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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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偽装

地主のタウリには跡取りである長男アインと次男のエルナトのほかに、エレクトラという娘がいた。

この娘はカンデを含む一帯を治める領主の屋敷に奉公に上がっていたが、父親が倒れたという知らせを受けて、カンデに帰ってきた。


7年ぶりに帰ってきた地主の娘は、領主の屋敷での教育の賜物で、すっかり上品で垢抜けたいい女になっていた。

もとから顔立ちは母親似で可愛らしい子供だったので、領主の屋敷に奉公に出ることもかなったわけなのだが、7年経って大人の女性になった彼女は、カンデのような田舎町ではまずお目にかかれない美人になっていた。


「これはこれは。あの小さかったエレクトラがこんな美人になっているとは」

地主の家の晩餐に、地主の旧友として長男のアインの招待でやってきたデバランは、エレクトラをひと目見て、内心で舌なめずりした。

何もぼんくらで気弱な長男のアインを地主に据えて神輿に担がなくても、この美女を娶って、自分が地主の婿に入ってしまえば、何もかも手に入るではないか。当然、長男も次男も反対するだろうが、かまわない。同居の親族が父親と同じ病に倒れることなんて、よくあることだからだ。

「タウリの奴も、ちょっとばかり風邪を拗らせているだけだ。かわいいエレクトラが看病してくれりゃぁ、すぐに良くなって、またすぐに”俺に指図するんじゃねぇ!”って大声張り上げるようになるさ」

心配で顔を見に来ただけだというエレクトラを、デバランは「そう親不孝なことを言わずに、せっかくだからアイツがもう少し良くなるまでいてやってくれ」と引き止めた。

もちろん、タウリに処方されている薬には、デバランが手配した”薬じゃないもの”も入っているので、快方に向かうわけはない。

デバランの思惑には気づかないまでも、母違いの美人のエレクトラを引き止めたい気持ちは長男、次男とも同じだった。エレクトラは断りきれずに滞在予定を延ばされた。




「なに?領主の四男が視察に来るだぁ?」

エレクトラが休みを伸ばしてカンデに滞在すると連絡した返信がその知らせだった。

「地方巡回には時期外れだが、地主の交代がありそうだってんで、様子を見に来やがるのか」

「来ると言っても四男だから、正式な巡回じゃないさ」

あまり深く物事を考えないアインに、デバランは釘を差した。

「そりゃあそうだが、ここで覚えがめでたければ、次の地主への代替わりはすんなり決まるぜ」

逆に町がキチンと治められていないと判断されれば、色々と面倒になる。

「こりゃあ、一時休戦か……一方的に余所もんが風紀を乱そうとして困ってるってセンでもっていかねぇとな」

接待の準備と町の方はなんとか俺が手をうってやるから、お前は視察の御一行様に握らせる金の工面と農場の手入れでもしておけとアインに言いつけて、デバランは自分が地主に成り変わる策を練り始めた。



リゴにいる商人メンカリナンの代わりに、次男のエルナトから領主子息視察の相談を受けたアイ=ユークは眉をひそめた。

「今の状態で視察を受けるのはまずいですね」

連日の騒乱で、改装して”洒落た店”だったはずの賭博場も酒場宿も、あちこち傷だらけでシミだらけ。少々、場末感が漂っているところに、怪我とストレスがたまって人相がさらに悪くなった用心棒が何人も剣呑な目つきで睨みを効かせていて、どうにもいただけない状態だった。

「兄貴もデバランも視察の最中に騒動をふっかけるほどバカじゃない。ここは一時的に手打ちにして、視察の間はあのチンピラどもを店の表に出すな」

もちろん、あの辛気臭い”亡霊”もなんとかしろ!とエルナトは忌々しそうに吐き捨てた。


ボロをまとって妙な仮面をつけた不吉な風貌の男は、雇い主であるはずの自分に一欠片の敬意も払わずに、いつもうっそりと無言で圧をかけながら見下して来るのだ。

あいつが視界に入るだけで店の居心地が悪くなる。どれだけ腕が立つのかは知らないが、あの不吉な男を雇ってからトラブルが増えている気がする。メンカリナンやアイ=ユークが、強い用心棒は手放さないほうがいいというから雇ってはいるが、エルナトからは”亡霊”は疫病神か何かに思えた。

「裏に押し込めておくか、そうでなければ少しはまともな格好をさせろ」

「では、店の修繕費や消耗品の補充経費と合わせて、奴の”衣装代”もお願いします」

「これまで通りメンカリナンに言って建て替えさせろ。俺が地主になったらまとめて払ってやる」

「……はい」




「あれ?珍しいですね。こんな時間に下にいるなんて。どうしたんですか?」

マイアは”亡霊”と呼ばれている男が、店のバックヤードをうろうろしているのを見かけて声をかけた。なぜかいつも持っている長杖ではなく、布包みを抱えている。

「……従業員用の風呂か、どこか体を洗える水場はないか」

事情を聞けば、何やら偉い人が来るから身綺麗にしろと命じられたらしい。

「あー、それ!私達もそれで大掃除中なの。どれだけ偉い人かしらないけど迷惑ですよね。先日、帰ってきた店長の妹さんの奉公先の方らしいんですけど。見ました?店長の妹さん。美人らしいんですけど、私まだ見てないんです。なんか金髪であんまり店長や店長のお兄さんには似てないそうですよ。似てたら、美人になりそうもないからそりゃそうでしよね。おっと、私がこんなこと言っていたってのは内緒ですよ。あ、塩プリッツェル食べます?」

