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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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退治

「ついてねぇなぁ」

夜番を押し付けられた下っ端は、灯りと嬌声が漏れる店の前で、手にした短槍に寄りかかり、下唇を突き出してボヤいた。

「俺も中でいっぱいヤりてえ」

酒場宿の生意気な新参野郎どもを散々にブチのめして高揚した気分は、祝杯をあげる仲間に入れなかったことで萎んでしまった。

「あ~ぁ」

来るはずのない脅威を警戒する見張り役にモチベーションはまったくない。

ついでにいうと持たされた短槍も槍とは名ばかりの代物だ。柄こそ黒塗りでみすぼらしくはないが、単に棒の先に引っ掛け鈎がついただけの、店じまいのときに大戸や鎧戸を閉めるために使う道具にすぎない。……つまり、その時間まで外で立っていて戸締りしろという意味だ。

下っ端は愚痴を呟きながら、人気のないメイン通りをぼんやりと眺めていた。


「……なんだ?」

暗い通りをこちらにやってくる人影があった。

足元までの長い黒マントで、フードを深く被っているので、近くに来るまで闇に紛れて気付かなかったようだ。はっとしたときには、その長身の者は店のすぐ前にいた。

「何者だ?!止まれ!」

「拐った娘はどこだ」

その低い問いかけは、地獄の底から響いてくる悪霊の声のように聞こえた。

「ひ、ひぃ……」

見張り役の三下は声にならない悲鳴を喉につっかえさせながら、手にした短槍を人影に向かって突き出した。

「返してもらいに来た」

人影は鈎先を無造作に払うと、すっと前に出た。たたらを踏んだ見張り役は、間近で相手を見上げる形になり、フードの下の顔を見て悲鳴を上げた。

「”亡霊”……!」

闇の中で薄明かりに浮かぶその白い顔は、まったく生気のなく死霊のような仮面だった。




割のいい仕事だった。

”牛の目”のデバランに雇われた偽”亡霊”役の男は、娼館の奥の部屋で、女を抱き寄せながらニタリと笑った。

渡された奇っ怪な仮面や帽子を身に着けて、ひと暴れするだけの簡単な仕事で、報酬として、そこそこな金に、まあまあな女まで付いてきた。

適当に遊んで、明朝ここを出るときには、今夜の罪状はこのトリ面の主にかかるだけで、自分は自由の身だ。

「い…や……やめて……」

抵抗が弱々しくなってきた女の頬を張り飛ばす。

「どうした。もっと暴れてみせろ」

男が酷薄に笑ったとき、店の表の方から銃声や怒号の混ざった騒乱が聞こえてきた。


「なんの騒ぎだ」

悲鳴と派手にものの壊れる音がする。

「ぉんどりゃぁ!なにしに……」

「いてこましたるぁ……グアア!!」

店の男達の罵声が不自然に途切れ、壁に何かがぶつかったような鈍い振動が立て続けに響いた。

騒ぎの中心はだんだんと近づいて来るようだ。誰かが各部屋の戸板を蹴破りながら、順番に奥に進んできている。

「くそっ」

偽”亡霊”は、なぶっていた女を放り出して立ち上がった。


扉が弾けるように開いた。

銃声が響く。


銃がゴトリと床に落ち、偽”亡霊”は手を押さえてうずくまった。

黒マントの侵入者は、振り抜いた黒い棒の鈎先をくるりと回して、鈎のない側を振り上げると、そのまま振り下ろして偽”亡霊”を打ち据えた。

濁った音をさせて倒れた偽物を足先で転がした本物の”亡霊”は、無慈悲にもう一度棒を打ち下ろした。

動かなくなった偽物から、自分の帽子と仮面を取り返した”亡霊”は、嫌そうに仮面の内側をマントの端で拭いた。

「あの……。”トリさん”?」

拉致されていたショーガールは、これまでも何度か自分達を庇ってくれていた怪人に恐る恐る声をかけた。

「助けに来てくれたの?」

「……そういうわけじゃない。すまない」

