intermedio
「それはそれとして、ちょっとお願いがあるんですが、よろしいですか」
そう言い出した帽子の男に連れられて、川畑はよくわからない場所に来ていた。
パット見の印象は、のどかで美しい庭園かお花畑といった感じだ。しかし、創りがあまい世界らしく、細部が存在しなくて物の輪郭がボンヤリしている。そもそも物体の定義も物理法則も何もなく、漠然と”きれいな楽園”のイメージが淡い色とりどりの光で演出されているだけのようだった。
地平線や消失点を作らずに描かれた空気遠近法の強い絵のように、遠景は白い霞に薄れて、近景の花っぽいものだけ色味がある。
「空と地面の境目どころか、空が青いのか白いのかもはっきりしないな」
うっかり”認識”や”解釈”をして干渉しないようにしようと、川畑は気を引き締めた。時空間への干渉力が余人より高いのか、彼は時空転移を始めたばかりの頃、この手のゆるい世界をいくつか変調させてしまったことがある。無意識に世界属性を書き換えて、自分の知っている物理法則をその世界に適用してしまったのだ。そういう定理に従って成立していなかったその世界の事物はもちろん、ときには世界そのものもその厳格な設定に耐えかねて崩壊した。当時、時空転移の基礎を教えてくれた相手からは”歩く物理エンジン”と呼ばれて、散々叱られたものだ。
「それで俺に会いたいっていう相手はどこにいるんだ?」
「あれ?待ち合わせ場所は、ここのはずなんですけどね」
指定された転移座標に来たので間違いはないはずだが、念の為に確認してくると言い残して、帽子の男は姿を消した。
「(あいつ、転移精度悪いから、ちょっと待っていてくださいっていうときは1時間以上帰ってこなかったりするんだよな)」
川畑は気長に待とうと思って、地面があるのかどうかもはっきりしない足元に、とりあえず座りこんでみた。
お師様に教わった瞑想方法で、自分の身体と精神を整えていく。
雑音がなく単純で清浄な環境のせいか瞑想はしやすかった。
どのくらい時間が経ったのか。
ふと気配を感じて前を見ると、少し離れたところから誰かがこちらをじっと見ていた。
「なにしてるの?」
好奇心に満ちたどこかたどたどしい声だった。
「(子供かな)」
霞の向こうから近づいて来たためか、ボンヤリしていた輪郭がなんとなく人の姿に見えてくる。やはり子供だ。
「人を待っているんだ」
川畑は相手を怖がらせないように、できるだけ穏やかにそう答えた。
「ここはあまり人は来ないよ」
「そうか。でも、ここで待っていてくれと言われたんだ」
「ふーん。よそから来た人?」
「そうだよ」
「待っている相手が来たらどうするの?」
「相手の要件を聞く」
川畑は少し言い回しを簡単にしたほうがいいかなと思い直した。
「なにか俺にお願いがあるんだったら聞いてあげるんだ」
子供はしばらく考えてから不思議そうに尋ねた。
「願い事を叶えるためにここにいるの?」
「そうかな」
「なんでもいいの?」
「俺がやっても構わないと思えて俺にできることか、できそうにないけれどやらなければならないと思ったことはやる」
「ふーん」
子供は川畑の間近にきた。
「大っきいねぇ」
「ああ、君よりは大きいね」
その子の背は、座っている川畑より低いくらいだった。
「力も強い?」
「たぶんね」
子供は川畑の太い腕をつついた。
「堅いね」
川畑が力こぶを作って見せると、子供は「ふおっ?!」と妙な声を上げた。
「両手でつかまってごらん」
子供がこわごわながらしっかり腕を掴んだところで、川畑は立ち上がった。
川畑の曲げた腕からぶら下がる形になった子供は、驚きの声を上げた。
「すごい!」
川畑はすぐに腕を下げて、子供を下におろしてあげた。子供は残念そうな顔をした。川畑はあたりを見渡してみた。この子の親も誰もいない。
「もっと?」
「……お願い叶えてくれるの?」
「俺がやりたいと思えて簡単にできることならね」
「じゃぁ、もっと!」
