補給
「なんだってこんなところに」
人目につかない身なりをしたネズは、戻って来るなり、屋上のオーニソプターポートの脇にセットされたテーブルセットと日除けの天幕を見て、露骨に顔をしかめた。
「いいタイミングだ。君も座りたまえ。なにか飲むだろう」
ジェラルドは、ネズの陰気な顔を相殺してあまりあるほど華やかな笑顔で、彼を招いた。
過激派に拉致されてヨレヨレになっていたところから、入浴と着替えを済ませて完全復活したようだ。
「ブレイク、彼にも席を」
こちらもすっかり王国風の服装に着替えた黒髪の大男は、いかにも従者然とネズのために椅子を用意した。
滅びを告げる凶烏の怪人に茶を煎れられて、伝統ある秘教の古王都総代であるネズは口の端を引きつらせた。
ヴェナラスに到着した一行は、タミルカダルの富豪のヴィジャイ氏が所有する宿坊のポートに着陸した。宿坊の従業員達は快く迎えてくれ、電信で連絡を取ったヴィジャイ氏も幼なじみのヴァイオレットのためならばと、惜しみなく協力してくれた。
だから、ちゃんと屋内に部屋も確保されているのだが、金髪巻毛の青年紳士はなぜか屋上でくつろいでいた。
「日差しさえ遮れば河からの風が涼しくて、半端な屋内より気持ちいいぞ。誰か来ればすぐわかるし」
よく見れば、日除けの覆いは、河に向かっては大きく開かれて風通し良く設営されているが、テーブルまわりは近隣の建物からは視線が通らないような絶妙な配置になっている。
「(見られず見つけやすい位置取りか)」
リゾート感満点の派手な配色とデザインのせいで浮かれて見えるが、意外にちゃんと考えているらしい。
ネズが内心でそう評価したところで、凶烏の悪魔がボソリと呟いた。
「旦那様は部屋で大人しくしていただいている方がありがたいのですが」
「だってお前、ずっとこっちにいて、呼んでもなかなか来ないじゃないか」
「オーニソプターのメンテナンスの仕事もあるんです」
「僕のメンテナンスがお前の本業だろ」
「だから、こんなことまでやってるじゃないですか」
黒髪の大男は無愛想なしかめっ面で、脚付きの野外コンロの炭火の上で小さなフライパンを揺すった。
関係性のよくわからない主従を見ながら、恐ろしい二度無き者の伝承は、やはりあくまで伝承として、現実とは切り離して考えるべきかもしれないとネズは思った。
「軽食をご用意いたしました。半端な時間帯ですがオーニソプターの準備が整い次第、出立します。今のうちにお召し上がりください」
ネズは傍らに至近距離で立たれても人の気配がしない大男を見上げた。流暢な王国語で恭しくそう述べる様子は、完全に王国貴族の従者だ。
ネズは「胡散臭い」だの「気持ち悪い」だの「やめてくれ」だの叫びたい気持ちを、ぐっと飲み込んで、黙って出された食事に目を落とした。
意外なことに、それは王国ではなく、北シダールの一般的な軽食だった。
多少、王国風にアレンジされているようだが、全粒粉と塩と水だけで作る薄い無発酵パンに芋と野菜を挟んだものと、ヨーグルトだ。こういう物は食べなくなって久しいが、もっとずっと子供の頃にはよく食べた覚えがある。
ちゃんと澄ましバターも小鉢で添えてある……悪くない。
「いただこう。だが、その前に報告すべきことがある」
「話は会食をしながらでお願いします。中のチーズが熱いうちが美味しいですよ」
「へー、チーズ入りは初めて食べるけど、意外に合うね」
熱い熱いと言いながら美味しそうに食べ始めたジェラルドを見て、ネズは自分の前に置かれた皿に渋々手を伸ばした。
彼は普段、身元のしっかりした信用できる者が用意したもの以外は口にしないようにしているが、こういう想定外の巻き込まれ方をしている状況で、そんなことにこだわっても仕方がない。
彼は厳しい表情のまま、バターをたっぷりと垂らして、クレープ状に畳まれた薄焼きパンにかぶりついた。
少し香ばしい香りがする澄ましバターにまみれた素朴な味わいのパンの中から、とろけたチーズがはみ出して口の中に広がる。
ネズは黙々と3口ほど食べてから、ふと我に返ったように、顔を引き締めてジェラルドを見た。
「それで話というのは……」
「あ、それ食べ終わってからでもいいよ。君、ずっと難しい顔してたのは、食事を取っていなかったからなのか。ブレイク、彼にもう一枚焼いてあげて」
「あっ、いや。別に……うむ」
ネズは反論しかけたが、そんなことで揉めても仕方がないので、黙って薄焼きパンの残りをバターに浸してから口に押し込んだ。
異界の悪魔が作る食べ物が、悪魔的なのはあたり前だから、これはやむを得ないことなのだと考えながら、ネズはバターだらけの指を行儀悪く舐った。
ヴェナラスのカーラ派の潜伏地点に行って部下から入手してきた情報の本題に入るまでに、ネズはヨーグルトのおかわりも2回した。
「彼女達の足取りがつかめた」
どうやら皇国軍は恒河を船で下ってヴェナラスに入るルートを取らないで、アシュマカから北上して、シダール北部を東西に走る鉄道で彼女達を護送したらしい。
「東西線から南北線に乗り換えるタイミングで、一晩足止めして、接触することには成功したそうだ」
「二人は無事なのか」
「怪我はなく、乱暴を働かれた様子もなかったようだ」
心配そうに身を乗り出していたジェラルドは、深く息を吐いて座り直した。
「救出は無理だった……か」
「……仲間内でも神より授かった力が十全に使える者はあなたが思っているよりも、ずっと少ない。情報収集に駆り出された女子供だけでは、どうにもできん。それに他の同族のことを考えると、駅のように目立つところで無茶をやってこれ以上迫害の被害者を増やすわけにはいかんからな」
「すまん。気が急いて、配慮が足りなかった。非難するつもりはない」
青年は目を伏せて、自分のために動員して無茶をしてくれたのは異例のことだったのだなと申し訳無さそうに呟いた。
「気にするな。あれは聖地を守るためにしたことだ。アシュマカは一族が多くいる土地だし、比較的、血の濃いものも多い」
ネズはジェラルドに、あれは二度無き者の圧で強行された救出劇だったとは、言わないでおくことにした。
「彼女達の乗った列車は今このあたりだろう」
ネズはテーブルの上に開いた路線図を指さした。ジェラルドは眉を潜めた。
「今日中に国境を越えそうだな。急がないと、借り物のオーニソプターを国境の向こうまで出張らせるわけにはいかない」
「大丈夫。国境線のこの駅で車両の乗り換えがある。そこで追いつけるだろう」
「乗り換え?」
「東西線との中継駅で足止めして国境手前までの代替列車に載せたからな。本来のセントラルエクスプレスにここで乗り換えるはずだ」
ネズが指した駅には王国の女王の名前が冠されていた。