”亡霊”は彼女の方を見ようともせず、カーテンを引きむしって、床に座り込んだまま立てないでいる彼女に投げた。

「ありがとう」

自分が、ひどい格好なせいで彼がこちらを見ようとしないのだということに気付いた娘は、掛けられたカーテンを体に巻き付けた。

「アンタのお気に入りのあの子は、別の部屋に連れて行かれたわ」

「わかった」

”亡霊”は、ショーガールに自分の帽子とトリの仮面を渡し、預かっていてくれと頼んだ。


「”亡霊”……ずいぶん派手にやってくれたな」

部屋に入ってきたデバランは、振り返った”亡霊”に「まず話をしようじゃねぇか」と言った。

”亡霊”はデバランの部下達が構えた銃と、自分の後ろにいる女を少し見てから、構えていた棒をまっすぐに立てて鈎先の側を床につけた。

「取引をしよう。そのトリの面と帽子、俺に売らねぇか?」

デバランは札束を取り出した。

「アンタはその面と帽子を売った金を持ってこの町を立ち去る。ここであったことは忘れて、余所では話さねぇ」

デバランは倒れている偽物をチラリと見てから言葉を続けた。

「町を襲ったトリ面の凶悪犯はここで俺が始末する……どうだ?」

黒いマントのフードを深く被ったまま、うっそり立っている怪人はボソリと呟いた。

「そういう手駒の使い方はしないほうがいい」

低すぎる呟きを聞きとれなかったデバランは「悪くない話だろう」と、いかにも博徒の頭らしい顔に笑みを浮かべた。

「面と帽子は売ってもいいが……これを置いてあった場所にいた娘はどうした」

「娘?」

怪訝そうなデバランに脇にいた部下が何事か耳打ちした。デバランはわずかに顔をしかめて小さく舌打ちすると、その部下に「連れてこい」と小声で命じた。

「女は渡す」

別段、害意があったわけじゃない。連れていきたいなら連れて行ってかまわないとデバランは言った。

「別に連れていきたいわけじゃない」

「一晩、遊ぶために取っておいた女だったってんなら、部屋は用意するぜ。うちの店で一番いい部屋で支度させる」

「余計なことはするな」

「わかった。好きにしろ。これで取引成立だな。受け取りな」

デバランは”亡霊”の足元に札束を投げた。”亡霊”は黙って立っているだけで金を拾おうとはしなかった。

「どうした?金額に不満か?」

デバランは札束をもう一束取り出して、投げた。

”亡霊”は動かない。

沈黙の落ちた部屋に、若い娘の声が響いた。

「痛いって、そんなに引っ張らないで!やだ、怖い顔しないでください。歩きます。歩きますってば。あっ!トリさん!!」

部屋に連れてこられたマイアを見て、デバランは露骨に顔をしかめた。

「この小娘か?」

デバランの後ろにいるマイアを見て、”亡霊”は小さくうなずいた。

「俺は商売柄、他人の女の趣味をどうこういう気はねぇが……オメェ、マジでこのミソサザイみたいな小娘なのか?」

「その”小娘”を拐かして、こんな場所に連れてきておいて何を言うか」

「それについちゃ、俺の監督不行き届きだ。申し訳ねぇ。わびといっちゃ何だが報酬にもう少し色を付けてやろうか……」

デバランはまた懐に手を入れると、マイアを”亡霊”の側にいかせるように部下に命じた。

「いったい何がどうなって……ちょっとそんな押さないで、行けます。歩けますから……あっ」

部屋の中央に押し出されたマイアがステンと転んで、”亡霊”が一歩前に身を乗り出したとき、デバランが抜いた銃が火を噴いた。

”亡霊”の後ろでショーガールが悲鳴を上げて気を失った。

デバランは薄く煙が昇る銃口を”亡霊”に向けたまま、部下に「撃て」と命じた。

立て続けに鉛玉が”亡霊”に撃ち込まれて、穴だらけになった黒いマントが衝撃でぶわりと広がった。


「凶悪犯は始末しておかないとな」

デバランは、ふてぶてしくそう言うと、”亡霊”の頭部にもう一発撃った。


床に伏せて身を縮めていたマイアの目の前に、割れた白い仮面がカランと硬い音を立てて落ちた。

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