茶番劇
「ラブロマンスが足りない!」
ジョッキを片手に座長は力説した。
「いるのか?怪奇物にそんなもん」
商隊長は炙りベーコンをつまみながら、首を傾げた。
「ふむ。とはいえ悲鳴を上げて逃げる女役しかいないのは、色気がないな」
毛織物商は、手酌でおかわりを注いだ。
「そりゃあそうだ。お色気は欲しい」
ジンは店員を呼んで、ワインのボトルをもう1本注文した。
居酒屋に集まった男達は、田舎芝居の脚本の元ネタを、酔った勢いででっち上げていた。
「うちの看板女優がやるヒロインは最高だぞ」
「じゃあ、娼館の女なんかどうだ」
「娼婦はなぁ。うちは屋外の昼公演が多いんだよ。と言って、女給じゃ衣装が地味だし……」
「ショーガールは?」
「それだ!待てよ?歌手でもいいな」
流れ流れて田舎町にやってきた歌手は、実は町の顔役の妾腹の娘で、母を捨てた父に復讐しようとしていたが、再会を果たした父親は病に倒れていて……。
「ラブロマンスどうした?」
「そうだった。よし!黒霊がヒロインに一目惚れしたことにしよう」
彼女の父親を殺して、町を乗っ取ろうとする悪役が、商売敵の店で歌う彼女を拐って自分の妾にしようとして、怒った黒霊が……。
「しまった!うちのトップスターは、見せ場が仮面で顔を隠した化け物の役なんてやってくれない。伊達男のヒーローを用意しないと!」
「おいおい」
「うちの芝居の客は、地方の町や村の日頃娯楽の少ない奥さん方や若い娘さん方も多いんだよ。色男が顔を隠してちゃ受けない」
「それなら、領主の息子だかなんだかの役をあてたらどうだ?なんか居ただろ」
「あー。居るっちゃ居たけど、ここの領主の四男はイマイチ評判が悪いからなぁ。モデルがアレだとちょっとウケが悪い」
「こんだけ荒唐無稽に改変しておいて、そこは現実にこだわるのか」
「知らないことを盛ったウソは楽しんでもらえるけど、知ってることとイメージがズレるとお客さん冷めちゃうんだよ。評判のいい有名人にいい話の尾鰭をつけるならまだいいけど、有名なボンクラを主役格に据えるのはいただけない。主役が軽くなる」
「なるほど。ならいっそ完全に架空の王子様にしちまえよ」
「王子!いいなぁ、それ」
「流石に王子がいたら護衛が多すぎてどうにもならんだろう。そんなろくに宿もない田舎町に滞在する理由もないし」
「そこはお忍びで一人旅……無理か」
「普通の王子様は賭博場には来ねぇな」
「うーん。そうだ!呪われた王子というのはどうだ」
呪いで醜い姿に変えられた王子は、国を追われて放浪の旅に出ていた。
偶然、立ち寄った町で出会った歌姫は、彼の荒んだ心を癒やし、二人は運命的な恋に落ちた……。
「ちょっと待て。まさか黒霊を王子にする気か?」
「名案だろう」
呪われているがゆえに、女を幸せにできないと考える男と、復讐を胸に誓っているがゆえに、恋から目を背けてしまう女……。
「あ、復讐の設定、採用なのか」
「ダメだと思えば思うほど燃え上がる許されざる愛!そして、すれ違い!」
女の危機に、男は命をかけて凶悪な敵に挑む。力を使いすぎたために暴走する呪い。もはや人の姿に戻れなくなり身も心も怪物と化した黒霊は……。
「おいおい。オメェのところの男優が顔を出すスキがないぞ」
「そうだった」
もはや人の姿に戻れなくなる瀬戸際で愛の力により呪いは静まり……。
「大団円にはなりそうだが、顔出しは最後だけだな」
「最終的に呪われたままというなら大団円ではないだろう。お尋ね者になるわけだし」
「ううむ」
もはや人の姿に戻れなくなる瀬戸際で愛の力により、呪われた悪霊は、男の体から弾き出された。王子と歌姫は、剣と聖なる歌の力で悪霊を成敗し……。
「突然できてたな。聖なる歌」
「うちの看板女優は歌も上手いんだ。歌のある劇は地方受けがいい」
「需要と供給はわかったが、田舎酒場の歌姫が聖なる歌が歌えていいのか?」
「ヒロインの母が実は聖女で、幼い頃に聞かせてもらっていた歌が聖なる歌だったんだ」
「なんだ。その取ってつけたような設定は。ヒロイン、妾の子だろう」
「昔、悪い父親が聖女を拐ってむりやり妾にしたんだ」
「うらやまけしからん親父だな」
「退治されてもいい感じになったな」
こうして呪いの解けた王子は、愛する歌姫と手に手を取って、故郷へと戻り……。