高い高い、飛行機飛行機、ぐるぐるポ~ン……その他諸々、リフトと回転を含むパワー系遊戯で、川畑は子供とたっぷり遊んだ。
「重力の定義がないから落下が曖昧でフワフワ落ちるだけだし、質量も慣性も厳密じゃないからありえない加減速ができるなぁ」
「どういうこと?」
「いろいろできて、おもしろい」
「うん」
肩車してもらっていた子供は、もっと遊ぼうと言って、川畑の頭をペチペチ叩いた。
「頭を叩くな」
川畑は子供の腰を両手でつかむと、ぐるりと一回転させて眼の前に降ろした。
「怒った?嫌い?おしまい?」
子供は心配そうに川畑を見上げた。
川畑は苦笑した。
「怒ってはいない。大目に見てやる」
「大目に見るって何?」
「些細なことだから咎めずに赦す。叩かれるのは嫌だけれど、お前は嫌いじゃないからな」
「ふーん。大目に見る……は嫌いじゃない?」
子供はわかったようなわからないような返事をした。
これはもう少しわかりやすく態度で示さないと俺が機嫌を悪くしていないことが通じないかもしれないと思った川畑は、子供の前に座り込んで、手を広げた。
「ほら、もっと遊ぶか?」
子供は2,3度瞬きをしてから、「うん」とうなずいて、川畑の胡座の上に座った。
「乗り物ごっこをしよう。車は知ってる?」
「車?戦車?」
「そんなに物騒じゃなくてお客さんを乗せるやつだ」
川畑は自分に背を向けるように子供を座りなおさせた。
「本日はご乗車ありがとうございます」
何が始まったのかわからない様子で、子供は自分を後ろからすっぽり抱えている川畑を見上げた。
「なに?汽車?」
「汽車は知ってるのか。じゃあ、汽車にしよう。……出発します。ご注意ください。プシュー、出発進行〜。ポォー!……グォットン。ズゥッシュ…ズシュン、ズシュン……」
重低音の妙にリアルな駆動音の口真似に合わせて、川畑は体を揺らした。
「汽車?」
「そう。A列車で行こうか?汽車ならAT&SFのがいいかな」
川畑は先程よりもテンポをあげて、陽気な曲を口ずさみながら、鉄路の振動のようにリズミカルに脚を上下に揺らした。
子供は膝の上で体を揺すられて、きゃっきゃとはしゃいだ。
その汽車は時折カーブに入るようで、右や左に傾いた。
「鉄橋だ。ゴトトン、ゴトトン」と振動が激しくなったり、「トンネルだ」と目隠しされたり、次から次へと何かが起こって、子供は息をつく暇もなかった。
「丘が見えてきたぞ。いや、山かな」
ごっこ遊びの汽車は上り坂になるとちゃんと上勾配になって苦しそうにペースがゆっくりになり、峠を超えると下り勾配になってありえない程ハイペースに加速した。子供がアップダウンに喜ぶと、汽車の線路はジェットコースター並になり、下りながら左右にぶん回してきた。
「大変だー。この先は渓谷だぞー!」
「きゃー」
「急ブレーキ、キキーッ!おおっ、ここでポイント切替えだ…ガコン!!」
思いっきり前後右左に揺すられて、子供は膝の上から投げ出されそうになったが、あくまでそれはフリだけで、川畑の手はしっかり体を支えていて、すぐに安全な真ん中の定位置にスポンと戻された。
「よかった。大丈夫だった」
あっけない一言とともに、安心感のある力強い腕に後ろから優しく抱きかかえられて、子供は思わずふーっと息を吐いた。
「さぁ、到着です。ご乗車ありがとうございました」
膝の上から降ろされた子供は少しふらついた。
「おっと。大丈夫?」
子供は黙って川畑にぎゅっと抱きついた。
「疲れたか」
「うん。……でも、面白かった」
抱きついたまま、首筋に顔を擦り付けるようにする子供の頭を、川畑は撫でた。
「汽車、初めて乗った。楽しい」
川畑は曖昧模糊とした世界を見渡した。汽車どころかまともな建物一つなさそうなところだ。
「(たしかにここで汽車に乗る機会はなさそうだ)」
むしろ知識があることの方が変な環境である。
ふと川畑は、花木の茂みっぽく見えるなにかの向こうから、こちらを見ている者がいるのに気がついた。子供は川畑の視線を辿って、茂みの向こうのもう一人を見て鼻を鳴らした。