女の子のおしゃべりのペースでまくしたてたマイアは、前掛けのポケットからプリッツェルを取り出して、差しだした。

「いや、いい。……お前、いつも食い物持ってるな」

「厨房に手伝いに行くと、貰えるんです。美人は得だねって?やっだぁ、そこで黙らないでよ」

マイアは、”亡霊”の広い背中をぱしぱし叩いた。

「わかってますよーだ。お前みたいなちんちくりんが美人だなんて笑わせんなっていうんでしょ。男の人ってみーんなそうなんだから。見てなさい。私はまだまだ成長中なんですからね。すーぐにショーガールの姉さん達みたいにバイーンでキュッとした胸と腰の見分けがつく体型になってやるんだから」

「……そうか」

「だからこれは未来への投資なの」

食事がまともに食べさせてもらえない状況に甘んじていると、いつまで経っても痩せっぽちのチビだから自助努力はしないとね!と拳を突き上げたマイアは、プリッツェルを噛じって口をもぐもぐさせながら、”亡霊”の腕を引いた。

「水場はこっちよ。タライはその物入れ小屋。井戸の桶は体を洗うのに使わないで」

店の裏手の半地下にある水場で、着替えの包みとタライを持った長身の男は、困惑気味にあたりを見回した。

「扉とか衝立はないのか」

「恥ずかしいんですか?いいですよ。誰も来ないように見張っていてあげますから」

水場に降りる階段に腰をおろして、ニコニコしながらプリッツェルの残りを噛じり始めたマイアの方を見て、男は押し黙った。

それから、色々諦めたようなため息を1つついて、水を汲み始めた。


「水を浴びるときもマスクは外さないんですか?」

「人が来ないか見張ってくれているなら、こっちじゃなく向こうを見てくれ」

「だって気になるじゃないですか」

「見られたくないから隠してるんだ」

「あ……ごめんなさい」

こちらに背を向けて、日頃、口元まで覆っているボロ布のマフラーを外している男の声が、いつもより尖って聞こえて、マイアはすぐに視線を外した。


気まずくてしばらくはモジモジしながら階段の上を見ていたマイアだったが、ただ黙って水音を聞いているのに耐えられなくなって、口を開いた。

「顔に大きな傷があるって姉さん達が噂してるの聞いたんですけど、本当ですか?他にもお尋ね者だから顔を隠しているとか、笑えるほど醜男だからとか、みんな好き勝手言ってるんで、何が本当かわかんなくて」

「じゃあ、醜男だからってことにしておいてくれ」

「嘘?!それは違いますよね?それはちょっと夢がなさすぎるというかなんというか……え?だって時々ちらっと見える口元とか、声とか、すごくかっこいいじゃないですか」

「目と鼻が致命的に醜男なんだ」

「えーっ、ちょっとやめてくださいよ」

思わず振り返ると、男は手布で髪を拭きながら、こちらに向けた背を小さく震わせて、喉の奥で笑っていた。

「こら、こっちみんな」

振り返りもせずにそう言うと、男は手布を首にかけ、両手でその黒髪をかき上げて撫で付けた。

「何にせよ女の子が興味を持つような顔はしていないから、見てもがっかりするだけだ。見ようとしないでくれ」

用意された服を手早く身につけた男は、新しい仮面をつけてからマイアの方に振り返った。

新しい仮面は全体が白くて、陶器の人形の顔のように無機質だった。仮面は額から頬までを大きく覆っていて、口元も下唇だけがわずかに覗く程度だった。目元に黒と赤の僅かな装飾があるだけの仮面は、元の安物の鳥の面よりもよほど”亡霊”らしかった。

パリッとした白いシャツに、ブラック・タイと飾帯(カマーバンド)という出で立ちの男は、足元まである真っ黒なマントを羽織った。

「こんなモノ用意して、あの支配人、俺を舞台にでも上げる気か?」

スッと背筋の伸びたその立ち姿は完全に別人に見えた。

「うひゃあぁぁ」

目と口を丸くしたマイアの手から、プリッツェルの最後の一欠片がポトリと膝に落ちた。

フォーマルを着たときの立ち居振る舞いは骨の髄まで叩き込まれたので、この手の服を着ただけで立ち方が変わる主人公。

鬼の侍従長のスパルタ教育(5章)はえげつなかった。

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