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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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夕食はこれまでと同様に個室(コンパートメント)に運ばれたが、簡易テーブルが金具で固定されてクロスの上に配膳される形式だった。給仕がプレートを並べ終わり、グラスにワインを注ごうとしたところで、列車が大きく揺れた。

アイリーンはよろけたふりをして、テーブルの固定金具を足で踏みつけて解除した。

給仕が天板に手をついたはずみに、テーブルは大きく傾いて、クロスが料理ごと滑り落ち、グラスが割れて、床にワインがぶちまけられた。

「何をやっている」

「申し訳ございません!」

通路に出ていた見張りの若い兵士は慌てる給仕を怒鳴りつけ、責め立てた。

騒ぎを聞きつけ、すぐに隣のコンパートメントから例の無精髭の男が出てきた。

「あーあ、こりゃぁひどい。君、いいから片付ける人を呼んで」

無精髭の男は早くなんとかしろと激高する若い兵士をなだめて、給仕に部屋の清掃係を呼ぶように言った。

「は、はい。しばらくお待ちください」

逃げ帰るように立ち去った給仕と入れ違いに現れた上役に、無精髭の男は食堂車は使えるかと尋ねた。




「ありがとう。久しぶりにまともなテーブルで食事をするわ」

一輪挿しとオイルランプの乗ったテーブルは緋色のクロスで白いナプキンがセットされている。

「なあに、個室(あっち)じゃ、上司と差し向かいで軽食を囓るしかできなかったんでね」

民間人っぽいディナージャケットを着た無精髭の男は、アイリーンとヴァイオレットの向かいで、ワイングラスを軽く揺らした。部屋を片付ける間……とかなんとか言って、自分が見張りをかって出て二人を食堂車につれてきたのは、酒が目当てだったらしい。

自分は食事は済ませたからと言いつつ、何も注文しないと不自然だからなどと理由をつけてチーズとサラミの盛り合わせを摘みながら、ボトルでオーダーしたワインを堪能していた。

赤いドレス姿のアイリーンは、共和国風のテリーヌを口に運びながら、ふと食堂車の向こう側の扉から入ってきた男に目をやった。

2等客車側から来たその男は、赤みがかった金髪で、あまり似合っているとは言い難いちょっと趣味の悪い派手な服装だった。酔っているのか、ややふらついた足取りでこちらに歩いてくる。

神経質そうな顔つきと、そのチャラい髪型や服装がちぐはぐで、アイリーンはうっかり吹き出してしまわないように、笑いをこらえた。ヴァイオレットもわざと目をそらして、男を視界に入れないようにしているようだった。

「やぁやぁ、これは美しいお嬢さん方だ」

赤毛男は二人の近くにまでやってくると大仰に驚いた声を上げた。アイリーンは赤毛男のスネを蹴り上げたくなったが、社交用の顔で受け流した。

「今夜のご予定はいかがですか」

赤毛男はなんだか人生を捨て鉢になったような死んだ目つきで、浮ついた口説き文句を二人の美女に投げかけてきた。

「僕と一緒に飲み明かしましょう……ああ、グラスが空いていますね。おい、ウェイター!」

給仕を呼びつけた赤毛男は、アイリーンとヴァイオレットに赤と白のどちらがいいかと尋ねた。

「オーダーしたコースに合わせて赤……と言いたいところですけれど、貴方はもうご自分の席に戻ってゆっくりなさった方がよろしいのではなくて」

アイリーンは笑いを堪えながら、素気なく赤毛男の誘いを断った。

「何と優しい方だ!だが、僕はもう少し……」

「悪いが彼女たちは、俺の連れだ」

それまで黙っていた無精髭の男が、赤毛男を睨みつけた。

「お引取りいただけませんかね」

剣呑な笑顔を浮かべた人相の悪い男にドスの利いた声で脅されて、赤毛男は酔いで赤らんでいた顔を青くした。

ただの相席客だと思っただの何だのと、下手な言い訳をしどろもどろに口籠りながら、赤毛男はフラフラと後ずさって、そそくさと退散した。

アイリーンとヴァイオレットは、憐れな者を見る眼差しで赤毛男を見送った。


「まったく。酔っ払いの中年男ってのは鬱陶しいもんだ」

無精髭の男は、自分のことを完全に棚に上げて、グラスの中身を干すと、手酌でボトルの残りを注いだ。

「次は赤を。ボディのしっかりしたものがいい」

やってきたウェイターにそうオーダーすると、男は女性二人の細いグラスを下げるように言った。

「赤、飲むんだろう?」

「いただくわ」

肉料理とともに出された二人の新しい赤用のグラスに酒を軽く注いだ男は、残りをすっかり一人で飲み干した。




「お疲れ様」

「もう嫌です」

2等のコンパートメントに戻ってきた赤毛男は開口一番、弱音を吐いた。

渡された濡れタオルで頬紅と髪粉を落とすと、前髪を全部なで上げて、いつもの自分の眼鏡をかける。

「着替えをください。早くこの趣味の悪い服を脱ぎたい」

「意外にそういう格好もいけるじゃないか。もう少し着ていたらどうだい、ヘルマン」

笑いながら茶化すジェラルドをヘルマンは睨みつけた。

「冗談じゃありません。私は二度とこんなことはしないですからね」

「そうですね。ここまで向いていないとは思いませんでした」

真面目にがっかりした顔をした従者から着替えの服を受け取りながら、ヘルマンはちょっと涙目になった。


「それで、彼女達の意向は確認できたかい?」

「赤……予定通り決行です」

真面目な表情で銀縁眼鏡を中指で押し上げたヘルマンは、ただし私は前線の実行要員から外れろと言われましたので、後衛に配置してください、と真剣にジェラルドにうったえた。

一番、顔が知られていないから……という理由で接触役をやらされたヘルマン。シナリオはジェラルド。

女性二人の”何やらされてるの”という視線が痛かった。

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