妖精姫の騎士
大聖堂の祭司の協力で、ソルとシャリーの兄は、すぐに見つかった。
大聖堂附属修学院の俊才、ベヒヤス家の長兄ルイは、やつれた顔に安堵を滲ませた。
「両親の凶報を伝え聞いたときに、消息不明の妹達とは、もはや生きて会うことは叶うまいと、半分覚悟しておりました。……本当に…ありがとうございます」
カラーだけが白い黒い長衣を着た、くすんだ灰色の髪のやせぎすの青年は、ソルとシャリーを抱き寄せて、落ちくぼんだ目から涙をこぼした。
「(どっちが行き倒れてたかわかんねー兄貴だな)」
ロビンスは、世話焼きのハーゲンのお陰でつやつやの二人と、今にも倒れそうな兄を見比べた。
確かに、細い鼻梁やアイスブルーの目は3人ともよく似ている。
「(シャリーちゃんは銀髪って感じなのに、兄貴は若白髪に見えるのなんだろうなー)」
今日は兄に会うからと、可愛らしく髪を結ってもらったシャリーは、兄に抱きついて嬉しそうにしている。ソルも、泣き出した兄にちょっと驚いたような顔をしたが、くすぐったそうにはにかんでいた。
「立ち入った話ですまんが、兄妹3人でこれから生活するあてはあるのかね」
バスキンの質問に、ルイは姿勢を正して答えた。
「はい。両親の遺産がありますので。家はシールの海運商でした。二人とこうして聖都で再会できたので、シールの資産は売却してこちらで3人で暮らします。親族やよい友人のつてもありますのでなんとかなると思います」
そこまで言ってから、ルイは申し訳なさそうにソルの方を見た。
「それでいいかい?その……実はお前の婚約の件は解消したいという連絡を先方からいただいていて……」
「いいよ。婚約者殿も海運業もそれほど興味はなかったし。こっちで兄さんやシャリーと暮らす方がいい」
「すまない。お前は頭がいいから、修学院に入れるよう教授に推薦状を書いてもらおうか」
「いや、それよりも……」
ソルは旅の間よりもずっと大人びた顔でバスキンに向き直った。
「バスキン様は大聖堂の方に御面識があるのですよね。それなら是非お願いしたいことがあります」
「シャリーはお嬢様だったんだね」
「そうよ。だからもう抱っこは禁止ね。レディは家族以外の男の人にいっぱい触っちゃいけないのよ」
ハーゲンと手をつないで歩きながら、シャリーはすまして言った。
「手をつなぐのはいいのかい」
「エスコートなしで出歩くのもダメなのよ」
「なるほど。かしこまりました、お嬢様」
これからの身の振り方の詳細を決めるために騎士や兄達が大聖堂に出掛けている間、シャリーとハーゲンは身の回り品の買い物に来ていた。
「大きなものはこれから住むところがちゃんと決まってから揃えるそうだから、すぐに要るものだけでいいよ。きちんとした服もこの後ソルと一緒に仕立屋さんに行くから今は買わなくていいって。そうすると……何が必要かな?」
「服は今朝用意してくれた分でしばらくいいのに……。あ!そうだ。私、欲しいものがあるの。あのお店に入っていい?」
シャリーはハーゲンの手を引いて、通りに面した一軒の店を指した。
そこは薬屋と雑貨屋が混ざったような店だった。狭い間口の入り口から入ると、小さな明かり取りの窓から差し込む光だけで薄暗い店内には、狭いカウンターがあり、その奥に沢山の棚が並んでいた。
川畑はここの店の入り口の扉に、洋数字の8のようなマークの描かれた真鍮の小板が付いているのに気付いていた。"局"の提携店だ。
「いらっしゃい」
カウンターの奥に座っていた初老の店主が、立ち上がってそばにやって来た。
「あれをひと瓶ください」
シャリーはカウンターの端に並べてあった小さな瓶を指差した。
「はいよ。他にはいいかい」
「よい傷薬と熱冷ましがあったら補充しておきたい」
川畑は腰から薬籠を外すと、カウンターの上においた。
「それと店主、ここでは手紙は扱っているかな。王都のフロマという口入れ屋宛で連絡を入れたいところがあるんだが」
「残念ながら手紙は扱っていないね。はい、熱冷ましと傷薬。そんなに効きはよくないが、ここいらじゃよく使われているよ」
「ありがとう」
「それから、兄さん。こんなものは使わんかね?」
店主は革表紙の手帳をカウンターの上に置いた。
川畑は興味なさそうに手帳を取り上げて、軽くパラパラとめくった。
「これは使いにくそうだ。もっと書き込み易そうなのはないか」
店主は何種類かの手帳を並べた。
川畑はその中から黒い革表紙の手帳を取り上げて、表紙をめくった。
「おいおい、店主。これは使いさしだぞ」
開いた1ページ目に並んだ文字を見て、店主はぎょっとした顔で川畑を見返した。
