悪辣
「まったく、フザけた野郎だ」
「まぁまぁ、旦那。お腹立ちはご尤もだが、見たところやりようはあるぜ」
むかっ腹を立てて酒をあおる”牛の目”のデバランに、賭場の隅から声をかけたのは小汚い中年男だった。数日前から賭場のサイコロ賭博で遊んでいた流れ者だ。
「要するに、うるさい用心棒の鼻先から、あっちの客を引っ張ってこりゃいいんだろう?」
”亡霊”を出し抜く方法があると持ちかけて来た男は、やり口を教えるから、ディーラーに雇ってくれと要求した。
「いいだろう。やってみせろ」
発案者当人が実演しろと命じられて、男は少し怯んだようだった。
「わりいが、やるのは他の景気のいい兄さんに頼んじゃもらえねぇかな」
「怖えのか?」
「酒場に行く金がねぇ」
「しょっぺぇ野郎だな」
”牛の目”は肥えた腹を揺すって笑うと、男に飲み代を投げた。
男は「見てな」と言って賭博を出た。
ぶらぶらと通りを横切って、次男坊の経営する酒場に向かうと、男はニヤつきながら、敵派閥の”亡霊”以外の用心棒達が警戒して睨む間を通って、酒場に入っていった。
ほどなく酒場の中から罵声と物がぶつかったり倒れたりする音が響いた。
「おお、怖えぇ、怖えぇ」
先程の男は、ふらつく若者に肩を貸しながら、若者の仲間らしき奴らと一緒に酒場を出てきた。
「悪かったな。兄ちゃんらよう。お詫びといっちゃぁ何だが、あっちの店でちっとばかり遊んでいかねぇか?俺の馴染みのとこだが、うるせぇことは言われねぇゴキゲンな店だぜ」
男は娼館の店先に若い奴らを連れてくると、やり手婆を呼んだ。
「よお、いい娘はあいてるかい?こちらの兄さん方はよ、ちっとばかりムシャクシャすることがあったばっかりなんだ。優しく癒やしてくれるかわい子ちゃんをいい感じに見繕ってやってくれよ」
男は娼館の婆さんに金を握らせると、肩を貸していた若いのを下男に任せてその仲間たちもまとめて店の奥に案内させた。
「とまぁ、こんな感じでな」
戻ってきた男は、ひょいと肩をすくめてみせた。
「”亡霊”は男客同士のイザコザには口は出さねぇし、それで揉めて場が荒れたら店からまとめて追い出すだろ」
だから、わざとしょうもないことで絡んで、適当にケンカを始めるそぶりだけして、さっさと店から出てこれば、こっちに被害は出ないと男は説明した。
引っ掛けた客とは、向こうの店を出てきたところで和解してやれば、飲み直しでも遊び直しでもいいから仲直りのためだと言って、こっちの店に引っ張って来ることができる。
「慈善事業じゃあねえんだ。いちいち奢ってらんねぇぞ」
「最初の一杯のサービスをケチんなよ。女と博打はハマっちまえば有り金みんなするって相場が決まってんだからよ」
いかにも酒と女と博打で身を持ち崩した感じの中年男は、沼地に人を引きずり込む妖魔のような目をして、薄笑いを浮かべた。
「面白れぇ野郎だ。いいだろう。試しにうちで台を1つはらせてやる。オメェ、なんて名前だ」
男はアルタバンと名乗った。
アルタバンはなかなかいいディーラーだった。別に思った通りの目が出せる凄腕いかさま師というわけではなく、普通に客をノセるのがうまかった。
ほどほどに勝ったり負けたりを繰り返すうちに、”あとちょっと”、”もう一回”大きく賭ければ、バカ勝ちが来そうという気分になった彼の客は、手を付ける気がなかった金まで突っ込んですった挙げ句、”惜しかったから次回は勝てる”と思い込んで帰った。
この妙に人を丸め込むのに長けた男は、たいしたことのないでっち上げを、いかにも素晴らしい策のように吹き込むのがとにかくうまかった。
冷静に考えたら、そうそう上手くいくはずがない”客引き作戦”は、案の定、”牛の目”の手下共がやると、揉め事が拡大するだけの結果になった。
それでもアルタバンは、あの”亡霊”をスルーするならこんな手もある、と次々とろくでもない案を三下に吹き込んで、それぞれ1度や2度は上手くいかせた。アルタバンの入れ知恵で、三下達は敵の目の前からまんまと獲物をかっさらって一泡吹かせるという成功体験に味をしめた。
少し金を握らせたり、酒を奢ったりするとアルタバンは、他のやつには内緒だぜと言いながら、面白いネタを教えてくれた。それに従ってうまいことやると親分からの覚えもめでたくなって気分がいいので、三下達はこぞって彼に投資した。
アルタバンはすっかり”牛の目”のところのブレインにおさまった。
”牛の目”の手下からの、日増しに悪質になる嫌がらせと、露骨な客の横取りに、次男の店の用心棒達はキリキリ舞いされ、大いに腹を立てた。
”亡霊”は、店舗の致命的な物損とカタギの従業員への手出し以外は、気にしなかった。皿や酒瓶が割れようが、客同士が殴り合おうが、チンピラ同士が殺し合いの喧嘩をしようが我関せず。
店を任されている”洒落者”アイ=ユークが、なんとかしろと怒鳴ると、契約外だからと言って毎回追加料金を要求した。アイ=ユークが契約内容そのものを変更しようとすると、毎回の追加料金どころではない大金をふっかけて来るので、自身も雇われでそこまでは出せないアイ=ユークは、歯噛みした。さらに腹の立つことに、”亡霊”はアイ=ユークの足元を見て、あまり気に食わない扱いをするなら、”牛の目”勢に鞍替えすると匂わせてきた。それをされてはおしまいなので、アイ=ユークは追加案件にはその都度金を出すことを条件に、基本の契約内容はそのままで”亡霊”の契約料を上積みせざるを得なかった。
それを知ってか知らずか、”亡霊”の業務外案件を狙ってくる”牛の目”の手下のあの手この手は、悪辣を極め、酒場宿とその用心棒の損耗は、アイ=ユークの我慢ならないレベルに達した。




