韜晦
「呪いを掛けられた王子というのは、芝居の話……かな?」
だったらそれは、おっさん達の飲み会でのでっちあげだと川畑は説明した。
「商隊長がどこかで聞き込んできた話を、旅芸人の座長が気に入って、うちのおじさん達が、飲んだ勢いで、寄ってたかって盛った与太話だよ」
「そうなんだ~」
マイアはニコニコしながら肯いた。
「取り消すとこ、そこだけ?」
「なんのことだかわからない」
「そ~ぉなんだ〜」
ニマニマするマイアの傍らで、川畑は困ったように少し首を傾げた。
「本当に、なんで急に芝居の話が出てきたのかわからないんだが、なにかパンの話と関係があるのかな」
察しが悪くて済まないと生真面目に謝る青年に、マイアは目を瞬かせた。
「んん?……あれれ?え?」
心底当惑した顔で見返されて、マイアは混乱した。
「やだ。ウソ。私の勘違い?」
「何をどう勘違いしていたのか教えてもらってもいいか?」
「うえっ?」
マイアはどこから出たのかわからない声を上げて、ピョコンと跳ねてから、おずおずと青年に尋ねた。
「……あの、忘れちゃいました?前に助けてもらいましたよね?」
背の高い青年は、眉を寄せて真剣に考え込んだあと、水汲みや荷物の上げ下ろしは手伝ったが、そのときになにかあったかと、まったく的はずれな返事をしてきた。
「すまん。全然思い出せない」
「えーっと、この商隊に入る前の話です」
「君とはこの商隊であったのが初めてだと思ったが、違ったろうか」
自分はここしばらくは、ずっとおじと商用の旅暮らしなので、もしかするとどこか立ち寄った街であったかもしれないが、覚えていない。申し訳ない。そう言って、たいそう気弱そうに眉を下げる青年を見て、マイアは自分がとんでもない失敗をした気分になった。
「あ、あれ、いや、そういうんじゃなくて……あれぇ?」
「それとも、もっとずっと子供の時にあったことがあるとか?」
「違っ……あー、そのー、私の勘違いみたいです。ごめんなさい」
「君にとって大事なことじゃないといいんだけれど」
気遣われて、マイアはいたたまれない気持ちになった。自分にとってはとても大事なことではあるのだが、こういう展開は想像していなかったのだ。
すっかりテンションが下がったマイアをじっと見ていた青年は、表情を緩めて、多少柔らかい口調で彼女に声をかけた。
「よかったら、事情を聞かせてくれないか」
宿に抜ける裏道の石造りの階段に座ったマイアは、自分は芝居の題材になった町から来たのだと打ち明けた。
「内緒にしてくださいね。商隊長さんから、迂闊に喋らないほうがいいって言われてるんです」
難を逃れた流れ者がどこで聞いているかわからないし、顔を覚えているかもしれない彼女が襲われる可能性があるからだという。
「お芝居では出てなかったですけど、例の町ではその夜、領主の息子さんの旅費とか、地主さんの家のお金とか、賭博場や娼館のお金とか、どさくさ紛れにみんな盗まれているんです」
当時そこにいた流れ者やヤクザ者が、それぞれ逃げ出すついでに持ち出したとみられているが、単独犯でなく、総人数がわからないので、捕まえられずに逃げている者達が相当いるらしい。
また、酒場宿に出資してた商人の本宅が、隣町にあり、そこも同じ日に盗難があったそうで、状況から内部をよく知っている犯人だろうと思われたが、一番怪しい立場の人物は行方不明だという。
「私、その人の下で働いていたから、顔知ってるんですよ」
それ以外にも当時、店にいた人間の顔は流れの用心棒も含め全員覚えていると、彼女はいった。
「計算はあまり得意じゃないですが、記憶力はいいんです」
特に人の顔と名前を覚えるのは得意だと自慢げに言ってから、マイアは急に肩を落とした。
「ちょっと自信なくなっちゃいましたけど……」
「なんで?」
「私、てっきりあなたが、その時私を助けてくれた人だと思ってたんです」
「俺はおじさんと一緒だったよ」
「そうですよね……」
マイアはカクリとうなだれた。
「でも、俺がその町から来た男で、なおかつそれをごまかしているのだと思ったなら、なんで自分がそれを知っていることを知らせたんだ?金を持ち逃げした逃亡犯に気づかれると危険だって注意を受けていたんだろう?」
「だってぇ」
マイアは隣に腰掛けた青年をちらりと見て、口を尖らせた。
「私の恩人さんは、お金を盗んで逃げるような人じゃなかったんですもん」
「そんなのわからないだろう」
「いいえ!だって、彼、お金に困ってなかったんです。助けた相手に高価な指輪をポンとあげたくらいで」
「指輪をもらったのか」
「はい。厨房のお兄さんが受け取ってました」
「……君ではなく?」
