面倒
「たしかに彼女は普通の人ではないけれど」
青年は黄昏とは違う澄んだ深い青の空を背景に、きっぱりと言いきった。
「別に許容範囲だからいい」
「ああん?」
ジンは思いがけない返事に、つい変な顔になった。
「いや、でもお前……俺を撃ちゃがったのあの女だぜ」
屋根の上から下を覗いたらバッチリ照準されていてびびったと、ジンは眉を寄せた。
「コンパートメントで俺を瓶で殴り倒したときもそうだったけど、人に向かって引き金引くのに一切躊躇がなかったぞ」
「彼女、思い切りはいいからなぁ」
「思い切りがいいとかいうレベルじゃないだろ。あいつ、頭殴られて倒れた俺から銃を奪うとき、わざわざ隠して持ってた小型の方を盗っていきやがった」
「それは女性の力なら、反動の少ない小さい銃の方が当てやすいし、隠して持つのにも便利だから」
「場馴れしすぎだろう!」
「んー、そうかな?でも彼女は頭いいし」
「絶対にカタギじゃない!俺が言うのも何だけど、何ならお前のその発想もおかしい!!」
ジンは珍しく大きな声で正論を主張した。
「あの状況で、他人の銃できっちり左胸狙って当ててくるとか、普通のご令嬢はできねぇんだよ。怖えぇよ」
上着の左胸に開いた穴に指を通して、ジンは本気で叫んだ。
「これ見ろ。完全に殺りに来てるじゃねぇか。なんで死んでないのか不思議だよ」
「胸ポケットに金属製のスキットル入れてて命拾いするとか、フィクションみたいな生き残り方だよな……悪運が強いってこういうことなのかと、ちょっと感動した」
「感心するな!」
日頃、斜に構えた態度で物事をへらへら受け流してばかりいる詐欺師は、ゼイゼイと肩で息をした。
「とにかく。いくら美人でもあの女に関わるのは止めとけ」
「訳アリの美女のほうが、訳アリのオッサンよりも、面倒見てて楽しいから、俺は戻る」
堂々と胸を張ってそう宣言し、その場を立ち去ろうとした相手の上着の裾を、ジンは引っ張った。
「待て待て。その意見は男として全面的に同意せざるを得ないが、考え直せ……っていうか、お前、昔はチットばかり頭が足りないから喋らないのかと思ってたんだが、あれだな。喋ると想像以上にバカだな」
「おい」
川畑は足を止めて振り返った。
「女の色香に惑わされるような奴じゃなかったのに、すっかり悪女にたぶらかされてまぁ。実はむっつりスケベだったのか……俺は悲しいよ」
「やかましい。俺は普通だ」
好きで喋らなかったわけでもないし、奥手な朴念仁というわけでもないし、潔癖症でもない。普通に女の子に興味はあるし、もちろん聖人君子ではない。
「好みじゃない女にまでフラフラするほど無節操じゃないだけだ」
「ってことは、あれが好みなのか?」
川畑は思わず視線を逸らせた。
「……いや、俺はどちらかというとちょっと年下の方が」
「んんん?」
もごもご口籠る川畑に、ジンは怪訝そうに首を傾げた。
「あの姉ちゃん。歳はいくつなんだ?見かけどおりじゃないとは思ったが、お前より年上で、なおかつあの外見ってことは、相当な上位神の覚醒眷属の長命者か」
「なに?」
今度は川畑が首を傾げる番だった。
八百万とまでは言わないが、この世界には数多の神々がいる。その昔は、各々の神がそれぞれ特徴のある固有の眷属を持っていたという。しかし時代が下るに連れて眷属間の混血も進み、特定の神に由来する能力を持たない均質化された人間が大半となった。
しかし現在でも固有の眷属を残す神があって、それらの神の眷属は常人にはない身体的特徴や超常能力を持つらしい。
親や親族はまったく常人なのにも関わらず、突然、眷属としての特徴が発現する者もおり、また、子供の頃はさほど目立つ特徴はなかったのに、ある時を境に能力に目覚める者もいて、覚醒眷属と呼ばれるという。