「まぁいいや。使い易そうだしこれをもらおう。全部でいくらだ」
金を払おうとする川畑の手を、横で見ていたシャリーが止めた。
「ここの分もちゃんと全部私用のお金で払ってね」
「そういうわけにはいかないよ。ほとんど俺の買い物だし」
「ダメよ。お薬は私達を助けてくれた分でしょ。ちゃんと返したいわ」
川畑が困った顔をしていると、店主が提案した。
「じゃぁ、小さなお嬢さんのために手帳の代金はおまけしていこうじゃないか。使いさしだったしな」
川畑は渋々、ルイから預かった革袋を取り出してそこから代金を払った。
「ありがとう」
「またおいで」
店主に手を降って店を出たシャリーは、辻裏に入って精霊の像を奉った小さな祠の前まで来ると、立ち止まって、先ほど買った瓶を出してくれと言った。
小さな瓶を両手で大事そうに持ったシャリーは、ありがとうといってその瓶を差し出した。
「これは私からあなたのおチビさん達へのお礼よ。おーさま」
「……聞こえてた?」
「いつでもはっきりわかる訳じゃないけど、青い子と黄色い子がいるんでしょ」
「……他のひとには内緒にしてもらえるかな?」
「さっきの手帳のことも?1ページ目、最初は何も書いてなかったわ」
「まいったな」
川畑はシャリーから飴の入った瓶を受け取った。麦芽糖のキャンディは地味な色で砕いただけの形だが、妖精達のお気に入りだった。
川畑は瓶からキャンディを3つ取り出した。
「シャリー、紹介しよう。こっちの青いのがカップ、黄色いのがキャップだ。カップ、キャップ、こちらがシャリー。君たちにプレゼントをくれたよ」
『わーい!うれしー』
『うれしー!シャリーだいすき!』
カップとキャップから頬にキスされてシャリーはくすぐったそうに笑った。
カップとキャップにひとつずつキャンディを渡す川畑を見ながら、シャリーは首をかしげた。
「ねぇ、あなたは妖精の王様なの?」
「違うよ。妖精王はもっと…あー…派手なひとだよ。カップとキャップは本当は妖精王の御付きだけど、王が留守の間、俺の側につけてくれたんだ。はい。君にも1つ」
「食べさせて」
差し出されたキャンディを見て、シャリーは小さく口を開けた。
「レディはこういうのはいいのか」
かがんで、シャリーの口に琥珀色の飴をいれてあげながら、川畑は聞いた。
「あのとき食べさせてもらったキャンディ、本当に美味しかったの。助けてくれてありがとう」
シャリーはかがんだままの川畑を見上げて、微笑んだ。
「おーさまも舐める?」
目の前でキャンディをのせた舌を出したシャリーを見て、川畑はがばりと身を引いた。
「遠慮させていただきます」
「遠慮しなくていいのに……」
シャリーは頬を膨らませた。
「どうしておーさまなのに騎士様のお供をしているの?」
「今は内緒でお手伝いしてるんだよ。だからシャリーも秘密を守ってくれると嬉しい」
「……お兄ちゃん達にも話しちゃダメ?」
「誰にも絶対秘密。この世界中で知っているのは君だけ。守れる?」
シャリーは川畑を見上げてしばらく思案したあと、小さく手招きして、川畑にかがむよう言った。
川畑が少し警戒しながら屈むと、シャリーは彼の耳元に手を当ててささやいた。
「あのね。私がまたピンチになったとき、助けに来てくれる?助けてっていったら、妖精の国から助けに来てくれるって約束してくれるなら、秘密を守るわ」
川畑は黙ったまま、すっと立ち上がった。
シャリーは不安げに彼を見上げた。
目の前の青年の全身から微かな光が立ち上って、背後の精霊の像から小さな瞬きが飛び出したのを感じた。
『おい、お前!地元の妖精か』
『ひゃっ!?ひゃいっ!』
『カップ、キャップ、こいつに案内させて、ここいらの妖精呼んでこい』
『はーい、おーさま』
『わっかりましたー!』
『お?おうさま?ああっ!あなたさまがたは、妖精王さまの!ひええ』
精霊の像の下で、川畑は片膝を付いてシャリーと目線を合わせた。
「この街の妖精が皆、君を守るように命じておく。それでも君がピンチになったなら、きっと妖精達が俺を呼んでくれるから、そうしたら君を助けに来よう。それでいいかな」
シャリーは小さくうなずいた。
川畑は立ち上がった。
「それから……」
彼は腰の薬籠に下げていたコインを外した。ピンと弾いて、指先で一度回し、8の模様が描かれた面をシャリーに見せる。
「これもあげよう。もし妖精ではどうにもできないことで困ったことがあったら、これを持ってさっきのお店にいってごらん。力になってくれるかもしれない」
「いいの?」
「些細なことで使いすぎちゃダメだぞ」
川畑が微かに口角をあげたとき、キラキラとした光が辺りに満ちた。
