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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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薄荷水

シダール北部の国境付近にあるレパ・イナムディラは元は王国女王の名を持つ終着駅だった。その後、北シダールの皇国支配時代に、北部諸国を通って皇国まで続く大陸縦断鉄道の中継駅となり、現在の名称に変更された。


次の停車駅を告げる車掌の声を聞きながら、アイリーンはふとレースを編む手を止めて顔を上げた。

「レパ・イナムディラって、機工神レパのことよね?自国の皇女や女神の名前ではなく、工学者や機械技師に信仰されている神の御名をつけたあたりが、皇国らしいといえば皇国らしいのかしら」

小首をかしげたアイリーンに、ヴァイオレットは微笑み返した。

「レパ神といえば、昔、アルベルト・フェラン社の技師は全員レパの眷属だという噂を家庭教師先の坊っちゃんが聞きつけて、信じこんでいらしたことがあったわ、アルベルト・フェラン製の機構の整備はレパ神の聖なる力がないとできないから、僕はレパ信者になると言って大泣きされて……懐かしいわ」

「アルベルト・フェラン兄弟社というと小型船舶や自家用航空機の新興メーカーの?」

富裕層の趣味人向けのメーカーのイメージだ。他と一線を画した機構とデザインの製品の開発をしており、アイリーン達を襲った河賊の使っていた小艇や、富豪のオーニソプターもアルベルト・フェラン製のはずだ。その魔法じみた性能と、基幹技術を秘匿してブラックボックス化する開発方針のせいで、オカルティックな噂が多いところでもある。工学者を志す思春期の若者が妙な噂を聞いて鵜呑みにしたくなるのもうなずける話だ。


「鉱物の結晶構造へのエネルギー充填技術を使用した結晶機構(クリスタルエンジン)を実用化して、初めて個人向けに販売したところよ。他にも独創的な技術を沢山持っているらしいの。坊っちゃんが熱心に語っていらしたのを覚えているわ」

しみじみと懐かしそうに語るヴァイオレットの言葉を、見張り役の皇国軍人は鼻で笑った。

「はっ……しょせんはガキの聞きかじりだな。アルベルト・フェランのような小国の田舎工房が自力で結晶機構(クリスタルエンジン)の実用化などできるわけがないだろう。あれは我が偉大なる皇国軍が開発した技術だ」

ずっと女二人の詩だの手芸だののわけのわからない話題を黙って聴いているばかりで退屈しきっていた見張り役は、自分にわかる話題が出たのが嬉しくてついつい立場を忘れた。

「何が独創的なものか。あんなものおこぼれの技術で、金持ちに擦り寄って小銭を稼いでいる小物だ。あんなところのオーニソプターなど、テレーマのガルガンチュアに比べたら、おもちゃのカトンボにすぎん」

「まぁ!そうですの?」

美女から初めて無関心と批難以外の反応を引き出せた見張り役は、口が軽くなった。

「なにせ皇国の科学技術は世界一な上に、さらにテレーマには我が偉大なる皇国最高の頭脳が集まっているからな」

「わたくし皇国の最高峰は、工科大学だと思っておりましたわ。テレーマという所はそれほどすごいところなのですか?」

感嘆と尊敬を含んだ眼差しで見つめられて、皇国軍人は大いに気を良くして本来なら機密情報であるテレーマの研究施設についてべらべらと自慢気に語りだした。




「おい、ポーター。運んでくれ」

レパ・イナムディラターミナルに着いたところで、軍人は客車の窓の格子を叩いて、ホームで客待ちをしている白い丸帽を被った荷運び人を呼んだ。

降車を命じられ、アイリーン達は小物をポーチにしまいながら客車から降りた。アイリーンは、座席を立つ前に最後に手に取った紙を、ポーチに入れずにくしゃりと丸めた。

「これは捨てておいて」

荷物を運びだしているポーターに渡そうとしたところで、軍人の一人が見咎めた。

「何だそれは」

「編み物の柄のメモよ。描いてはみたけれどあまり気に入らない柄だったから、これはもういらないの」

軍人は取り上げた紙を開いてみた。

花と飾り蔦っぽい模様が線と点描で描いてある。線の分岐点に細かい数字が振ってあるが、文字は書かれていないようだ。没案というのは本当らしく、全体に大きな斜線が引かれている。