固有眷属はたいてい普通の人とは異なる怪異な風貌や、目立つ美貌をしており、加護が強く、力の源である神が上位の存在であるほど、長命なのだそうだ。
「知らなかった」
「いやいや、お前とか、完全にそうじゃないのか?」
「あまり不審に思われたこともなかったし、指摘されたこともなかったので、みんな不思議に思わないならそういうものなんだろうと思って、実年齢と外見の不一致は深く考えなかった」
「やっぱり、相当バカだろ、お前」
深く考察すると世界の設定に影響しかねないから、その手のことは思考停止してあえて突っ込まないようにしています……とは言えないので、川畑は黙って渋面を返した。
「ああ、でもそれなら色々と得心できるな」
川畑は棚上げしていた不整合点をいくつか新情報に照らして再検討してみた。
「つまりあんたの見た目があまり変わらないのもそういうことか」
たしかに鉱山で会ったときから20年程経っているとは思えない。相変わらずオッサンで、お爺さんには見えない。
「もうちょっと若い姿で外見年齢止められなかったのか?」
「やかましい。あんまり若い姿で歳を取らないと周囲から不審がられるから、これっくらいが丁度いいんだよ。というか、お前、よくそれで周りから何にも言われなかったな」
「今の旦那様に買われてからはまだ半年も経っていないし、その前は奴隷商のところにいて、ろくに顔とか確認されていなかったから」
予想外に非道い身の上話を聞いて、ジンは吹いた挙げ句に咳き込んだ。
「ないわー、それはないわー」
今の仕事に着くことになるまでの、ざっくりとした経緯を聞いたジンは額を押さえて俯いた。
「底値で叩き売られたオマケの奴隷を護衛にする奴もする奴だが、護衛にされたからって、バカ正直に職業軍人相手に命張る奴もありえないアホだ」
憮然とした川畑の前で、ジンは長々とため息をついた。
「とにかくそういう事情なら、お前、どっかの街に戻り次第、大手銀行経由で奴隷身分からの解放手続しろ。購入時の雇用目的と実労働がかけ離れていると申請すりゃぁ、十分な金さえ積めばなんとかなる。売り元の奴隷商がよっぽどの裏商いの店でなけりゃ、契約1年以内なら、元値で払い戻してもらってその後自分で自分の身分を買い戻せばいい」
必要な金と書類上の身元保証人は手配してやると言って、ジンはなにか書くものはないかと上着のポケットを探リ出した。
「ああ、クソ。なんもねぇな。お前、貸金庫の暗証番号って暗記できるか?」
「暗記はできるけれど、そんな金はいらない。俺は旦那様の従者の仕事をまだ辞める気はない」
ジンは可哀想な子を見る目付きで川畑を見上げた。
「いやもう、俺、建前とか利害とか無関係にマジでお前のこと心配になってきた。お前そんなんで、よく今まで無事に生きてきたな」
あ、無事じゃなかったか……と呟いて、ジンはますます川畑に顔をしかめさせた。
「あんただって無茶して死にかけてるじゃないか」
「俺は二束三文で雇われて、命の安売りしているわけじゃないから」
「さては安売りしなくても元値が安いんだな」
「かー、腹立つ奴だな。お前、口開くとろくなこと言わねぇな」
「あんたにとって、それだけのリスクを負ってもいいリターンって何なんだ?」
俺のために大金をポンと出そうと言うんだから金じゃないだろうと突っ込まれて、「金だ」と答えて誤魔化そうとしたジンは言葉に詰まった。
「いい加減に少しは話せよ」
すっかり明けて晴れ渡った青空の下で、山の木々の間からさす爽やかな朝陽に、ジンは苦笑した。