「はい」
怪訝な顔をする相手に、マイアは補足説明を続けた。
「厨房のお兄さんは、その指輪でショーガールのお姉さんにプロポーズして、二人で仲良く町を出ました」
「え?」
「以前からお兄さんが彼女のことが好きだったのは有名だったから、背中を押して上げたんでしょうね。親切なお兄さんで、厨房に行くとよく余り物を分けてくれたんで、幸せになってくれて嬉しいです」
「……ああ、そう」
「でも、ショーガールのお姉さんのことを自分が助けたって話にして口説いてたのはいただけなかったですね。お姉さんは当時、気絶していたから気づかなかったみたいですけど、お姉さんを助けたのは、私の恩人さんなんです」
マイアは「私、見てたんです。お兄さんは離れた路地で鍋被って震えてただけでした」と言って、助けに行こうとした気概は買うけれど、嘘をついて人の善行を自分の手柄にして女を口説くのは良くないと憤った。
なんとも微妙な顔で話を聞いていた青年は、その話自体にはコメントせずに、マイアが町を出た経緯を尋ねた。
「はい。経営者がトンでて、店が壊れてて、町中てんやわんやで治安もへったくれもない状態で仕事なんてできなかったから」
「一人で町を出たのか?」
「厨房のお兄さんとショーガールのお姉さんが、途中まで一緒に連れ出してくれたんですけど、新婚気分のカップルと3人旅は申し訳なくてですね……」
商隊と出会ったので、そこで分かれたのだという。
街道沿いの大きな町に滞在する本隊より、農村を周る別働隊の方が、逃亡犯に出くわす可能性は低いだろうと、商隊長が気を利かせてくれて、先日、合流するまでは、村々を周る行商の手伝いをしていたと、マイアは語った。
「市の最終日に町に行ったとき、広場の舞台でお芝居をやっていて、驚きました」
本番ではなく、できたばかりのシナリオの立ち稽古を見たらしい。
「私が適当にでっち上げてほとんど想像で商隊長さんに話した話より、ずっとかっこいい話だったから、あっちが本当だったんだろうって思ってました」
「商隊長さんが話していた元ネタが、すでにかなり荒唐無稽だったのは、君のせいか」
「だって町の事情や情勢がどうだったかなんて聞かれても、女給見習いではわかることそんなにないですよ」
それで、職場で聞きかじった話に自分の体験と妄想を載っけて教えたのだという。
「なんでもいいから役に立つ話をして商隊に入れてもらわないと、路頭に迷って行き倒れちゃうところでしたからね」
「苦労したんだな……」
青年はマイアの頭に大きな手を置いて、慰労するように数回軽く叩いた。
「ねぇ、本当の本当に違うんですか?」
マイアは青年をじっと見つめた、
「そういう態度とか、雰囲気とか、あと口や耳の形とか、すっごく同じなんですけど!」
「耳の形なんて正確に覚えているのか?」
「……そりゃあ、絶対正確かと言われるとちょっと自信ないです」
マイアは未練がましくチラチラと青年を見た。
「でも、水で頭を洗う男の人なんて、他に見たことないです」
「んんん?」
「洗ってますよね?人が少ないときに宿の水場で」
「洗ってるけど……皆洗わないのか?」
「水で洗ったりしないでしょう」
「ああ。お湯を使うのか」
「お湯だなんて、上流階級の健康法かなにかですか。オイルを付けてブラシで梳かすとかはするけれど、水やお湯をあんなに沢山無駄にかけて流すなんて普通はしません」
青年は愕然としたようであった。
「私の恩人さんも、エリックさんと同じように水で頭洗ってたんです」
マイアは立ち上がると、青年の頭を触って、クンクン匂いを嗅いだ。
「うん。少しくせ毛だけどサラサラで匂いがないのもおんなじ」
臭いと言われるよりはマシだったが、ひどい特定理由だった。
「私の恩人さんも、帽子やマントがちっとも臭くなかったんです。ありえないでしょう?」
「ありえない……のか…?」
「男の人って、普通は頭が脂ぎっていて、なんか男っぽい臭いがしますよね」
ショックを受けたように黙りこくった青年は、おずおずと口を開いた。
「シダールの風呂は髪も洗うぞ」
「シダールって、おとぎ話に出てくる国ですか?王子様とか魔法使いとか宝石でできたお城とか出てくるヤツ」
二人の間には、文化的下地の大渓谷が広がっていた。
川畑;素知らぬ顔で、白を切り通そうとしたら、すげぇカルチャーショックきた。
マイア;ほぼ確信しているので、見逃してあげようかな……と思いつつ、盛大な勘違いだと超恥ずかしいと思っている。それはそれとして、実は”シダールの元呪われた王子様のお忍び旅”とか夢がありすぎでは?とワクワク。
ジン;あちこちのお金を手際良く回収しました。偽装もバッチリです。




