孤児の救い手
ソルは両手の中にわずかに残った水を妹のシャリーの口に注いだ。
水は、熱にうなされるシャリーのひび割れた唇を濡らす程度にしかならなかった。ソルには、もう一度、山道を往復して水を汲んでくる体力はもうなくて、冷たい石の床に座り込んだまま、途方にくれるしかなかった。
「何者だ!大人しく出てこい!」
だから、剣を持った男が踏み込んできたときも、ソルはシャリーの隣に横たわったまま、ただ虚ろな目でその大きな人影を見ることしかできなかった。
「子供が2人だ。ずいぶん衰弱して、起き上がることもできないようだった。可哀想だが、ありゃもう助からんな。妙な病気にかかっているかもしれんから、隊長は近付いちゃダメだぞ」
「助けないんですか」
川畑は、ロビンスのドライな反応に戸惑った。この騎士達はなんだかんだで結構人情派だと思っていたので意外だった。
「死にそうな孤児なんてどこにだっている。いちいち助けていたら仕事にならん。隊長の身の安全と任務を優先すべきだ」
「自分で起き上がることもできないようでは、つれていくこともできんからな。可哀想だがやむを得まい。山を降りた先でどこかの兵か村人に金を渡して、ここに来てもらうよう頼んでみてもよいが……」
こちらが渡せる程度の金で、病気の子供を助けてくれるような相手がいるとは思えなかった。せいぜい遺体を埋葬して貰う手間賃だろう。
こういう世界なのだ。現代、日本とは違う。
「水を汲んできます」
「あちら側の奥に物置があるはずだ。桶かタライぐらいは残っているだろう」
「はい」
そもそも、この世界の住人自体、ただの"眷属"であって"人間"ではない。この世界の主によって配置されたキャラクターにすぎないのだ。
賢者に課された鍛練の一環で、作りの雑な泡沫世界をいくつか訪れたが、そういう世界にいた、一定の反応しか返さない人の形をしただけの"住人"と、根本的には同じなのだ。体の作りも生命としてのあり方も根本的に違う存在でしかない。
『おーさま、だいじょうぶ?』
『おかお、こわいよ』
川畑は古びた手桶を握りしめ立ち止まった。
『気に喰わん』
こういうテンプレなお涙ちょうだいは大っ嫌いだ。
どうとでも思った通りに配置できるなら、なぜわざわざ不幸にせねばならんのだ。
『ここの主のやり口が気に喰わねぇ』
『ヌシってオオサマ?』
『ちがうよ。ここではカミサマっていうんだよ』
『おーさまとカミサマ、どっちがエライ?』
『このせかいではカミサマがエライ。でもボクたちとおーさまはカミサマのいうこときかなくてもいいよ』
そういえば、自分はすでに"神殺し"だった。今さら、世界のルールを忖度するのも馬鹿馬鹿しい。
『よし、カップ。お前、ひとっ飛び行って子供の様子見てこい。キャップはこの辺に"薬草"ですっていったら通りそうな草が生えてないか探してこい』
『はーい』
『わっかりましたー』
川畑は手桶に魔法で水を満たして、砦に引き返した。
『めをさまして』
お日さまの光のような、暖かいなにかを感じて、ソルは目を開けた。
誰かが体を抱え起こしてくれている。
「気がついたな。これを飲め」
口許に椀が差し出される。椀からは青臭い香りが立ち上っていた。
「苦いが、薬だ。少しずつでいいから、できるだけ飲め」
「くす…り……なら、シャリーに……」
「もう飲ませた。お前も飲め。ゆっくりだぞ。焦らなくていい」
擂り潰した草の葉のようなものが浮いた青臭いぬるま湯を少しずつ口に含む。苦みが口一杯に広がって、腹がグルグル鳴った。
「よし。よく頑張って飲んだな。一度水で口をすすげ」
別の椀で水が差し出される。思わずごくごく飲んでしまうと、途中で椀が離された。
「あ」
「それくらいにしておけ。さ、口直しにいいものやるから口を開けろ」
その大きな手の誰かは、ソルの口になにか小さな塊を押し込んだ。
「ん」
口の中でじんわりと甘味が広がった。
甘い!
