黒嘴
「先行した上官は、陸路で皇国に帰国する可能性が高いそうです」
生き残りの尋問結果の報告を受けたネズは、「困ったことになりました」とジェラルドに伝えた。
「皇国軍の奴ばら、浄都の拠点が何者かによって潰されたので、直接、皇国に戻ることにしたようです。シダール内なら、それなりに手駒はありますが、国外に出られるとわたくしでは限界があります」
自分の権限は基本的にアシュマカ近辺限定だと、ネズは謝罪した。
「ファーストマンに連絡はできないのか?」
「無線も電信も使用できないので、時間がかかります。あのお方はそのような無粋な連絡手段はお好みにならないですから」
「新技術を使えない苔生した石頭ジジイめ」
ジェラルドの悪態については聞こえなかったことにして、アシュマカ総代は話を進めた。
「ファーストマンにお会いになられたいなら、現在、お棲みになっておられるお館へお取次ぎさせていただきます」
「アシュマカにいるのか?」
「……あのお方の居所についてはこのように他の耳目のある場所ではお話できません」
一拍口をつぐんだところを見るとアシュマカ近郊にはいないらしい。
「他の耳目って、身内もダメなのか。相変わらずの秘密主義だな」
ジェラルドは周囲を見回して呆れた。今この場で動いているのは白装束のものだけだ。
「我々が生き残れたのは、その慎重さ故ですから」
それでも随分と数は減りましたと言い添えたネズに、ジェラルドは珍しく余計な一言を返さなかった。
「時間がかかるなら、ファーストマンに会うのは後でいい。まずは連れの者たちと合流したい」
「アシュマカまでの馬車はすぐにご用意できます」
「そうだな。まずは旧王都に戻ろう」
ジェラルドは、ひどい有様の自分の服や靴に目を落とした。とりあえずシャワーを浴びて着替えたい。そんなことを考えていたジェラルドに、ネズは淡々と言葉を続けた。
「皇国軍を追われるなら、アシュマカからの舟か列車の手配はお任せください。お連れのお嬢様方をお荷物ごと拉致した者達の行方は手の者に追わせておりますのでご安心を」
「は?」
「どういうことだ」
金髪碧眼の美青年と黒衣の怪人に、ぐいっと同時に顔を寄せて問い詰められて、ネズはいささか怯んだ。
「ホテルにいらっしゃったお連れの方と手荷物全部を、皇国軍の手の者がニセ電報で釣りだしたのです」
「ブレイク!お前、何やっていたんだ!!僕より彼女達を優先して保護していたんじゃないのか?!」
「いえ、申し訳ございません」
黒衣の怪人は深く頭を下げた。
「ネズ、彼女達が拐われたのはいつだ?」
「貴方様が拐われたのと同日にございます」
「俺に隠していたのはなぜだ」
黒衣の怪人の声は普段より2段階低かった。表情も何も伺えない真っ黒な布と仮面の奥から、殺気に近い怒気らしき剣呑な気配がジワリと漏れてきて、ネズは背筋が寒くなった。
「他の人間にはご興味がないご様子だったので、些事はご連絡致しませんでした」
「旦那様は最優先だが、他をすべて些事だとは考えていない」
「左様でございましたか」
ネズは部下を呼びつけて、拐われた令嬢達の消息について、すぐに追加で尋問してくるよう命じた。
「潰してかまわん。精神干渉系の術も使用していい。とにかく何か引き出してこい。急げ」
小声で付け足された指示に、部下は慌ててすっとんでいった。
「すぐにここをたてるよう手配します」
入ってきた経路に置いてきた物はあるかとネズはジェラルドに尋ねた。
「戻る必要がなければ、裏口をご利用ください。拝殿側からの道は清掃の上、元通り閉ざします」
「わかった」
裏口というのは、”参拝者”用ではなく、この神殿の管理を行う彼ら一族が使う地下道だ。暗くて幅が狹くて延々と続く横穴で、罠やギミックがないだけマシだが、快適とは言い難い。
あれはあれで嫌な道なんだよなと、ジェラルドは顔をしかめた。
「旦那様。お加減がよろしくないようでしたら、こちらでしばらくお休みになって、皆様と一緒にあとからお戻りください」
ジェラルドの表情が曇ったのを疲労による不調と思ったのか、彼の従者はそんなことを言い出した。
「ブレイク、お前そんなことを言ってまた僕を置いていく気か?」
ジェラルドはじろりと黒衣の従者を見上げた。
「お嬢様方の安全まで確保できなかったのは自分の落ち度です。必ずや救出してまいりますので、旦那様はそれまでこちらの方々と共に安全なところにいていただければ……」
「ブレイク!」
ジェラルドは嘴の付いた黒い被り物で顔の見えない男を睨みつけた。
「お前は僕の従者だ。僕の側にいろ」
「しかし……」
ジェラルドは従者の胸ぐらを掴んだ。
「こんなところに僕を置いて、勝手にどこかに行くんじゃない」
思いの外、強い口調に奴隷身分の従者は、ただ「承知いたしました」と応えた。
「彼女達は僕が救ける。お前は僕を助けろ」
ジェラルドの青い目には強い輝きがあった。
「お嬢様方の消息について多少わかりました」
彼らの上官と同様に、陸路で皇国に護送された可能性が高いという。
「条約でシダールの港に皇国の軍船は寄港できない。一般客船の船旅は乗客同士が交流する機会が多いから避けたか……だが、陸路も軍用車両や国境審査免除の特権車両なんて使えないだろう。シダール国境で皇国絡みのその種の出入りは王国軍が目を光らせている。彼女たちのように見るからに王国人の女性が二人もいたら目立って仕方ないからな」
「一般観光客を装って、鉄路を使用するようです」
「大陸縦断鉄道……セントラルエクスプレスか」
シダールの中央部から北方諸国を経由して皇国まで続く長大な鉄路を走る寝台特急列車の特等のコンパートメントなら、他人の出入りは最小限に制限できる。
「だとすると、今から追いつくのはちょっと難しいかもしれないな」
馬車などでの移動なら、馬や御者の休憩時間というものがあるが、セントラルエクスプレスなら昼夜を問わず走る。この神殿から旧王都に戻るまでの時間でさえ、彼我の距離は相当に開くだろう。
「まぁ、いい。なんとかするしかない。まずはアシュマカまでの案内を頼む」
かしこまりましたと頭を下げるネズの隣で、黒衣の従者はふと何かを見つけたように上を見上げた。
「旦那様、下道を通る必要はなくなったようです」
ジェラルドとネズは怪訝そうに、彼の被り物の嘴の先が指す方角を見上げた。
何もない。
岩窟を整えただけの天井があるきりだ。
「どういうことだ?」
「気の利いた迎えが来ました」
ジェラルドとネズはもう一度天井を見上げた。
やはり何も見えなかった。
ただでさえ得体がしれないのに、こんな格好させるんじゃなかったと、ネズ氏は少々後悔している。




