罠
「どうかしたんですか?」
店のバックヤードで、マイアは黒いマントの後ろ姿に声をかけた。
振り返った”亡霊”は、店をクビになったから出ていくと答えた。
「え?ウソ!なんかの間違いなんじゃないですか?」
はっきり言われたから間違いないと淡々と言うと、彼はマイアに自分の元の服を取ってきてくれと頼んだ。
「いつもの場所に置いてある。俺はこれから後金をもらって……」
言い終わる前に”亡霊”は、どやどやと裏口から出てきた男達に囲まれた。
「てめぇにこれ以上出す金はねぇってよ」
銃口を背に押し当てられた”亡霊”は、自分とマイアの周りで、ナイフや銃を構えた男達の顔を一瞥した。
今日は表に出るなと命じられて、奥の部屋でくすぶっていたはずの賭博場の用心棒達だ。
「なんのマネだ」
「お前が、出ていくのをゴネないように良く言い聞かせろとのご命令でな」
話しをする気などまったくない顔つきで田舎のチンピラは、”亡霊”の顔を睨め上げた。
「大人しくしてりゃ、そう長くはかからねぇよ」
脇に立つ一人が、長杖を取り上げようとしてきた。”亡霊”が逆らいかけた途端、マイアの悲鳴が上がった。
「女を離せ」
「このチビは女なんて上等のもんじゃないだろう」
「お前のお気に入りだったっけか?」
「そういうのじゃない。ただそいつには着替えを取ってこいと言いつけた。早く俺を放り出したいなら、行かせろ」
マイアを捕まえて、顔にナイフを突きつけていた男は、”亡霊”の背後の男に視線を送った。どうやらそいつがこの中ではリーダー格らしい。
「いいぜ。ただし……」
長杖は取り上げられ、後ろ手に縛られた挙げ句、腕や足にまでロープがかけられた。
「俺を出て行かせるんじゃなかったのか?」
「”無事に”とは言われてないんでね」
手加減のないパンチが、鳩尾に叩き込まれ、”亡霊”は身を折るように屈んだ。それを突き上げるように膝蹴りが入った。
「安心しろ。夜明けまでに死ぬような怪我はさせるなとは言われている」
リーダーらしき男は、他の男達に”亡霊”を袋叩きにさせた。
男はマイアを脅している奴に向かって顎をしゃくった。
「そいつはもういい」
「俺もそっちに参加していいか。その野郎には腹が立ってたんだ」
「好きにしろ」
「ほら、さっさと行け!」
「ひぅっ」
怯えきったマイアは、ひどい暴行を一方的に加えられている彼を気にしながらも悲鳴を上げることすらできず、膝を震わせながら、その場から追い出された。
「ユークの旦那よぉ。ちょっとばかり、クビだと叫ぶタイミングが早かったんじゃねぇか?」
あれでは、ろくに状況を見る暇もなかったろう、と冷やかすうらぶれた中年男に、アイ=ユークは冷ややかな視線を返した。領主の私兵の若造共の間から連れ出して来てやった途端に、訳知り顔で馴れ馴れしくしてくるのが鬱陶しい。
「そこだ。開けろ」
雑談にのってこないアイ=ユークに、男は肩をひょいとすくめて、半地下の倉庫の扉を開けた。
手に持った灯燭で暗い地下室内を照らした中年男は、床に転がされている縛られた男を見て、片眉を上げた。
「なんだ。マントごと縛ってやがる。一度解いて身ぐるみ剥ぐのか?」
「そんな面倒なことはしなくていい。同じものがもう一式用意してある」
「なるほど。……そいつを着せるやつは用意してんだろうな。俺は体格が違いすぎるからやらねぇぞ」
「そのあたりはオマエが心配する必要はない」
「そうかい。まぁ、細かいことを考えるのはあんたみたいな頭のいい人の仕事だよな」
中年男は、縛られた男の傍らに膝をついて灯燭をかざした。
「ずいぶん手荒くやったもんだな。殺しちまったのか?」
「まだだ」
横たわった男をよく見ようと階段を降りていった中年男の背後で、アイ=ユークは戸口にもたれたまま冷酷な口調で答えた。
「お前は知らないだろうが、最近の医者は人がどれぐらい前に死んだか、死体から見当を付けたりするからな」
「へー」
いかにも関心のなさそうな生返事を聞き流してアイ=ユークは続けた。
「そいつには今夜は生きていてもらう必要がある」
「まぁ、あんたの策通りに進めるには、そうだろうな。いくら”亡霊”だって、本当に死んでちゃ出歩けない」
「そういうことだ。わかっているなら、そいつを生かさぬよう殺さぬように朝まで見張っておけ」
アイ=ユークはスルリと半地下の倉庫から出ると、扉を閉めた。
「お、おい!俺まで閉じ込めることはないだろう」
中年男は慌てて戸口まで駆け寄ると、内側から扉を開けようとしたが、アイ=ユークは外から鍵を掛けていた。
「出せよ!」
中年男はドンドンと扉を叩いたが、アイ=ユークは鼻で笑っただけだった。
「せいぜい頑張ってそいつをほどほどに傷めつけながら見張れよ。その怪物がここから逃げられるほど回復したら、最初に殺されるのはオマエだからな」
男が喚きながら戸を叩くのを背中に聞きながら、”洒落者”アイ=ユークは次の手を打つために店に向かった。
「オマエのように半端に小賢しくて信用ならない男を大事な計画中に野放しにできるわけがないだろう。アルタバン」
アイ=ユークは、”牛の目”のデバランを裏切って話を持ちかけて来て罠にはまった薄汚い男を嘲笑った。
内情を知るあの男も、明日には始末してしまってかまわない。
この機会に邪魔者は一掃するのだ。




