風聞
翌日、毛織物商は二人を広場に連れて行った。明日から数日の間、市が立つそうで、早めに来た者たちが出店の準備を始めている。余興もあるのだろう。小さな舞台が作られて、芸人が下稽古をしていた。
引き合わされた相手は、例の機械技師の工房がある街から来ている商隊のリーダーだそうで、帰るときに二人を一緒に連れて行ってくれることになった。
「最近はこのあたりの街道も何かと物騒な話題が多い。個人での旅は危険だから一緒に行ったほうがいい」
「ありがとうございます」
礼を言う川畑の隣で、毛織物商が商隊長に、物騒な話とは何かと尋ねた。
「カンデの騒動の話は聞いているかい」
導入部分だけで、二人組はなんの話か察した。二人が先日までさんざん引っ掻き回してやらかしてきたアレ関連だ。
「ことの起こりは、些細な風邪だ」
気のいい大柄な商隊長は、声を潜めて、近隣を騒がせたゴシップを語り始めた。
カンデは旧街道の小さな町だ。
湖沼地帯の南側から、東の山地の石炭鉱山と森林鉄道の中継駅に行く人の宿場として整備された路村で、そこそこ賑わっていた。
しかし森林鉄道が廃線になった後は、定期の駅馬車もなくなり、替え馬宿を利用する客も減って、すっかり魅力のない場所になっていた。
領主から元駅馬車宿を下げ渡されたタウリという男は、その寂れた宿場に人を呼ぶため、当時の町の顔役に鼻薬を使って、いささか道徳的によろしくない方向の娯楽に力を入れた。
酒と女と博打である。
退廃の都と言うにはショボすぎる、しょせんは田舎町の酒場宿レベルではあったが、公認と言って良いお咎めなしの常設の賭博場と、田舎には珍しい娼館のセットは、近隣の男どもの貯えを着実に吸い上げた。
馬喰上がりで酒場宿の主となったタウリは、地元のヤクザ者を取り込み、借金のカタに手に入れた土地の地主になって、ついには町の顔役になった。……ここまではガラは悪いが景気のいい成り上がり譚である。
雲行きが怪しくなるのは、この男が風邪をひいたのがきっかけだった。
それまで咳一つしたことのない男が、熱を出して寝込んだ。
ワンマンで睨みを効かせていたトップが倒れると、大樹の下のひこばえのように、周囲の小物の欲が芽を出した。
酒場宿の立ち上げ時代から組んでいたヤクザ者の頭である”牛の目”のデバランという男が、我が物顔に振る舞い、町の顔役兼農場主としての表の商売まで仕切ろうとし始めた。
寝込んだ地主の跡取りである長男アインは、いささか気の弱い男で、デバランの言いなりという有様だった。これに対して地主の次男のエルナトは反発した。それだけなら問題は大きくならなかったが、ここで、余所者の商人メンカリナンがこの次男に肩入れしだした。
「風邪を拗らせた程度なら普通はそう長く寝込むもんじゃねぇ。ところがどうしたもんかこの地主の旦那、そのまんま長患いときたもんだ」
二人の息子がそれぞれ手配した医者が、両方一服盛ってたんだから、良くなるわけがない。川畑は商隊長の話を聞きながら、色々酷かった裏事情を思い出して、遠い目をした。
リゴの商人メンカリナンは、地主のタウリが近年、招致した得意先だった。
少ない稼ぎを地主が経営する賭場と娼館に吸われて、独立できない小作人が増えるカンデのたちの悪いサイクルに、自分の紡績工場の労働者も組み込もうとしたメンカリナンは、労働者の”慰安”のために馬車を仕立てて、定期的に団体客をカンデに連れて来る代わりに、タウリから仲介料を受け取っていた。
しかし、わずかばかりの仲介料よりも、あわよくばアガリを丸ごと手に入れたいと思うのは、この手の悪党としては当然の話。タウリが倒れたのを好機と見たメンカリナンは、あまり出来の良くない次男坊を焚き付けて、カンデの乗っ取りを企てた。
彼は酒場宿の隣の礼拝堂を改装して、踊り子がショーをする都会風の賭博場にしてしまった。
当然、博打と女という自分の領分を荒らされたデバランは、反発した。
新しい店への嫌がらせに対抗するために、メンカリナンは用心棒を雇い始めた。
「睨みを効かせていた地主の旦那が患っているうちに、カンデの町は、昔カタギの博徒の頭の”牛の目”のデバランの子分と、目新しい賭博場目当てに流れ込んできた余所者のゴロツキが小競り合いをする物騒なところになっちまった」
「おいおい、情報が古いな。その程度のことはこのあたりのもんならみんな大なり小なり耳にしてんぜ」
「まぁ、聞けって。話はここからだ」
いつの間にか集まってきた商人達からのヤジを軽くいなして、商隊長は語り始めた。
目新しい店は若い者の興味を引いたが、土地の常連は”牛の目”の顔色をうかがって、昔ながらの賭場を使った。
”慰安”に来る紡績工場の工員は、飲む打つまではメンカリナンの雇った用心棒に囲い込まれていたが、女を買うとなればどうしてもデバランの経営する娼館のお世話になるしかなかった。
新しい店のショーガールは酒場宿に連れ込むこともできたが、いかんせん需要を満たすには人数が少なかったし、ショーガールは気位も料金も高かった。
デバランの娼館の女は、博打の借金で食い詰めた農夫の娘や、流れの女衒から買い上げた孤児なので、質はお察しだが、料金は安かったのだ。
メンカリナンは”ウエイトレス”を追加で雇い始めたが、たいして挽回はできなかった。
女が次男派の弱点だとみたデバランは、ショーガールやウエイトレスを重点的に狙って、嫌がらせ、引き抜き、果ては拐かしまがいのことまで始めたからだ。
数で劣るメンカリナンの用心棒では店と女達を四六時中守ることは難しかった。
「そいつが現れたのは、ちょうど新しく雇われたウエイトレスの娘っ子が、馬車でカンデに連れて来られた日だった」
商隊長は、いささか芝居がかった声音でそういうと、集まった聞き手の気を引くためにたっぷり間をおいた。
「”そいつ”って……?」
恐る恐る聞いたどこかの使い走りの小僧の顔を見て、商隊長はにやぁりと嫌な笑みを浮かべた。
「黒い亡霊。カンデを壊滅させた疫病神さ」




