でツッコんだ。
「しかし、ここまで創っておいて何だが、自分から話そうとするなよ。しょせんは虚構だから突っ込まれるとボロが出る」
会いたいだの、連絡を取りたいだの言われると困るから、両親は3年前に旅行中の事故で行方不明、身寄りのなくなった甥っ子を、唯一の肉親である母親の弟が引き取ったという初期設定はそのままとなった。
「居もしない人を失った喪失感が辛い」
川畑は枕に顔を埋めて突っ伏したまま、ボソリと言った。
こんなどうでもいい話で、日頃、淡々としてるこいつがこんなに浮き沈みするとは……と、ジンは隣の寝台の青年のシルエットを見つめた。
「(よほど家族や血縁ってもんに飢えてんだなコイツ)」
自分はもう今さら感じない感覚だが、そういう飢餓感が、時として身を苛むことがあるというのは知っていた。
「おじさんがちゃんといて良かったな」
「ちゃんとしたおじさんじゃないけどな」
「ぬかせ」
たまにはこういう距離感の関係もいいと、ジンは自分のポリシーの判定を少しだけ甘くした。
心の干からびた影の怪物だって、そんな気分になることはあるのだ。
今回、ネタにされてた川畑の魔法の師匠のおめでたい話が未読の方は、下記外伝を参照してください。
https://book1.adouzi.eu.org/n3124hh/