「あいつ……私たちが汽車の話をしてたから来たな」
「誰?」
「ちっちゃいチビ共の中でも変なやつ。あのチビは乗り物とか、ギコギコ、ゴトゴト動くもの大好き。誰も聞いてもいないのにそういうのの話をいつもしてる」
どうやらこの子から見ると、茂みの向こうにいる相手は格下の存在のようだ。
こんなフワフワの世界で、メカニック趣味だなんて、どうやって成立して何を知っているのか、川畑はその子に興味を惹かれた。
「あの子と遊んだことはある?」
「ない。私は一番年上だから、ちっちゃいチビ共とは遊ばない」
「そうか。でも、もう一人いるともっと違う遊びができるぞ」
新しい遊びへの興味とプライドと独占欲の葛藤で、難しい顔をした子供のほっぺたを川畑はつついた。
「向こうがどうしたいかも聞いてみようか」
「むう……あんなヤツどうでもいいのに」
「それは相手のことをもう少し知ってから判断してもいいんじゃないか?」
川畑は茂みの向こうの子に声をかけた。
「君も一緒に遊ぶか?」
興味はあるけれど素直に返事はしたくない空気を醸し出しながら、その小さな子は茂みの向こうに隠れてしまった。
「(すごくよくわかる反応だ)」
川畑はその子に親近感を覚えた。
「(ついでに、どうやったら釣れるかも見当がつくぞ)」
同好の士に恵まれないマニア気質の引っ掛け方は、自身の実例を持って容易に想像できた。
もう一人の子はすぐに遊び仲間になった。
「うぃんうぃんうぃんうぃんうぃん……点火10秒前。超伝導フライホイール接続……5,4,3,2…」
「きゃー」
「逃げろー!」
「カチッ。ちゅどーん!!」
「ぅきゃーっ!!」
「ほら、また二人とも失敗。惜しかったな」
「えーっ、くやしいー。もう一回」
「超伝導リニアシステムはわかんないよー。エネルギーチャージはクリスタルへの生気充填方式を使ってよ」
「それじゃあ駆動音がないから、ごっこ遊びにはいまいちなんだよな」
「そんなことないよ。機械式のエナジードレイン&チャージのシステムは手順が複雑で、制御のためにいろいろやらなきゃいけないから楽しいよ」
そのチビスケの、面倒なシーケンスとギミックが楽しくて細部に凝るのが最高という発想は、通常なかなか同意者を得られなかったのだが、今回その場を仕切っていたのは完全にソッチ側な男だった。
「よし。じゃぁ、その手順と原理を説明してくれ。次はお前がマスターで俺たちが解除する」
「絶対まけないぞ!」
なんだかんだでやっぱり全員楽しく遊び倒した。
「川畑さん、おまたせしました」
帰ってきた帽子の男は、首を傾げた。
「どーしました?」
「あ、いや。さっきまで一緒にいた子達が、お前が来た途端にいなくなったんだ。人よけ結界でも張ったのか?」
「いいえ?ここに子供がいたんですか?おかしいですね。ここはそういう場所じゃないはずなんですが」
「お前、待ち合わせ場所を間違えたんじゃないか?地元の子供いわく、ここは他所の人はあまり来ないところらしいぞ」
「ええっ、そうなんですか。っていうか、川畑さん。地元の子供と接触してたんですか?なんか変なことしてないでしょうね」
「ああん?失礼な奴だな。子供相手に変なことなんかしてねーよ。それで、お前の方は待ち合わせの相手とは連絡ついたのか」
「すみません。連絡つかなくて……あ、今、キャンセル連絡が来ました。もういいそうです」
「なんだそりゃ」
こんなポンコツを雇っている時空監査局も、たいがいいい加減な組織だな、と川畑は嘆息した。
「まぁ、いい気分転換にはなったし、なかなか面白かったからいっか」
「すみません。では、元の場所にお送りしましょう」
「自分で帰れるからいい。……お前の転移はあてにならない」
「えええ、そんなぁ」
大げさに嘆く素振りをする帽子の男を放置して、川畑は一人元の仕事に戻った。
リアルで色々あって、これを書き始めてから書き終わるまでに、すごく時間がかかりました。
そろそろ日常のペースに戻ります。
続きは今しばらくお待ち下さい。