見張り役をしていた男が、それなら書いているところを見ていたし問題ない、と言った。

「捨てておけ」

ポーターは、軍人が丸めて投げ返した紙を黙って拾ってズボンのポケットに雑に突っ込むと、旅行鞄をカートに積み込む仕事を続けた。


「5番線だ」

座り込んでいる人々を避けながら、何本もあるプラットホームを越えて、目当ての車両を探す。

乗り換え先は、実に堂々とした蒸気機関車の特級車両だった。

兵の一人が車体のデッキ脇に貼られた紙を見に行き、名前が書かれていることを確認してから、ホームに立っている駅員に切符を見せに行く。

駅員は分厚い台帳をめくりながらうなずいて、乗車の許可を出した。今度は手違いやキャンセルはなかったらしい。


セントラルエクスプレスのロゴが打ち出された真鍮板のついた客車に乗ろうとしたアイリーン達に、大きな籠を持った少女が声をかけた。

「薄荷水はいかがですか」

籠いっぱいの瓶入りの清涼水を売り歩いているらしい。

「いただくわ」

いいでしょう?とアイリーンが視線を送ると、隊長格らしき軍人は渋々財布を取り出した。

「あら、部下の皆さんにも?」

アイリーンがなんともたちの悪い流し目で微笑むと、隊長は取り出しかけていた小銭ではなく、小額紙幣を少女に渡した。

「ありがとうございます」

たくさん売れて笑顔になった少女に、アイリーンは先程編んだばかりのレース飾りを取り出して見せた。

「これあなたに似合いそうね。あげるわ」

そのかわり薄荷水を客車の中まで運んでちょうだいと頼むと、少女は嬉しそうにうなずいた。




「乗車車両と座席の割当を確認した」

ネズは、薄荷水売りの少女にお駄賃を渡して帰らせた。

「アイリーンさんからの伝言です」

ポーターの帽子と腕章を外しながら、川畑はくしゃくしゃになった紙片をズボンのポケットから出して、ジェラルドに渡した。

「”敵本拠地はテレーマ”。このまま連れて行ってもらえそうだから、拠点を突き止めたいなら、すぐに助け出さずに様子を見てもいいそうです」

「会話できたのか?」

「いえ。そう書いてありました」

広げたばかりの紙片を指さされて、ジェラルドは嫌な顔をした。

「お前……キーコード表と照らし合わせもしないでいきなり解読するなよ。僕の見せ場がないだろう」

「あ、その斜線に沿って斜めに読むと追伸になってます」

「ネタバレするなよ……」

ぶつくさ文句を言うジェラルドの隣で、ネズは複雑な暗号文を見て眉根を寄せた。

「読む方も読む方だが、これを書いて寄越したその女は何者だ」

「絶世の美女さ」

「彼女はこういうの得意なんです。本当に教えがいがあって……」

「お前、良家の子女にそういうことを仕込むな!」

胡乱な技術の詰め合わせセットのような黒髪の不審人物は、特に反省した様子もなく、「はあ」と頼りない返事をした。




「まったく……どこでどう何をしているかわからない奴だな」

「私は皆さん全員がそうだと思います」

なんだかんだでこんなところまで連れ回されているヘルマンは、色々と諦めたため息をついて眼鏡を拭いた。

「まぁまぁ、ヘルマンさん。薄荷水はいかがですか」

緑がかった水色のガラス瓶が差し出された。

「ついでに、こちらも」

旦那様とヘルマンさんの最低限の私物は抜いてきましたと言って、手癖の悪い偽ポーターはヘルマンに財布の類を一式手渡した。

ヘルマンは返す言葉が見つからなかったので、とりあえず「ありがとう」と答えた。のどが渇いているせいか、”ありがとう”の一言が口を出るときにやけに引っ掛かった。

ヘルマンはもらった薄荷水を飲もうと思った。

「……ところでこの瓶の蓋はどうやって開けるんですか?」

「栓抜きは売り子さんが持っていました」

ヘルマンは用意された鞄に手荷物と薄荷水の瓶を詰めた。

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