『ただいまー、いっぱいいたよー』
『みんなつれてきたよー』
「(翻訳さん、このエリアに対して人払い及び認識阻害効果発動頼む。それから妖精受けのいい外見及び声への美化を若干なら許す)」
川畑は背筋を伸ばして、周囲に集まった妖精達をゆっくりと見回してから、朗々と声を張った。
『聖都の妖精諸君、紹介しよう。シャリーだ。彼女は妖精の姿を見て声を聞く、妖精の友だ』
「シャリー、妖精達に挨拶を」
川畑はシャリーの手をとって、一歩前に進ませた。
「こんにちは、妖精の皆さま。シャリーです。お目にかかれて嬉しく思います」
シャリーは緊張しながら、チラチラと瞬く光の群れに向かって、少しだけ教わったレディの礼をした。
『だれ?ニンゲンのオンナノコだよ』
『シャリーだって?』
『トモダチ?ホント?』
ざわめく妖精の声にシャリーは不安になった。
「大丈夫、シャリー。手を出して」
川畑はそう耳元でささやくと、シャリーが出した両の手のひらの上に、きれいな色をした小さな星形の粒を沢山のせた。
『諸君、見よ!』
川畑は左手を高くかざした。
彼の頭上に黒い穴が開いた。彼はそのまま穴の中に左手を突き入れ、ひと振りの美しい剣を取り出した。
すっかり静まり返った妖精達が固唾を飲んで見守るなか、川畑は右手を上げて、鞘からゆっくりと剣を抜いた。
『わぁ!妖精王のナイトのつるぎだ』
『妖精王のナイトさまだ』
一斉に騒ぎ出す妖精達を川畑は一喝した。
『聞け!俺は妖精王からこの剣を賜った名誉にかけてシャリーを守ると約束した。お前達も彼女を守るのに協力してほしい』
川畑はシャリーを守護するように背後に立ち、彼女の頭上で両手で剣を垂直に捧げ持った。
『シャリーを守るとこの剣に誓ってくれるものは、彼女から"星"を受け取れ』
『ホシ?』
『ナニ?どうする?』
『でも妖精王のナイトさまのおいいつけだよ』
戸惑う妖精達のささやきの間にカップとキャップの絶叫が響いた。
『あああーっっ!!"星"~っっ!』
『コンペイトウあんなにいっぱいぃっ!もったいない~っ!!』
『シャリーならボクたちがまもるからそれあげちゃダメ~っ』
『かわいいシャリーといっしょにいるごほうびがそれだなんてズルいー!それ、スッゴクおいしいのに~』
抗議の声をあげながら、二人揃って川畑の回りをブンブン飛び回る。妖精王の側近二人の姿を見て、聖都の妖精達はごくりと喉を鳴らした。
川畑はそんな妖精達の様子を薄目で見ながら、重々しく言った。
『仕方がない。シャリーを守ると誓ってくれるものが、我が臣より他にいないならば、この"星"は……』
『シャリーをまもると誓います!』
シャリーの目の前にいた妖精の1人が叫んだ。
シャリーはその声が聞こえたとたん、その妖精の姿がはっきり見えるようになって驚いた。
「厄払いの樹の妖精さんね。うれしいわ。星をどうぞ」
妖精はシャリーが差し出した手の上から金平糖を一粒取ってぺろりとなめた。
『ああまぁあ~い!ありがとう、プリンセス。きょうからボクがきみのナイトだよ。妖精王のナイトのつるぎに誓ったからね』
周囲の妖精達に衝撃が走った。
瞬く間に、聖都一円の妖精による騎士団が結成され、シャリーは妖精達の姫となった。
買い物からの帰り道、川畑と手をつないで歩きながら、シャリーはポツリと言った。
「ねぇ。もう1つ大事な約束をして」
「なんだい」
「あなたの大切な精霊のお姫様が危ないときは、私よりも先に精霊のお姫様を助けてあげて」
川畑は足を止めて、シャリーの顔を見た。
「私、あなたがしてくれた約束はとてもうれしかった。でも、秘密を守るためにした私の約束のせいで、妖精王の騎士が本当に守りたい人を守れなくなるのはイヤなの」
「シャリー……」
シャリーは澄んだ泉のような目で、川畑を見上げた。
「私は大丈夫。ちっちゃなナイト達がいっぱいいてくれるから、あなたが一番大切な人を助けたあとで来てくれるまで、どんなピンチだって頑張って待てるわ」
川畑は何と答えていいのかわからなかった。
「明日、私とさよならしたら、精霊のお姫様に会いに行ってあげて」
「……わかったよ」
シャリーはつないだ手をぎゅっと握った。
「だから、今日、帰るまでは、私をちゃんとエスコートしてね」
「仰せのままに、プリンセス・シャリー」
女の子って、男よりもずっと早く大人になる生き物なんだなぁ……と、川畑は小さな歩幅にあわせて歩きながら思った。
これを無神経に丸洗いしたことがあります。
薬屋の店主に見せた手帳の文:
"受取書はD経由で局に提出予定"
もともと発注備品の支給扱いなので無料です。
店主の言葉はシャリー向けの言い訳




