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家に帰るまでが冒険です  作者: 雲丹屋
第12章 大鴉の血は緋に輝く

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虜囚

鉄路の単調な振動が硬いシートから響き、鉄格子が入った窓の外を、シダールののどかな田園地帯の風景が流れていく。

プラチナブロンドの美女は物憂げに目を細めた。

「(タダ乗り防止と防犯のための格子なんだろうけど、こういうシチュエーションだと牢獄感満点ね)」

正面に座ったむさ苦しい見張り役の男二人をちらりと見て、アイリーンはうんざりした心持ちになった。


長距離列車のファーストクラスの4人用コンパートメントは狭くはなかったが、大柄な軍人と膝を突き合わして長時間過ごすのは気疲れした。

「(でも、私の好みが”無愛想な大男”なら誰でもいいってわけじゃないのがわかったのは、不幸中の幸いかしら)」

彼はこんなにむさくてゴツくなくて清潔感があるから、比べちゃ悪いわね、といささか贔屓目(バイアス)が入った感想に浸っていると、コンパートメントにノックの音が響いた。

「昼食をお持ちしました」

やってきたのは、白い帽子に赤い肩章のグレーの制服の客室乗務員だった。制服は洗いざらしでシワが寄っていて、足元はサンダル履きなあたりは、シダール流だ。

「こちらがコンチネンタルで、こちらがシダール」

客室乗務員はアイリーンとヴァイオレットの前にトレイを差し出した。

金属製の器に入ったメインは、妙に赤いチキンのグリルと、大ぶりな野菜の入った煮込み料理だ。香辛料が強く香って、正直、どちらもシダール風に見える。

新聞紙に包んだトーストを人数分配ると、客室乗務員は「コーヒーは?」と言ってワゴンの上の大振りな金属製のポットを手に取った。

「コーヒーは結構よ」

アイリーンは見張り役のきつい目つきを気にせずに、客室乗務員に声をかけた。

「それよりもクッションか膝掛けはないかしら。少し休みたいのだけれど」

初老の客室乗務員は愛想よく訳知り顔で笑って、寝具は駅で借りられると答えた。

「次の停車駅まではどれくらい?」

「もうじきです。日が暮れるまでには付きます」

今は昼食時だ、

「コーヒーをいただくことにするわ」

「どうぞ、マダム」

初老の客室乗務員は、笑顔でポットのコーヒーを小さな陶器のカップに注いでくれだ。




「どこまで連れていくつもりか知らないけれど、まさかずっとこんな旅をさせる気なの?」

アイリーンは、見張り役の男達に、うんざりした顔で不満をぶつけた。

「一等客車の個室だ。文句を言うな」

「待遇改善を要求するわ。少なくとも夜はまともな宿で休ませて」

国境を越えるまでの時間稼ぎはできるだけしたいが、そうでなくてもこんな硬いシートで何日も汽車に揺られ続けるのは厳しい。

黙れの一言で話を終わらせようとする見張り役の男に、これまで大人しくしていたヴァイオレットも隣で控えめに口を開いた。

「少なくとも寝台車両に乗り換えるときは、男女別の個室を用意してくださいませ。殿方と同室で就寝などできませんし、鉄道会社の従業員に娼婦扱いされる不名誉は我慢できません」

あなた方も、任務中にそのような女を同伴させている軍人とみなされて、軽んじられるのは不名誉でしょう、と言われて男達は怒りで顔を赤くした。

「シダールは放蕩には寛容な国ですが、公的な男女の別は北部諸国より厳密です。いらぬ憶測で悪目立ちしたくないなら、個室は男女別で用意してしかるべきです」

男達はヴァイオレットのりんとした態度に一瞬気圧されたが、その事実をなかったことにするためか、すぐにいけ高に恫喝してきた。

「上品ぶって生意気な口をきくな。乗務員に色眼鏡で見られるのが嫌だというのなら、実状の方を風評に合わせてやってもいいんだぞ」

アイリーンは男達の好色そうな目つきにゾッとした。


「何だ。騒々しい」

コンパートメントの扉の外から声がかかった。見張り役の男達がすぐにかしこまって返答したところをみると、上官かこの移送の隊長格らしい。

交代を告げられて、すぐに別の二人がコンパートメントにやってきた。この前後にあるコンパートメントも彼らの仲間が乗っているらしい。

「(目の前の見張り役だけなんとかしても逃げられないということね)」

隊長格の男は、男女別の個室にする件を検討すると約束してくれたが、たとえ個室で二人になれたとしても、迂闊に逃亡方法に関する会話はできないだろう。列車の個室はそれほど防音にすぐれているわけではない。

見張り役以外にも聞き耳を立てている兵がいることを前提として、どうにかしてヴァイオレットと打ち合わせをする手段は必要だと、アイリーンは思索を巡らせた。

「退屈だわ。ヴァイオレット、船でやっていた勉強会の続きをしましょう。古典詩の朗読読書会なんていかが?」




「ここの一節は繰り返し現れる頭韻の音節が技巧的で素晴らしいですわね。喪失感と悲嘆がよく表現されておりますわ」

「そうね。特に最後の部分は絶望的な状況下での希望への渇望が情景描写で暗示されていて、とても美しいわ」

「シンボリックなオブジェクトが、宗教絵画を思わせる表現も随所に見受けられますものね。この”彷徨える者”は、英雄譚の一部とされているけれど、一種の聖人伝とみることもできるのではないでしょうか」

「でも主人公である”彼の者”が、神の啓示や恩寵を受けた明確な記述はないでしょう?むしろ、懐疑的な不遜な態度とみなされる行動が多いわ」

「ええ、そうですわね。でも、その行いと苦悩には聖者に通じる尊さがあると思いますわ。冒頭で思い出として語られるときの彼への尊詞は、世俗の権力がない者の中では最上級のものが使われているし、他の古典詩では神の眷属の上位者に使われる修飾連節に非常によく似た表現が出てくるところから、少なくともこの詩の作者は、ここでの語り手が彷徨える者を神聖視していることを表現しようとしていると思います」


若い令嬢二人の小難しい語らいに、見張り役の男はまったく興味を持てなかった。正直いって、言っている内容がまったく理解できずに右の耳から左の耳にすり抜けていく感じだ。

「例えば彼が若き王に問うた『いつか救わるると信じて待つ者になるか』という言葉については、あなたはどう思う?」

「それはその後に出てくる言葉と関係が深いと思いますわ。『愚か者を静かに退けよ』『汝の身を護る爪を持て』と別の夜に彼の者は王に語っています」

古い詩の引用らしき古王国語が混ざってきた時点で、見張り役らは完全に令嬢達の会話から興味を失った。


アイリーンとヴァイオレットは、古典の引用句の体裁で、兵士達は解さない古王国語を使って、現状の打開策と今後の対応を話し合った。

皇国編と言いつつ、もうちょっとシダールにいます。

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