臆病者
結局、二人はあっさり同行を認められた。聖都は次の目的地だったし、そこに身寄りがいるなら、他の場所であれこれ頼んだり、置き去りにして苦い思いをするより、簡単だったからだ。
子供達は、自分達を助けてくれた青年になついた。それはもう、端から見ていてちょっとどうかと思うぐらいべったり依存していた。
バスキンは、馬の上でハーゲンにもたれ掛かってうつらうつらしている子供達をちらりと見た。
年下の子は、前に乗って両腕で支えられながら船をこいでいるし、年上の子は、後ろに乗って背中に抱きついたまま寝落ちしかけている。落馬しないように胴に紐を渡しているようだが、そんなもの必要無さそうなぐらい、しっかりとしがみついている。
子供二人きりで心細い思いをした反動か、特に年上の子は若干幼児帰りしたように、ハーゲンに甘えていた。
「(また、あいつが面倒見がいいからなぁ)」
モテ男でキザな言動も平気なロビンスが、見ていて胸焼けがする、というぐらい、ハーゲンは子供達を甘やかしていた。
「あれ、あのまま嫁にでもするのかな?」
馬を寄せてきたロビンスがこっそりそう話しかけてきた。
「それはないだろう。本人は年の離れた兄弟のつもりなんじゃないか」
「わっかんねーな。汗臭い思いをさせたら嫌だからって鍛練の後に汗流しにいくって、気のある女に対する気遣いだろ。挙げ句、その水浴びに同行させるってどんなんだよ。冷やかしたら、信じられないケダモノを見る目付きで見やがるし……」
「あいつ、危ないからお前には近づかないようにって、シャリーにいってたぞ」
「ひどっ!そりゃ、隊長はいいですよね。毎朝、鍛練の後に、可愛い女の子に濡れた手拭い渡してもらって」
「可愛い女の子って年には、まだなってないだろう。お前ほんとに見境がないんじゃないか?」
「隊長いつもニタニタしてるじゃないですか」
「しとらん」
バスキンは怖い顔をさらにしかめた。
「あんなにべったりで、あいつら聖都についたら、はい、サヨウナラってできんのかね」
「大丈夫だろう。聖都には本当の兄がいると言うし。ちゃんと頼れる家族が近くにできれば、今の仮の関係も終わるだろう」
「なるほどなぁ」
村境の道標が見えてきたところで、ロビンスはおしゃべりを止めて道標を確認しにいった。
子供達と別れた後で、ハーゲンの方が寂しがったら、鍛練の量を増やしてやろう。
バスキンは黙ってそう心に決めた。
剣の練習を見るのは楽しかった。
ソルはうっとりとハーゲンの形稽古を見つめた。今日はいつもと違って彼一人なので、遠慮なく彼だけを見つめていられる。
ひとつひとつの動作がきれいだ。まるで祭りの日に聖堂で奉納される舞いみたいだった。時々、彼の動きに合わせて、周りにキラキラとした光が見える気がした。
今も一連の形を終えた彼のそばで、あの青と黄色の輝きが瞬いた。あの輝きが見えるときは、普段無表情な彼の口許に微かに笑みが浮かんでいることが多い。ソルやシャリー達に話しかけるときも優しいけれど、それとはまた違う笑みだ。
ソルは彼のそういう細かい表情や所作を見つけるのが楽しかった。
「今日はもうおしまい?」
「ああ。いつもより早く出発するから。もう朝食にしないと」
ハーゲンは絞った手拭いを受けとるとざっと汗を拭った。
「背中、拭いたげる」
広い背中に浮かんだ汗を拭く。毎日抱き締めている背中だけれど、少し気恥ずかしかった。
「ありがとう。もういいよ。今日中に聖都につく。日没前には聖都に入れるぞ」
ハーゲンはシャツを着ながら、もうすぐお兄さんに会わせてやるからな、といつも通りの優しい口調で言った。
そこになんの躊躇も寂しさも含まれていないのにソルは傷つき、傷ついた自分に驚いた。
「……ねぇ、剣の形やってみたいな。一度だけでいいから見てくれる?」
時間がないのはわかっていて、わがままを言ってみる。
「最後だし、いいでしょ。一度だけ」
自分で使った"最後"という言葉に胸が痛んだ。
「いいよ。棒はこのままだと重いな。重りを外してあげる」
どうぞと渡された木の棒は、重りが外されていても想像していたより重かった。これをあんなに軽々と振っていたのかと驚く。
最初の構えをとる。
棒の重さで腕がぐらぐらする。
次はこうして、こう……動きは全部覚えているのに、体が全く思ったように動かない。2度目の突きでつまづいて転びかけた。
「まだこの棒じゃ重すぎたな。ごめん。ソルはまだ体が本調子じゃないんだし、剣を学びたいなら、聖都で生活が落ち着いてから、じっくり自分に合わせた道具で始めるのがいいと思うぞ」
そのときにはもういないくせに!