全身が喜びで震えるような気がした。
「噛むなよ。ゆっくり舐めろ。チビ達用のキャンディだ。数がない」
『かんしゃしろよ』
嬉しくて涙がこぼれた。体の芯が熱くなる。
ああ、救われたのだ。
「ひどい臭いだ。少し体力が戻ったら体を拭いて……この服は煮沸消毒だな。物置に鍋とタライがあったっけ」
大きな誰かは、ソルをそっと抱き上げて、どこからか持ってきたらしいボロ布の上に寝かせた。
「戸板とボロ布のひどい寝床だが、石に直に寝るよりはましだろう。後でもうちょっと何とかするから、しばらくは、そこで二人で大人しくしていてくれ」
ソルは隣で眠っているシャリーの手をそっと握った。熱が下がっているし、息も苦しそうではない。
「ああ……感謝します」
ソルは目を閉じて祈りを捧げた。
「あいつ、ずいぶん入れ込んでんな」
ロビンスは顔をしかめた。
「なに、天気が悪くなりそうだから、どのみち今日はここで泊まった方がいい。時間はあるんだから好きにさせてやれ」
「隊長、あいつに甘くないか」
バスキンは砦の崩れたところを調べて書き留めながら、首を降った。
「あれも最近身寄りをなくしたそうじゃないか。他人事とは思えないのだろう。いいじゃないか。あれは軍人ではないし、今の仕事も軍務とは言えん」
「そりゃ、そうだが……ま、隊長がいいって言うなら、今回はよしとすっか」
ロビンスは溜め息をついた。
『めんどくせぇ。拭く程度じゃ汚れが落ちん。こうなったら丸洗いする』
『おーさま、やけはダメだよ』
『おきちゃうよ』
『お前ら、耳元で"これは夢だよ"とか"寝てていいよ"って言っとけ』
『はーい』
『だいじょうぶかなぁ』
『あーあ、ガリッガリじゃねーか』
『オンナノコにはやさしくしてね』
『え?女の子?あ、ホントだ。……まぁ、いいか。ちゃっちゃと洗っちゃおう。ちょっとうちの風呂場から石鹸とシャンプー取ってくる』
『いってらっしゃーい』
『おかえりなさーい』
『さてやるか』
川畑は袖を捲った。
不思議な夢を見た。
ソルは暖かい水の中にいた。
さすが夢だ。頭まで全身が水の中なのにちっとも苦しくない。冷えて強張っていた手足がゆったりと暖まって気持ちいい。体に張り付いた痛みや疲れが溶け出していくような気がした。
「(ひょっとして、死んじゃったのかな)」
大きな手で頭をぐっと掴まれた感じがした。力強い指が頭全体を揉む。
「(ああ、でもとても気持ちいい)」
目を開けたら夢から覚めてしまう気がして、そのまま大きな手に体を委ねた。
とろとろまどろんで、気がつくと、シャリーと一緒に毛布にくるまって、暖炉の火のそばにいた。自分達が潜り込んだ地下室とは違う部屋のようだ。入れなかった上の階だろうか。遠くで雨音が聞こえるが空気は気持ちよく乾いていた。
シャリーのさらさらの髪はいい匂いがした。そっと頬を撫でようとして、自分の指先も柔らかくしっとりしていて、傷が痛まないことに気がついた。
足音に気付いて顔を上げると、部屋の出入口近くに何人かの男の人が立っていた。
「おつかれさまです。食事を用意してありますからこちらへどうぞ。火を焚いたのでマントと靴を乾かしてください。地下通路の状態はいかがでした?」
「思ったよりもいい状態だった。崩れてもいないし、この雨でも水が染みていなかった」
「ありゃ、入り口を隠しといた方がいいな。盗賊かなんかがここに住み着いたとき、使われると面倒だ」