「そして二人はいつまでも幸せに暮らしました。めでたし、めでたし」
「それでいいのか?」
「うちの話はだいたいこんな感じだ」
「すごい芸風だな。お前のところの芝居」
川畑はテーブルの隅で、アホなシナリオ検討会を聴き流しながら、干し葡萄と胡桃の入ったカンパーニュ風の黒パンを黙々と食べていた。クロテッドクリームっぽいフレシュで柔らかい白バターをたっぶりすくってつける。……美味い。
「(食わせたら喜びそうだ)」
川畑はカンデの酒場宿の女の子を思い出した。
……激しい銃撃が収まった後。
震えて縮こまっていたマイアは、こっそりと薄目を開けた。耳はまだ少しキーンとしているが、どうやら自分はちゃんと生きているっぽい。
廊下の先からは喧騒が流れてくるが、この室内はすっかり人がいなくなって静かになった。
マイアは恐る恐るちょっとだけ顔を上げて、室内を見回した。
黒マントの怪人は、部屋の奥で倒れているショーガールの脇にいた。
いつの間にか、つばの広い帽子を被り、トリの仮面を付けている。ボロ布のマフラーからのぞく口元は、間違いなくいつもの彼だ。
よく知っている親切な彼と、恐ろしい怪物が混ざってしまって、マイアは混乱した。
怪人は、気絶した女を抱き上げた。
あれはたしかショーガールの中でも一番美人でスタイルのいい姉さんだ。
こういうときに拐われるのも助けられるのも、ああいう美人なんだよな……とマイアは思った。
怪人に連れていかれるのが自分でなくて、ホッとしたのか悔しいのか、自分でもよくわからない。
怪人は窓を開けると、女を抱えたまま外に出た。
「(行っちゃった)」
この自分の気持ちがなんなのか考える間もなく、怪人は帰ってきた。
「おい。立てるか?」
あまりにも普通に話しかけられたので、マイアは相手が何者か悩むのをやめた。彼は怪人ではない……いや、怪人だが、知り合いの怪人だ。
窓からこっちを覗いているトリの仮面にマイアはプルプル首を振った。
「立てないです。ルーク、抱っこして」
言ってみたら、やってくれた。
いまだ騒がしい娼館の裏手に降ろされたマイアは、そこのすぐ先の物陰に潜む人影に気付いた。
「リベルさん?!」
鍋を被って、麺棒を握りしめて、そこにいたのは、店の厨房で働いている見習いの若者だった。マイアが厨房に行くといつも何かしら食べ物をくれるいい人だ。
「こ、こ、こ、この野郎!彼女を離せ」
鶏並みにカクカクと頭を揺らしながら、へっぴり腰で麺棒を振り上げた男は、トリ面の男が近づくと、尻もちをついた。
「待って、大丈夫。この人は私を助けてくれたんです」
マイアは二人の間に割って入った。
聞けば、見習い料理人の彼は、連れて行かれた店の女の子を、どさくさ紛れにでも、なんとか助けられないかと、様子を伺っていたそうだった。
「ありがとう!」
マイアは感激して、彼の手を取って涙ぐんだ。今まで自分のことをそんなに心配してくれた人なんていなかったので、本当に嬉しかった。
半べそのマイアの背中を、彼は優しくなでてくれた。
トリ面の男は、そんな二人の様子を黙って見ていたが、ふと思いついたように、懐からなにか小さいものを取り出した。
「任せた」
トリ面の男は、見習いの若者に手の中のものを渡した。
「食い扶持の足しにしろ」
それは高価そうな女物の指輪だった。
若者は目を白黒させたが、指輪を握りしめて、ガクガクとうなずいた。
「まだ残党がいる。早めにここから離れろ」
「は、はい。でも腰が抜けちゃって」
若者は情けない声を上げた。
頭に被った鍋がずり落ちかけている。
「わかった。危なそうなのは一通り片付けておく。……鍋は脱いでおけ」
仕方ないなと低く呟いて、仮面の男はフラリと闇の中に姿を消した。
ほどなく、娼館も賭場もすっかり静かになった。
「本当に……ありがとうございました」
涙ぐみながら頭を下げる男女を一瞥もせずに、”黒い亡霊”は悪党どもが壊滅した町をあとにした。
酒場のテーブルで、旅芸人の座長のおごりのメシをつまみながら、川畑は、中学生ぐらいの名も知らぬチビっ子ウエイトレスが、ちゃんと元気にメシが食えているかどうかに思いをはせた。
「(二度と会うこともないだろうけれど)」
炙りベーコンは塩気がきついが、脂身が甘くて燻製の香りが良かった。
たまにはまともにものを食うことも大事だな、と川畑は思った。
フラグ