浮かんだ想いが、本当のことであるのに傷ついた。
わかっている。彼は優しいひとだ。身寄りのない行き倒れかけた子供を助けてくれたのだ。食事だって自分の分を分けてくれていたのを知っている。でも、彼にとって自分とシャリーは、"安全なところへ送り届けてあげなければならない可哀想な子供"だ。"安全なところ"について、"可哀想"じゃなくなったら、きっとなんの未練もなく「よかったな」といって去っていくのだろう。
「ごめんなさい。まだ、無理だったみたい」
まだ無理だ。今の"可哀想な"自分じゃ、彼を引き留められない。
「最初からは誰だって無理だよ。まずソルはその細っこい体を丈夫にすることからだな」
「うん」
「朝食にしよう。バスキン様達もそろそろ起きてくるだろう。……聖都じゃ飲めないからって遅くまで飲み過ぎなんだよな。きっと二日酔いで苦しんでるぞ」
ハーゲンは微かに口角をあげ、彼の肩の上で青と黄色の光が瞬いた。
聖都は、名前から想像していたより、普通の町だった。すべての街路と建物が白い石でできているというわけでもなく、世界中からの巡礼者で賑わっているというわけでもなかった。
ただ、さほど大きくない町の中央に4本の尖塔を備えた大聖堂があり、町のどこからでもその姿が見えた。
また、街路を歩く人の中に聖職者が多く、一目でそれとわかる服装をしたもの達以外にも、胸元やベルトに聖印を下げた人が沢山いた。
ソルとシャリーは、ハーゲンと一緒に、大聖堂のなかで、壁にかけられた色々な絵を見ていた。騎士達が大聖堂の司祭のところに話をしに行く間、ここで待っていろと言われたのだ。
大きな絵に描かれていたのは、伝説の騎士や、怪物、妖精の姿だった。
ソルとシャリーは知っているお話をハーゲンに教えながら、順番に絵を見ていった。
「あ、これ……似てるなぁ」
静かな祈りの間の最奥、白い騎士の像の後に飾られた1枚の絵の前で、ハーゲンが足を止めた。
ソルは彼の顔を見てどきっとした。
緑色のドレスを着た美しい生命の精霊の絵を見上げる彼は、見たことのない表情をしていた。
「きれいな精霊様だね」
「ああ……でも、彼女のが綺麗だな」
「彼女って?」
シャリーの問いに、ハーゲンはばつが悪そうな顔をして、口ごもった。
「えー……その……知り合いというかなんというか……縁があって会った女の子で……」
「"婚約者"?」
"縁があって"という言い回しで連想したのか、シャリーがませた口調でそう尋ねると、ハーゲンはあからさまに動揺した。
「い、いや。別にそういう関係じゃ……プロポーズとかしてない……って、ああっ!?あれは違っ……てないか。うう、その、勢いで口走ったことはあるけど、あれはその場の勢いで……彼女も俺のことなんて別に好きでも何でも……」
そこまで早口で言ってから、なにかを思い出したのか一気に真っ赤になった。
「忘れよう。あれはノーカウントだ」
彼は片手で顔を覆って天を仰いだ。
「その人のこと好きなのね」
「あー、うーん。でも、高嶺の花というか分不相応というか、俺と彼女じゃ釣り合わないからなぁ。たぶん住む世界が違う……」
少し落ち着いたのか、彼はそう言って肩を落とした。
「会いに行けないの?」
「今、会いに行こうとするとね、夜に彼女の寝室に忍び込むしか方法がないんだ」
シャリーはショックを受けて口許を両手で押さえた。
「ちゃんと表の御門から入らないの?」
「えーと、たぶんお家の人が取り次いでくれないと思うな。彼女と俺が会ったことあるの家の人は知らないし、連絡もできないし」
「身分違いの恋なのね!」
目をキラキラさせた少女に困惑した青年はモゴモゴ口ごもって、追い詰められた目でソルの方を見た。
「いいんじゃない?会いたかったら、夜這いにでも何でも行けば」
「いや、夜這……って、こんなところでそんな言葉、それにシャリーの前だぞ」
「私もシャリーもあなたが考えているほど、幼くないですよーだ。ばっかみたい。行こう、シャリー」
「うん」
手を繋いで次の絵を見に行った二人を見送りながら、川畑は「まいったな」と呟いた。