「そうだな。明日の朝、雨が上がったら、出口側の様子も外から確認しておこう。目立つようならそちらも隠しておいた方がいい」
男達が部屋に入ってきたので、ソルはシャリーを抱えて毛布に潜り込んだ。
「あれがその子供か」
「はい。空腹で倒れていただけのようで、特に病気の様子はなかったです。きれいにしてやったので、ここに寝かせてもいいですか?怪我をしている様子もないので、なにか食わせてやったら、明日にはだいぶ回復すると思います」
「ふむ」
「それでその……明日、こいつらが一人で起き上がれるようなら、連れて行ってやってもいいですか。馬は俺のに乗せます。こいつら鎧より軽いし、荷馬の荷物は減ってるから、荷物を積み替えたら俺の馬に3人行けます。だから……」
「まぁ、待て。その子供達のことは、明日の様子を見て決めよう」
「まずはメシだ。腹減った」
年かさの二人が、暖炉でパンとチーズをあぶり出したところで、一番若い黒髪の青年が、こちらにやって来た。
「おい、起きられるか」
かけられた声と、毛布越しにそっと肩に置かれた手で、この青年が自分達を助けてくれた人だとわかった。
「パン粥だ。少し腹にいれとけ」
小さな椀が2つ。薬を飲ませてくれたやつだ。うっすらと湯気が上がって美味しそうな香りがする。
「お前は一人で食べられるな。妹の方は……おい、起きられるか?ご飯だぞ。ほら、食え。あーんしろ」
普段なら知らない人にシャリーを任せるなんて、絶対にしないけれど、彼なら大丈夫な気がして、ソルは渡された椀の中身を口に運んだ。美味しい。
シャリーは、青年に口許をつつかれては、鳥の雛のように口を開けて、ひと匙ずつ粥をもらっている。シャリーの顔色がいい。熱はすっかり下がったみたいだし、清潔にしてもらった頬はうっすらとピンク色だ。
「食べたらまたしっかり寝ろ。ちゃんと安心できるところまで連れていってやるからな」
「……聖都に兄がいます。そこに向かうつもりで道に迷って……妹が熱を出しちゃって」
「そうか。頑張ったな。妹が熱を出していた話は黙ってろ。お前達は最初から結構元気だったことにしとけ。いいな」
ソルは小さく頷いた。
病気の子供なんて拾ってくれる人はいない。この人が特別なのだ。
「ごめんなさい。これ、あなたの毛布?」
「いいよ。気にすんな。俺は別に……ちゃんと寝れるから」
青年の両脇で青と黄色の光が瞬いた。きれいな光。傷ついて弱った体を癒してくれた、澄んだ水とお日さまの輝きだ。
粥を食べ終わって、またうつらうつらし始めたシャリーを抱き締めて横になる。
「少しの間、そばにいてくれる?」
青年はいいよといって、隣に座ってくれた。
『おやすみ』
『げんきになってね』
優しい小さな声を聞いた気がした。
キャンディ分けてあげることになったいきさつ
『ヤクソウっぽいくさあったよ』
『でもそれムシクダシぐらいにしかならないよ』
『いいんだよ。なんか薬草飲んだって建前があれば。妖精の薬で全回なんて不自然だろう』
『えー、それニガいのにカワイソウ』
『じゃぁ、お前ら用のキャンディ分けてやるか』
『えー』
『えー』
『親切なお前達にはご褒美で今1個づつやる』
『わーい!』
4章、5章の主要女の子キャラ出揃いました。
まだちびっ子ばっかりですが、この子が好きとか、将来性に期待とかありましたら。教えてください。
(いやまぁ、一人とんでもないダークホースがいますが……)




